それから二日後の午後、フェリクスとエルヴィスに会う機会が何とか訪れた。
コーネリウスが二人へ執拗に掛け合った結果であったが、同じ日時の同じ時刻を指定されて弥生は内心でさすが双子と感動にも似た気持ちを感じた。建前上、客人として弥生達は王子達に会うことになった。
当日、フェリクスは弥生を王城の裏手にある宮廷の庭園へ招いた。薔薇が美しい庭である。
コーネリウスの近衛に案内されたそこは、庭園の花々がよく見える場所だった。
大きめのパラソルに可愛らしい丸テーブルと二つの椅子が置かれ、椅子の一つに腰掛けていたフェリクスが軽く手を振る。
「ようこそ、お嬢さん。私はフェリクス。知っていると思うけれど、この国の第一王子だ」
柔らかく笑いかけられて、弥生も小さく笑みを浮かべる。
ここで淑女らしくスカートでも摘んでみれば良かったのかもしれないが、ドレスでもなし、テーブルまで歩いた弥生はあえて日本風に背筋を伸ばして両手をへその下辺りで重ね合わせると静かに会釈を返した。
「早稲弥生と申します。こちらこそ、お忙しい中このような機会を設けていただき、また、これほど素晴らしい庭園にお招きくださりありがとうございます」
どうぞ、と示された椅子をフェリクスの近衛が引き、テーブルを挟んだ向かい側に腰掛ける。緊張しているが近衛にお礼を伝えるのは忘れない。
丸いテーブルに真っ白なクロスが敷かれ、その上には紅茶とお菓子が並んでいた。お菓子はどれも可愛らしい見た目をしており、女性が喜びそうなものばかりである。好きなものを食べていいと勧められ、弥生は丸くて上に赤いジャムの乗ったクッキーを一枚と、紅茶一口を飲んでから口を開く。
「本題の前に一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
テーブルにソーサーと共にカップを戻す。
フェリクスは相変わらず人の好さそうな柔らかな笑みで弥生を見ている。
「何かな?」
「何故私と会ってくださったのですか?」
「どうしてだと思う?」
弥生の問いにフェリクスは問い返す。
それににこりと笑って弥生は告げた。
「質問に質問で返すのはいかがなものかと」
ハッキリとした口調にフェリクスがふふ、と笑う。
「申し訳ない、貴女の意見を聞きたかったんだ」
「分からないからお尋ねしたのです」
紅茶を口にしたフェリクスが答えを述べた。
「カルトフリーオ国王からの手紙は読ませてもらった。異界から来た女性がどんな人物なのか気になっていたところに誘いが来たから受けたまで。そう、簡単に言えば興味本位だよ」
「ですが今の国の状況を考えると私などに構っている暇はないのでは?」
「全くもってその通りなんだろうね」
フェリクスは可笑しそうに肩を竦めておどけてみせたが、弥生は何も言わなかった。
自分の皿に分けてあったクッキーをもう一枚摘んで食べる。甘すぎない上品な味わいだ。食感もサクサクしてる。ジャムは多分木苺みたいな果物だろう。サッパリとした酸味のお陰で果物の甘味がくどくない。
口の中に何もなくなってから弥生は話を進めた。
「回りくどいのは嫌いなので単刀直入に本題をお聞きします」
「うん、どうぞ」
にこにこと笑顔でフェリクスが促してくる。
一呼吸置いて、正面から切り込む。
「貴方は弟のエルヴィス殿下のことをどう思っていらっしゃいますか?」
意外な問いだったのか、きょとんとした顔をし、それからテーブルに頬杖をついて苦笑を浮かべられる。
しかしその表情は決して嫌いな相手に対する感じではなく、どうしようもないことを聞かれて困ったといった様子である。普段顔を合わせないほど不仲と聞いていただけに、この反応で不仲説への疑惑が湧く。
本当に嫌いな相手の話題だったなら、もっと嫌そうな顔をしたり話題を避けたりするだろう。
「大切な弟だ」
不仲にはそぐわない言葉に弥生は突っ込んで聞く。
「全く顔を合わせないのに?」
「痛い所を突いてくるなあ」
フェリクスは近くにあったケーキを自分の下へ寄せると、それをゆっくり食べ始める。
南国ならではの果物をふんだんに使ったタルトはとても美味しそうだ。その先端をナイフで切り、フォークで器用に口へ運び、のんびりと噛んで飲み込んでからフェリクスは弥生に問う。
「私からも聞きたいのだけれど、どうしてそんなことが気になるんだい? この国や私達兄弟の問題など、貴女には関係のないことだろう?」
