囲ってしまいたいと思うほどではないけれど


最悪だ。ふざけんな。
この事態をなんとか回避することはできなかったのかと今日一日の自分を何度も顧みて、そんな要素は欠片も落ちていなかったとリプレイの回数だけ溜め息がもれた。

そもそもクズニートの僕が代わり映えのする日常を送っているはずもなく、今日この日も普段と何の変わりもなく過ごしていた。
日が暮れておそ松兄さんが、今日はおでんの気分だ、と宣言すれば兄弟たちは口々に賛成の意を示して、一松も行くだろ、とかけられた声に皆が行くならと頷いた。きっと何も言われなくても、僕は腰をあげた。
それは本当に日々にありふれたひとコマで、この一連の流れを絶ち切る非日常を僕が持ち合わせているはずがないのだから、どうあってもチビ太の屋台で、ひいては僕たち六つ子の目の前でハルが「まつが六人いるー」とだらしない顔で飲んだくれている結果は変わらなかったに違いない。
ほんとふざけんな。

「この子だよ、この前僕が言ってたのは!やっぱり誰か嘘ついてるでしょー」
「なんでぇおめーら、この嬢ちゃんと知り合いなのか」
「ああチビ太。なんつーか、俺らの誰かが知り合い?」
「なんだそれ」

いつも六人でギリギリ座れている長椅子の左端に先客がいるせいで、確実に誰かあぶれることになる。しかもその先客が女の子ときたもんだ、チビ太と何気なく会話しながら牽制しあってんのが見え見えなんだよ。

ぽんぽんと、ハルが自分の隣をたたく。それが何を意味するのか、童貞の僕たちだって分かる。いつまでも後ろで棒立ちの僕たちを一瞥するハルの横顔は、見慣れた僕でもたまにはっとすることがあるから、この馬鹿どもには刺激が強いかもしれない。

「なにやってるの、まつ。はやく座りなよ」

六人いると言っておきながらハルの中では全員僕でいっしょくたにされてるんだろうか。僕が言えたことじゃないけれど、酔った人間の思考は理解に苦しむ。

「俺!俺俺!ここは長男さまに譲るべきだろ」
「この子にはいろいろ聞きたいこともあるから、とりあえず僕が隣に座るよ」
「ブラザーたちは酒を飲むんだろう。ガールは俺が介抱するから遠慮なく盛り上がってくれ」
「おいお前ら!勝手に話を進めるな!お前ら!」
「はいはーい!僕どこでもいいよー」

目を血走らせて誰が隣に座るか揉めはじめた皆には悪いけれど、どの松が座ってもハルには関係ないと思うよ。

「…じゃんけんでいいんじゃない?」

ハルが僕以外を認識していないなら、誰が勝ったところでどうだっていい。
皆にハルの知り合いが僕だってバレなければ、それでいい。僕は一切知らない振りを決め込むことにした。

「ズルはなしだかんな」
「フッ、こっちのセリフだ」
「いくよ、最初はグー!」
「じゃんけん…」
「ぽん!」
「あいこで…しょ!」
「……っしょ!」
「……っしょ!」
「…………チッ」

まけた。
誰が勝ってもいいけど、自分が負けるのはなんか面白くないな。
これで長椅子からあぶれるのは僕に決定したわけだ。呆れ顔で見守っていたチビ太が予備の丸椅子を出そうとしてくれたけどそれは断った。

別にいいよ。もう食欲とかわりと早い段階でどっかに吹っ飛んだから。


「いよっしゃー!」

おそ松兄さんが天に拳を突き上げる。決着がついたらしい。
飲む前から出来上がったような緩みきったおそ松兄さんを筆頭に、荒んだ顔のトド松、カラ松、変わらない笑顔の十四松を挟んで、地獄巡りをしてきましたばりのチョロ松の順に暖簾をくぐり、最後に僕が屋台の端に身を預けた。

僕は少しつまむくらいでいいかな。一番近いチョロ松の皿に乗った大根に箸を伸ばそうとしたら据わった目に睨まれてたじろいだ。じゃんけんに負けたからって、僕にあたらないでほしいんたけど。ああ、またシコ松チェリー松とか弄られて相乗してるのかも。最近はライジングシコースキーなんて新名もできたみたいだし。ほんと長男のセンスなんなの、クソださくてうける。

