翌朝、軽い食事を済ませてから、全財産の荷物を手に弥生達は王城へ向かった。
入城許可証を門番に見せると昨日の応接間に案内された。
そこでお茶を出され、飲みながら待っていればコーネリウスが現れる。
「お待たせしました。どうぞ此方へ」
示され、ラシェルと弥生はついて行った。
廊下を抜けて、階段を抜けて、王城の裏手の庭を渡り廊下で通り別の建物へ渡る。
そこは城ほど豪勢な造りではなく、しかし品の良い落ち着いた雰囲気の場所だった。彫刻などは少ないが、一目で高価と分かる調度品が置かれた広い廊下をコーネリウスを先頭に歩いて行く。
奥へ奥へと進んだ先、一際大きな扉の前で一度立ち止まった。
扉の両脇には屈強な兵士が佇んでいる。
「この先が陛下のご寝所です」
扉を四度叩き、そっと扉へ触れて押し開けたコーネリウスさんが中へ入る。
そこへラシェル、私の順に入ると、中には五人ほど人がいた。一人はクライヴだ。壁際に下がって立っている。昨日書庫で会った男性――コーネリウスさんの兄王子――と、その人と瓜二つで垂れ目がちな男性、二人の傍にそれぞれ控えるように細身の男性と小太りの男性が立っていた。五人の向こうに大きな天蓋付きの寝台がある。
部屋へ立ち入った途端、どこからともなく子供が小さく泣く声が聞こえた。
「君達がカルトフリーオの魔法士と連れの子だね?」
思わず部屋を見回そうとした時、瓜二つな男性二人のうちの垂れ目の方が問い掛けてくる。
かけられた声にコーネリウスが頷いた。
「ええ、ラシェルさんとヤヨイさんです」
紹介されて弥生はラシェルと共に会釈をする。
それから今度はそれぞれが名乗って自己紹介をした。
瓜二つな男性二人はコーネリウスさんのお兄さん達で、垂れ目の方がフェリクス、吊り目の方がエルヴィスというらしい。珍しい双子の王子でフェリクスの方がお兄さんだそうだ。ちなみに昨日会ったのは弟のエルヴィスだと二人の顔を見比べて見当がついた。
フェリクスの脇に控えている細身の人がギレオン。フェリクス様の側近で補佐役。
エルヴィスの脇に控えている小太りの人はグレアム。エルヴィス様の側近で補佐役。
「そして此方に居られますのが、このパシオンを統べる国王陛下です」
父上、とコーネリウスが寝台へ声をかけながら天蓋から伸びるカーテンを捲くる。
王子や側近達が避けて道を作り、ラシェルは真っ直ぐそこへ歩いて行く。弥生はその後を追った。
「……おお、お主であったか」
年老いた、けれどよく通る声が響く。
カーテンの向こうに横になっていたのは五十代から六十代くらいの初老の男性だった。王子達は父親に似たのか、面差しが似通っている。優しそうな顔立ちで王様というよりも好々爺という言葉が合いそうだ。
ラシェルが寝台の傍で深く頭を下げる。弥生も見よう見真似で頭を下げた。
国王がゆっくり手を上げ、他の人々へ下がるよう指示を出す。
それに王子達は一度顔を見合わせたものの、静かに部屋を出て行った。
入った時から続いている静かな泣き声は相変わらず聞こえている。
「このような時にカルトフリーオ王の信頼厚き魔法士がおるとは、私も運が良い。お主に会ったのはもう三年も前のことだったか」
「はい、その通りでございます」
やや掠れた声でしみじみと国王は呟いた。
ラシェルが声をかける。
「改めまして、カルトフリーオ王国宮廷魔法学者のラシェルと申します。今から御身にかけられている魔法を調べさせていただきますが、もしかしたら魔法を弾かれて御身体に障るかもしれません」
「何、構わんさ。この老体でもそれくらいは耐えられよう」
「では失礼致します」
両手を国王の上へ翳したラシェルが魔法の詠唱を口にする。
今まで見てきた中で最も長いそれを聞いていた弥生は、寝台の周囲の変化に気が付いた。
詠唱に呼応するように半透明のシャボン玉みたいな膜が現れたかと思うと、それが何度もキラキラと輝いて、時にはピシピシと悲鳴を上げている。弥生はこれに見覚えがあった。防御魔法の膜とよく似ている。
ふわ、と閉まっている窓や寝台のカーテンが揺れ、どこからか聞こえる泣き声が一層激しくなる。その泣き声があんまり悲痛なものだったので、弥生は堪らなくなって宙へ声をかけた。
「ねえ、どこにいるの?」
唐突に口を開いた弥生にラシェルと国王の視線が向く。
だが弥生はふら、と一歩下がり部屋全体を見回した。
「何でそんなに泣いてるの?」
そう問うと、泣き声がピタリと止んだ。
代わりにふわりと柔らかな風が弥生を包み、背を押してくる。弥生は押されるがままに寝台に近寄り、風が足元を通って寝台の下へ流れるのを感じ、その場に座り込んでベッドの下を覗き込む。薄暗くて見えなかったが、手を突っ込むと寝台の縁の裏側にある何かが指先に触れた。無遠慮に張り付いていたものを引っぺがす。立ち上がった弥生の手の平には拳の半分くらいほどの大きさの淡い黄緑色の宝石が乗っていた。
