まさかこんなに早く会えるなんてな、と神代凌牙は口の端を歪めた。
相手の言葉に誘い込まれる形で参加することとなったWDCの予選一日目。
目の前に立ちはだかる者は全てその手で潰していくことに決めていた。
本能に従い刃を振るえば、矛先を向けるその対象に辿り着けると確信していたから。
しかしそんな凌牙の意表を突くかのように、大会の開始早々目の前に現れたのは他でもないその男だった。
「偶然ですねぇ、凌牙。まさか私に会いに来てくれたんですか?」
Wはニヤリと厭らしい笑みを浮かべると金色の髪をさらりと揺らした。
この男こそが自らが神代璃緒を手にかけたことを打ち明け、凌牙を復讐の闇へと引き摺り込んだ張本人。
昨日会ったときは一対一だったが、今日に限って相手は一人ではないらしい。
Wが悠然と立つその場所から数歩下がった位置には仲間と思しきピンク髪の少年が控えていた。
此処で二対一の決闘(デュエル)となれば流石の凌牙でも分が悪いが、それはW自身が許さないだろう。
奴の望みがその手で凌牙を再び絶望へと突き落とすことであるのなら、仲間にそれを邪魔するようなことは絶対にさせない筈だ。
「W…テメェ、俺の前に姿を現すってことはどういうことか分かってんだろうな?」
「勿論。
…憎いんだろ?俺のことが。
大事な妹を傷付けてお前を罠に嵌め、何もかも奪った俺のことが殺してやりたいくらい憎いんだろ?」
Wは嗤っていた。
一年前に自らの弱さを曝け出し、何もかもを失った凌牙を蔑み、嘲り、哀れむように。
否定しようのない現実に打ち拉がれ、脱け殻となったその姿を眺めるのが愉しくて堪らないと言うかのように。
奴は全てを手に入れた。
妹の璃緒に触れ、一生消えることのない傷をつけたその手で勝者としての地位も、名声も、凌牙が失くしたありとあらゆるものを掴み取った。
灼熱に呑まれ変わり果てた少女の姿に何を感じることもなく、ただ略奪の快楽に溺れていた。
ドクン、と心臓が大きく波打つのがわかった。
血が沸き立ち、全身が灼けるように熱を帯びる。
―――殺してやる。
そう思うことさえもがWの思う壺だったとしても、どろりと渦を巻く黒い感情を抑えきることは出来なかった。
辛うじて残されていた理性が憎悪や怨恨に塗り潰されて、消えていく。
残されたのは純粋な憎しみの感情、それだけ。
―――奪った。
こいつが、奪ったんだ。
来るはずだった璃緒の未来を、希望を、
それがあることも当たり前だった、俺の世界を。
じりじりと肌が灼けるように痛かった。
璃緒のものだ、と思った。
彼女の白い素肌と共に幸せだった頃の記憶さえも焼いた、忘れられることのない傷痕なのだと、そう思った。
「……決闘、だ」
からからに渇いた喉から絞り出した声は、少年のそれにしては酷く嗄れていた。
「―――決闘だ、W!!
俺はお前に此処で復讐する!妹の…璃緒の痛みを全部、お前に教えてやる!!」
眼前の男を指差し、血を吐くように凌牙は吠える。
動くことの出来ない妹に代わり、この手で痛め付けてやらねばならない相手に向かって激しく言葉をぶつける。
心を支配する憎しみを全て、声に変えて。
Wは何を言われようと変わらぬ薄ら笑いを浮かべていた。
けれど、それでいいと思った。
今にその顔を痛みで歪ませて、ぐちゃぐちゃに潰してやるのだから。
眼前の男は口の端を吊り上げながら嘲笑うように凌牙を見下ろす。
「いいねぇ、凌牙。お前の全てをぶつけて来い。空っぽになったお前にたった一つ残された、憎しみの全てをな。
それさえも俺が今此処で打ち砕いてやる―――
―――と、言いたいところだが」
「!?」
言葉が切れると同時に、Wが翳した右手甲の紋章が紫水晶の強い光を放ち始めた。
異変を感じ取り飛び退こうとするが刹那、凌牙の身体は誰に触れられているでもないのに重い圧力に押し潰されそうになる。
相手に襲いかからんばかりに勢いづいていたその全身が、気付けば地面に強く叩きつけられていた。
「がッ………!?