「そうですね。まあ、乗りかかった船と言いましょうか、困っている知り合いを放っておくほど私も割り切りが良くはなかっただけの話です」
「ああ。いつも私達の仲裁ばかりさせてしまって、あの子には申し訳ないと思っているよ」
誰と言わずとも分かっているのなら、もう少し兄弟仲良くして欲しいものだ。
またクッキーを食べつつ弥生は目の前にいるフェリクスを見た。
国王の面影を色濃く残し、双子の弟ともそっくりな顔立ちで、しかし雰囲気はコーネリウスのように穏やかそうだが、話してみた感じは一筋縄ではいかなさそうな人物だということだった。
「コーネリウスは継承権を放棄しているし、私やエルヴィスと親しくなったとしても精々この国で貴女の立場が少し優遇される程度。もしかしたら私や弟の反感を買う可能性もある。そしてそれらは元の世界へ帰りたい貴女にとっては不必要なものばかりだ。それでも貴女は私達の問題に分け入ろうと言うのかい?」
どうかな、と首を傾げられて弥生は素直に頷いた。
フェリクスの言葉通り、この国や王子達の問題に首を突っ込んだところで面倒事が増えるだけである。
「利益というなら閲覧禁止の書籍を読ませていただいていますが、他に何かあるかと問われれば多分何もないでしょう。この国の王がどちらになるかなんて興味ありません」
「本当に貴女は物怖じしない人だね」
「取り繕っても仕方ないでしょう」
内心はかなり胸がドキドキしていたけれど、それを表に出さないよう努めて平静を装う。
同時に別の場所でエルヴィスと会っているだろう保護者のことが気にかかる。自分よりかはきっと上手くやれるだろうが、人の感情には疎いと公言しているだけに少なからず不安もあった。
一度ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着ける。今はこちらに集中すべきだ。
「エルヴィス殿下と仲直りしたいと思いませんか?」
テーブルに頬杖をついて緩く首を振られる。
「それは無理だろうよ」
どこか諦めたような言葉に弥生は少し苛立った。
コーネリウスも、フェリクスも、どうしてそう後ろ向きなことばかり言うのだろうか。
気付けば弥生は立ち上がって丸テーブル越しにズイと身を乗り出していた。
「何故最初から諦めるんですか? 簡単に諦められることなんですか? 貴方がエルヴィス殿下を家族だと思っているのなら、兄弟の関係もそんな風に切り捨ててしまえるほど浅いものではないでしょう?」
怒気の滲む言葉と視線にフェリクスは少し驚いた様子で頬杖を外し、顔を上げる。
怒鳴りはしなかったが弥生は怒っていた。自分は大切な家族と引き離されて、会いたくても会えないし、帰る方法だっていつ見つかるのか分からない。睦月が失踪してしまった時も、そして今も、痛いほど家族の大切さを思い知らされた。
お互いに会える距離に、話せる距離にいるのに、諦めているのが堪らなく悔しくて苦しい。
その苦しさが家族と共にいられることへの羨望か、嫉妬かは、弥生自身にも分からなかった。
フェリクスが困ったといった様子で苦笑を零す。
悲しみと何かを懐かしむ気配を含んだ笑みだ。
「……そうだね、本当は昔に戻りたいよ」
戻れるならね、と呟くフェリクスに弥生は息を吐いて怒りを静める。
ようやく聞き出せた言葉は本音のようだった。
「声をかけたり出掛けに誘ったりもしたのだけれど、どれも素気無くあしらわれてしまった。きっとエルヴィスは私のことが大嫌いなのだろうさ。似た顔立ちというだけで、お互いに散々比べられたからね」
これ以上はもう話したくないという意思表示なのか、フェリクスが席を立つ。
「短いけれど有意義な時間を過ごせたよ。貴女の為人(ひととなり)も知れて楽しかった。ありがとう」
その背が物悲しげに見え、弥生はそれ以上聞くことも出来ずに見送るしかなかった。
しかし欲しかった本音は聞き出せた。
それが一番重要なことだったのだ。
* * * * *
フェリクスとの短いお茶会を終えて与えられた自室へ戻る。
その道すがら、弥生はフェリクスとの会話の内容について考えてみた。
コーネリウスの話だと両王子は互いに互いを嫌っている風に受け取れたが、フェリクスと言葉を交わしてみた限り、エルヴィスを嫌っている様子は見られない。むしろ家族として大事に思っているようだった。