「十四松、大根わけて」
「いいよー!」

チョロ松の頭の上を経由して十四松が掲げた皿から出汁のしみた大根を一口もらう。危ないと文句を垂れるチョロ松は無視しておいた。

「うまいね、一松兄さん!」
「うん」

「ねね、ハルちゃん、だっけ?俺おそ松っての、よろしくー」

四人分離れているのに、テンションの上がったおそ松兄さんの声がはっきり届いて目を向けた。
ハルの隣に座れて鼻の下を伸ばしている兄さんが我先にアピールしている。ここで仲良くなってしまえれば、この際もう誰が知り合いかなんて二の次なんだろう、おそ松兄さんらしい。

「なーに、ハルちゃんなんて。きもち悪い」

これ完全に噛み合ってないですわー。
ハルが酔っていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。このままハルが全員僕だと思い込んでてくれれば、ハルにとっては六つ子と会っていないのと同義だ。
ハルのグラスがあいていることに気付いたトド松が身を乗り出してビール瓶を持つ。

「僕が注いであげるー」
「わ、まつが?めずらしいーありがと」

いや僕ハルに注いであげるでしょ、…たまにだけど。

「ねぇ僕のこと覚えてる?いっかい会ったことあるよね」
「ん?あーまつに兄弟いるんだっけー。似すぎのやつ」
「フッ、何を隠そう俺たちは六つ子だからな!」
「へえ、すごーいね」

口は慎んでもらってもいいですかねえ。今日のことはハルの記憶に残したくないんですよ。

「一松兄さん玉子くう?」
「……食う」

またチョロ松の頭上で玉子に箸を刺した。汁が垂れたと喚いたので気持ちばかりの謝罪をしておく。
クソ松の余計な六つ子宣言のおかげでこちとら気が気じゃない。頼むからお花畑な脳ミソで都合よくスルーしててほしい。

ハルはというと、僕たちのほうに向きなおっていきなり乾杯の音頭をとった。
精一杯に腕を伸ばして兄弟たちとグラスをかち合わせていく。ハルの身の丈ではせいぜいカラ松までが限度で、十四松が半分身を乗り上げて乾杯を迎えに行った以外、チョロ松と僕は軽くグラスを掲げる程度に留めた。
それでも少なからず関心を向けられて胸いっぱいに幸せをため込んだ顔のチョロ松がおでんをつついている。さっきの修羅はどこにいったの。
僕は、あくまで知らない振りだ。

「まつー、わたし聞いてほしいこといっぱいあるの」

セーーーフ。ハルの中の僕はブレずに保たれている。
いつでもハルの口を塞ぎに行ける態勢を整えていたけど、力を抜いて食べかけの玉子にかじりついた。
知らない振り知らない振り。

「え、なになに?ハルちゃん僕でよければ話してよ」
「あは、しんせんな愚痴にゅうかしましたぁ」
「愚痴ぃ?なによ、ハルちゃんも社会に疲れちゃってる系?そんなのわすれてぱーっと人生楽しもうよ」
「フッ、カラ松girlsの心の乾きを潤せるのは俺しかいないぜ」
「なんか今日のまつおしゃべりだね、影分身してるみたーい」

まあ、実際六人いますからね。そりゃあ普段の僕より喋るだろうよ。
賑やかな場にハルはますます上機嫌になって、おかえしーと隣のおそ松兄さんにビールを注いでいる。お返しすべきはトド松なんだけどね。

ほとんど瓶の中に残っていなかったらしいビールがチョロリとおそ松兄さんのグラスに流れて、残余の2、3滴が落ちるまで粘っている。

「まつにおいしーいとこ入りましたぁ。たいしょー、もいっぽぉん」
「ハルちゃんありがとー!まじ大事に飲むわこれ」
「おそ松兄さんだけずるーいー」
「フッ、俺が飲み干してしまった魅惑の雫、ハニーの愛で満た、」
「カラ松兄さんハルちゃんに注いであげてないでしょ」
「えっ、でもおそ松も注いでない…」

ハルは酒を注いだことに満足した様子で、もうほかの兄弟たちの催促もいとわずにおでんを楽しみはじめている。テンションに比例してビールをあおる一口が大きい。
この間の居酒屋で潰れたジン系の酒よりはアルコール度数低いけれど、量を飲んだら同じことだ。

ていうかねえ、そろそろ誰か止めないの。見るからに瓶あけすぎでしょ、適当にタクシー呼んで帰らせて僕らもお開きでいいじゃん。

「たいしょー、もいっぽんついかでー!」
「嬢ちゃん、もうやめときな。ほら水だ」

チビ太よくやった。

「だいじょうぶよ、まつにおくってもらうからー。ね、まつ。またおんぶしてねぇ」

グラスにビールを注ぐハルの発言に兄弟から悲鳴があがる。
ちょっとハル、それはダメ危険話広がっちゃうからその口はおでんだけ食ってればいいからもう何も喋らないでお願いします…!