…テメェ、何しやがる……ッ!!」
「悪いな。ファンサービスはお預けだ。
お前とは別の決着をつけなくちゃいけなくてな―――V!」
「はい、兄様」
Vと呼ばれた少年はWの声に反応すると身動きのとれない凌牙の元へと歩み寄る。
何をされるのだろうか。
危険が迫っているのは明らかだったが抵抗しようにも凌牙に身体の自由は一切きかず、指一本ですら鉛のような重さを放っていた。
「ごめんね。悪いようにはしないからさ」
Vは困ったように笑いながらじりじりと此方に手を伸ばす。
それから逃れる術など凌牙にはない。
抗うことすら許されず、相手のいいようにされる恐怖をただ感じるだけだ。
―――殺られる―――!!
柔らかなVの表情とは裏腹に淡々と差し出される細い指に死さえ覚悟したその瞬間、
すぽん、と凌牙の靴が脱がされた。
「……………は?」
抱いていた予想とはあまりにかけ離れた相手の行動に、思わず間の抜けた声が漏れた。
どう反応したらいいかもわからず凌牙は唖然とした顔になるが、Vはそれも無視してもう片方の靴も脱がしにかかる。
身体が依然能力(ちから)によって縛り付けられているなか唯一自由を与えられている目を右左へと泳がせると、なんとWまでもがブーツの紐を解き裸足になり始めているではないか。
(……何やってんだ、こいつら…………)
状況の変化に付いていけず何がなんだかわからなくなっている凌牙だったが、二人がそれに構う様子はない。
自らの靴を脱ぎ捨てたWは遂に相手も完全に裸足になったのを見計らうと、再び凌牙を押さえ付けていた紋章の力を行使し、今度は手を両脇に揃えさせ直立不動の姿勢を取らせた。
所謂気を付けのポーズである。
そして凌牙の身体をその姿勢で固めたまま自らも同じ体制で背中合わせになるように立つと、再びVに合図を送った。
「―――やれ」
抹殺を指示するかのような冷たいWの声にVは黙って頷くと、懐から下敷きのようなものを取り出し、更に数歩此方へと近づくとそれをコツンと二人の頭の上に橋渡しに置いた。
「………………うぅーん……」
沈黙だった。
並ぶ二人は微動だにしないままその時を過ごし、Vは難しい顔をしたまま下敷きを睨んでいる。
その端が描く直線がどちら側へと傾いているのかを見極めているのだろうがこれがかなり微妙な差らしい、簡単には判断出来ないようだった。
暫く何も起きないまま時間は過ぎ去り凌牙の感情を沸騰させていた熱もそろそろ冷めようとしていた頃、「あ、」とVが声を上げた。
「…兄様、勝ってます!!
ちょっとの差で兄様の勝ちです、ちゃんと頭頂部で測りました!!」
「―――よッしゃァアアアア!!」
明るい顔をしたVの発表を耳にすると、Wは雄叫びを上げ全身全霊でその喜びを表現した。
凌牙自身この男をよく知るわけでも付き合いが長いわけでもないが、少なくとも今までWが目の前で見せてきたそれのなかでは一番素直な感情表現だった。
「ッハハハハ!今回は俺の勝ちだったようだな凌牙ぁ!!まぁ気にすんな!お前も成長期だしまだまだ伸びんだろ!
じゃあ俺達は忙しいからこの辺で失礼するぜ!決闘の決着はまた今度な!!」
完全に浮かれた調子でそう言い残すとまたもWの紋章が別の輝きを放ち、目の前にいた二人の身体は星屑のような光に包まれ、呼び止める間もなく消えてしまった。
その後にはもう、何も残ってはいなかった。
「…………………」
凌牙は一人取り残された。
最後までまるで意味がわからなかった。
途中まで話が噛み合っていたはずなのに、いつからこんなことになってしまったのだろう。
きっかけを探して記憶を遡ってはみたものの、思い当たるようなことは何一つとして浮かんでこなかった。
やっと解放されたのを思い出したように、ドサリと身体が崩れ落ちる。
膝をついた瞬間どっと疲れが込み上げて、何を考えようにも思考が上手くまとまらなかった。
この時間は一体何だったのだろうと本気で思う。
いつかは凌牙を支配するように燃え広がっていた復讐心も行き場を失くし心の隅で燻っていた。
そこにあるのは絶対に倒さなければならない相手を目の前にしながら自分の人生で一、二を争うほどに無駄な時間を過ごしたという、途方もない虚しさだけだった。
ぎこちない動きで唇を形作ると、凌牙はそのまま吐息を落とすように一人、ぽつりと呟いた。
「…………なんだコレ」
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