ずっと聞こえていた泣き声はこれらしく、手の平の中からまた嗚咽混じりの泣き声が漏れてくる。
此方を気にしながらも魔法での確認を終えたラシェルが首を傾げる。
「魔法の痕跡はありますが、特に怪しい点は見当たりません」
国王へそう告げてから弥生へ顔を向けた。
「風石かい? 随分強い魔素が見えるけど」
「それはこの寝台を護るために我が王国の宮廷魔法士達に作らせた魔法陣だ。だが其方(そなた)は何故その場所が分かったのだ? 隠蔽の魔法もかけてあるはずだが」
国王がいぶかしむので弥生は答えに窮(きゅう)した。
恐らく泣き声が聞こえたのは弥生だけだろう。
けれど、結局黙っていることも出来ず、ラシェルに視線で許可を取ってから口を割った。
「実は私には精霊が見えます。それでこの部屋に入った時から、ずっと泣き声が聞こえていて、さっき声をかけたら風が背中を押したんです。私を押した風が寝台の下へ流れていったので調べました」
国王はラシェルへ視線で真偽を問う。ラシェルは頷いた。
「彼女は精眼(せいがん)を持っており、この件はカルトフリーオ国王陛下もご存知です」
「ふむ、異界の娘でありながら精眼を持つとは難儀なことだ」
深く頷き国王は納得したようだった。
ラシェルが濫(みだ)りに口にしないよう頼み込み、国王は静かに頷いた。
そうして弥生は手の中にあった宝石をラシェルへ渡す。それは台座にはめ込まれている。台座には国王が眠る寝台を守護する防御魔法の陣が彫られており、風石を合わせることで力を底上げしているようだった。
淡い黄緑色の中にある陣をジッと見つめていた保護者が不意に「うん?」と声を上げる。
「これはほんの僅かにですが魔法式が書き換えられております」
目を細めて細かな文字の書き連ねられた陣をラシェルは解読し、傍にいた弥生へ聞いた。
「今は何か聞こえる?」
「出たい、出たいって言ってます」
「じゃあ壊せばいいのかな」
ラシェルが言って、また魔法の詠唱を唱える。今度は短い。
「ブレイク」
淡々とした言葉の後、保護者の手元にあった淡い黄緑に亀裂が走り、金槌で叩いたみたいにパックリ割れた。ラシェルの手の平を起点にぶわ、とやや強めの風が室内を吹き抜ける。
弥生の目には半透明の子供が宝石から飛び出し、嬉しそうに壁を擦り抜けて出て行くのが見えた。
国王が驚いた様子で目を瞬かせた後に手を握ったり開いたりを繰り返し、何かを確かめるように更に左肩を軽く回して見せた。
「急に体が軽くなったぞ?」
割れた風石を手にしたままラシェルが答える。
「本来ならば陛下をお守りするための防御魔法が、周囲に存在する魔素や精霊も弾くよう書き換えられていたようです。これでは生き物が本来必要とする魔素が足りず、寝台で休まれる度に徐々に衰弱してしまうでしょう」
そういえばこの世界では魔素は命の源なんだっけ。
その魔素が弾かれて国王は弱っていたのか。
「このままでは落ち着かないかと思いますので、一時的に私が防御魔法をかけ直してもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
魔法詠唱を口にし、ラシェルが寝台へ手を翳せば、あのシャボン玉みたいなものが現れる。
ピキパキと音を立てて形成されたそれは一瞬煌くと空気に溶けて消えた。
見ると国王の顔はまだ少し青いものの、最初に見た時より多少顔色が良くなっている。
ラシェルは廊下とは別の方に面する扉を開け、別室で待っていた王子達を室内へ呼び戻した。説明を受け、魔法士達が作った陣が原因だと聞いて誰もが眉を顰めて割れた風石を見た。
顔色の良くなった国王を見たギレオンが廊下にいた兵士の一人に医者を呼ぶよう言い、王族付きの医者が息を切らせながら寝室へ来た。
突然快方に向かい出した国王に目を白黒させていたが、医者はホッとした様子であった。
「ここ最近、陣を直した記憶はないが……」
医者と共に国王の寝所を退室し、全員で城の応接間に戻って来ていた。
エルヴィスが首を傾げて風石を見る。
「待って、そもそもこれは王家の物じゃない。よく見て、どこにも印がない」
フェリクスが風石を持ち上げて台座ごと回して見せる。
印とは何かと小首を傾げた弥生にコーネリウスがこっそり「どの国でも王族が使用する物にはそれぞれ誰の物か判別するために個人の印を付けておくのですよ」と耳打ちした。
その印がないことの重大な意味を誰もが理解して顔色を変える。
つまり、本来あるべき陣が他の物とすり替わったことになる。
替えられたのは国王が体調を崩し始めた一月前であることは明白だ。
問題はそれだけに留まらない。