そんなフェリクスがエルヴィスをわざわざ避ける理由はないだろう。
そうであれば、問題があるのはエルヴィスの方だろうか。
この間、廊下で出会った時のことを弥生は思い出した。エルヴィスはかなり高圧的というか、威圧的というか、とにかく我の強い性格なのは言うまでもない。フェリクスの知らない所でエルヴィスが反発心を抱くことがあったのか、フェリクスが言った通り、互いに比較され続けて嫌になったのか。
自室の扉を開けて中へ入り、ラシェルに割り当てられた隣室の扉を叩く。
扉の向こうから僅かに入室を許可する声が洩れ聞こえたため、弥生は扉を開いた。
中にいたのはコーネリウスとクライヴだった。
「先にお邪魔しています」
「おっ、お疲れさん」
クロスのかかった丸テーブルの上にはお茶とお菓子がある。
四脚の椅子のうち、二脚が空いており、ラシェルはまだ戻っていないらしい。
弥生は頷き返しながらテーブルに歩み寄り、椅子の一つに腰掛けた。
「ラシェルはまだですか」
「ええ。……エル兄上は気難しい方なので時間がかかると思います」
「やっぱり私がエルヴィス王子側じゃなくて正解でしたね」
肩を竦めておどけてみせた弥生にコーネリウスが苦笑を浮かべる。
そして慣れた手付きでポットからティーカップに紅茶を注ぐと弥生に差し出した。労いのつもりだろうそれを受け取った弥生は一口飲んで、内心「おや?」と思ったが口には出さずにクッキーを摘まむ。クッキーはドライフルーツが混ぜ込まれたもので、やや硬めに焼かれており、ザクザクとした食感が心地好い。
二、三枚クッキーを食べていると、廊下側にある扉が開く。
弥生は口にクッキーを銜(くわ)えたまま振り返れば、丁度部屋に入って来たラシェルと目が合った。
「|おふぁえひははい(おかえりなさい)」
「行儀が悪いよ」
即座に注意が飛んで来たため、弥生はクッキーを口に押し込んだ。
保護者はコーネリウスとクライヴへ軽く会釈をして椅子に座る。
きちんと口の中のものを飲み込んでから弥生はラシェルへ顔を向けた。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
「どうでした? と言うか、ちゃんと話せました?」
弥生の時と同じくコーネリウスが淹れた紅茶を受け取り、砂糖もミルクもないストレートで一口飲んだラシェルの動きがほんの一瞬、瞬き程度にだが鈍くなった気がした。
ティーカップをソーサーごとテーブルに戻したラシェルは一つ頷く。
「問題なく話せたよ。それからエルヴィス殿下は君のことを嫌ってはいないそうだ」
弥生は言われた内容を頭の中で反芻(はんすう)した。
そして声を上げて驚いた。
「何で?!」
「それはどれに対して?」
「ええっと、何で嫌われていないのか、何で最初にその話題にしたのか。いや、そもそも私について何で聞いたんですか?!」
「ただの好奇心で、かな。‘王族に怯えず物を言える人間は少ない。ああもハッキリ言い返されたのは久しぶりで貴重な体験をした’と仰られていたけど、君は一体どんなことを言ったの?」
「黙秘します」
じっと見つめられ、弥生は顔の前に両手の人差し指でバツを作って口を閉じる。
数秒、無言の攻防が続いたけれども、ラシェルが先に折れてくれた。
気になると言っても問う詰めて聞くほどの好奇心はないらしい。
「その話は脇に置いておいて、今日の成果を報告しましょうよ」
そのために、こうして四人で集まったのだ。
コーネリウスと三人でも良かったのだが、クライヴはコーネリウスが幼い頃から近衛として傍で仕えており、幼い頃の三兄弟の様子について詳しく聞けるかもしれないと踏んで呼んでおいたが、どちらにせよ城内ではコーネリウスの護衛役なので当然ついて来ることになっただろう。
広い客室の中でも一番小さな丸テーブルで内緒話でもするように四人で顔を突き合わせる。
「まずは私から。フェリクス王子はエルヴィス王子のことを嫌っていないと思います。それどころか大切な弟と言って、仲直りしたい風でした。一応、当初は関係を修復しようとしたそうですが上手くいかなかったみたいです。そのせいか昔のような関係に戻るのは無理だと諦めてしまっている節があります」
コーネリウスが嬉しそうに目を細めた。
両者が嫌い合っている訳ではない。それだけでも十分喜ばしいし、希望も持てる。
そんなコーネリウスにクライブも少しだけ口角を引き上げていた。