「はー?!なにそれ!なにそれ!そういう関係なわけ?!」
「もう我慢の限界っ!ねえ、その松ってこのクズ松どものどれなの!?言って今すぐっ」
「いやトッティそれ完全にブーメランだから!刺さってるから自分に!」

地獄から完全復活したチョロ松が謎のタイミングで会話に混ざりはじめたけど、もう僕は耳をふさいで現実から逃避したい。トッティまじ余計なこと聞いてんじゃねえよ。

「一松兄さんちくわ食う?」
「…いらないっ」

終わった…。
どうせバレるなら自白するのもハルが口を滑らせて発覚するのも、ボコボコにされるのは変わらないだろうからって、少しでも免れる可能性があるほうに賭けていたけど、終わった…。

「まつって…あんたしかいないでしょー」
「………あ?」

ハルが指さし、いや、指でつついたのはトド松の頬だった。
一瞬の間。

え、まじで?
ここで僕の名前を出さなかったハルも猛者だけど、なんとなく複雑な心境の僕も僕だ。

「………えっ、ぼぼぼ僕!?ち、ちがっちが、…えっ!?」
「てめぇトド松!人畜無害な顔してやることえげつねえんだよ!」
「このドライモンスターめ、自ら話題に出すことで疑いの目がかからないようにしてたんだな!覚悟しろ!」
「フッ、とんだ計算違いだったな、トッティ」
「乱闘!?いえーーーい!!」
「ちが、僕は、あっ!アッーー!」

目前の急展開に肩透かしを食らった僕は、団子になって土煙を上げる皆を口を開けて見ているしかない。
おでんに土が入ると怒り心頭のチビ太が仲裁に入るのをぼんやりと眺めて、僕の煩慮は杞憂に終わったのかというと、そうでもなくて。

ハルがチビ太の出した水を舐めて不満げに顔をしかめてから、そっとおそ松兄さんのビールが入ったグラスを引き寄せる。ついでにとチビ太が離れている隙にビール瓶を一本拝借したハルと目が合って、頭を抱えた。
知らない振り、できるわけないだろこの状況で。ぐだぐだに酔っぱらったハルの介抱をこいつらに任せるなんて、できるわけないだろ。

あ、やっぱり終わった。

ゆっくりとハルの背後に回り込んで、グラスの飲み口を上から押さえた。

「ハル、もうだめ」

屋台周りの空気が固まるのを感じた。
ハルが大げさに振りあおいで僕を見る。

「まだのむ」
「だめ。帰るよ」
「ぐちは?」
「また今度ね」
「……おんぶ」
「…………してやるから…」
「いえーい」

抑揚のない歓声のあとにハルのバッグを押し付けられる。荷物持ち、ではなくておそらくこれは支払いを任されたんだろう。石像と化したこいつらが復活する前にさっさとずらかりたい。

「いくら、チビ太」
「えっ、あ、…えぇ…!?」
「チッ」

そんなに衝撃ですか。僕がハルの知り合いなのが。そうでしょうね、僕がいちばん信じられないよ。
ハルの財布から三千円をつかんで屋台のカウンターに乱雑に置いた。

「足りなかったらツケといて」
「…お、おう…。…いやそうじゃなくて」
「ハル、行くよ」
「……タクシー、呼ぶか?」
「…いい。そのへんで拾う」

いつ暴徒と化すか分からないこいつらの前でのんきに待ってなんかいられない。肩掛けのバッグをハルの首にぶら下げて腰を屈める。少し間を置いて掛けられた重みを確認してから、後ろ手に抱えて勢いをつけて立ち上がる。
これで二回目だ。二回目で、なんなのこの、こなれた感は。

一歩ごとに揺れるバッグがいちいち足に当たって鬱陶しいし、何度も脱げかけるサンダルを履いてきたことをまた無意味に後悔しながら容赦なくずり落ちてくる背中の酔っ払いを抱えなおすけれど、ハルが身を預けてくれていることを改めて思うと、奥歯がむず痒い。

しばらく歩いて、後方からむさ苦しい男どもの雄叫びが聞こえた気がした。さっさと送ってあいつらが帰ってくる前に寝てしまおう。気休め程度には、兄弟のうざ絡みを先伸ばしにできるだろうから。


まあ結果を言えば、繁華街から外れたおでん屋台傍近で駐在のタクシーがあるわけもなく、僕はハルを背負ったままアパートまで徒歩を余儀なくされたわけだけれど。
くっそしんどい。




21話で7人座れてたけど、全力で知らん振り。


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