「差し出がましいかもしれませんが、それほどの陣は魔法に多少詳しい程度の人間には不可能です。余程魔法に精通していない限り書くことは出来ない式だと思います」
ラシェルの意見に全員の表情が更に強張った。
つまり犯人は王家に仕えている魔法士の中にいる可能性が高いということだ。
グレアムが厳しい顔で「誰が犯人か特定出来る方法はないか」と尋ね、ラシェルは「個人の魔素を見ればあるいは」とやや言葉を濁して答える。技術の高い魔法士は偽装する術を持つので、一概には言えないらしい。それに魔法士が魔素を曝(さら)すのは己の属性を知られることに繋がるため、非常に嫌がられるとも保護者は言った。
「陛下のお命が狙われたのだ、そんなことを言っている場合ではないだろう」
そう言ってグレアムは廊下の兵士に、すぐさま応接室へ宮廷魔法士を全員集めるよう命じた。
王の寝室を後にし、元の応接間へ戻って程なくすると招集された宮廷魔法士達は突然の出来事に互いに顔を見合わせながらやって来た。魔法士達を束ねる魔法士長が全員いるかを確認していくと、二人足りないことが判明した。人数は三十名弱といったところか。
魔法士のうちの一人に呼びに行かせたものの、それは真っ青な顔で駆け戻ってくる。
「け、研究室で死んでいますっ!」
「何だと?」
エルヴィスが鋭い眼差しで見遣ったからか魔法士はひっと小さく悲鳴を上げた。
すぐにグレアムを伴って部屋を出て行くエルヴィス。逆にフェリクスは戸惑いを浮かべている魔法士達に声をかけて落ち着かせると、国王の寝台を護る陣が偽物だったことを掻い摘んで説明する。まさかそんなことが起こっていたとは思ってもみなかった彼らは、自分達までもが処罰を受けるのではないかと酷く狼狽(うろた)えていたが、エルヴィスが無関係の者を処罰しないと言ったお陰ですぐにその表情も安堵に変わった。
しばらく経って魔法士達が落ち着いた頃、エルヴィスとグレアムが戻って来た。
「恐らく自害だろう。互いに魔法をかけ合って死んだようだ」
「ではその二名が関与していたってこと?」
「否定は出来ん。……ラシェル殿だったか、良ければ確認して欲しいのだが」
フェリクスと話したエルヴィスがラシェルへ振り返る。
チラ、と弥生を見て言葉を濁した。
それで言わんとしていることを察した弥生が先に口を開く。
「私はここで待ってます。行って来てください」
「分かった」
頷き、ラシェルはエルヴィスと共に部屋を出て行く。
フェリクスとギレオン、クライヴが魔法士達から話を聞いている。
弥生は自分に出来ることがないので邪魔にならないよう部屋の隅に移動して眺めていた。魔法士は皆、四十代から六、七十代と年老いた者が多く若い人間はいない。カルトフリーオでも若干それより若いくらいであったので若いラシェルは特別なのだろうと弥生はぼんやり思った。
「大丈夫ですか?」
顔を上げれば何時の間にかコーネリウスとクライヴが傍に立っていた。
「気分が優れなければ先に客室へご案内しますが……」
ぼんやりしていたのを具合が優れないと思われたらしい。
弥生は首を振って否定する。
「いえ、大丈夫です。ここで待ちます」
「嬢ちゃんはとりあえず座っとけ。本当に気分が悪くなったら遠慮なく言えよ?」
クライヴに勧められてソファーに腰掛ける。
「ありがとうございます」
コーネリウスは微笑を浮かべ、兄王子の下へ戻って行く。
クライヴは弥生から少し離れた壁際に立ち、全体の様子を窺っている風だった。
半刻ほどしてラシェルはエルヴィスと共にやって来て、風石に残っていた魔素と死んだ魔法士二人の魔素が恐らく同一のものであると告げた。死体とそれに残った痕跡から、魔法士二人は爆裂に準ずる魔法で互いを吹き飛ばしたらしい。死者は口を利かない。実行犯の魔法士達が死んだのは痛恨の一撃だ。
フェリクスやコーネリウスは重い溜め息を零す。王族を守る立場の者が王を害そうとしたのだから、この問題は何としても解決せねばならない。同じ轍を踏むのを避けるためにも、何故それを行ったのか、首謀者は誰なのかをハッキリさせることが重要だ。
話を終えた保護者が傍に来たので弥生は小さく声をかけた。
「お疲れ様です」
「ありがとう。此方こそお待たせ」
今後について話し合っている王子達や魔法士達を弥生とラシェルは黙って眺める。
結局、その日はパシオン側も慌ただしかったので二人は閲覧禁止書籍を見ることは叶わなかった。
割り当てられた部屋は二人別々だった。カルトフリーオを出てから初めて二人は部屋を分けて休むことになったのだが、豪華な部屋に一人でいるのが落ち着かなかった弥生が隣同士で扉一枚で繋がっている保護者の部屋へ突撃して就寝時間まで入り浸り、それが後々まで常習化することになるのは別の話である。