「まさかコーネリウスさんが王子様とは思いもしませんでした」
王城にほど近い宿の一室で、ベッドへ仰向けに寝転がった弥生は驚きの残るままに呟いた。
あの後、驚くどころかやはりそうであったかと納得した様子でラシェルはカルトフリーオ国王直筆の手紙をコーネリウスに預け、パシオンの国王陛下へ渡してもらえるようお願いし、コーネリウスはそれを快諾してくれたため、弥生達は返事を待つために王城近くで宿を取った。
言われてみればコーネリウスは粗野な感じもなく、所作も綺麗だったかもしれない。
カルトフリーオではラシェル以外とは食事を共にせず、従妹の睦月とは精々二人だけの小さなお茶会をした程度だったので、私が身に付けた食事の作法はほぼラシェルのものである。
それにしても、一国の王子が何故傭兵なんかやっているのかと弥生は首を傾げた。
「ラシェルは気付いていたんですよね?」
ごろりと俯(うつぶ)せに寝返りを打って問う。
保護者はシーツの上で脱力する弥生へ一瞥をくれた。
「うん、名前を聞いた時に確信したよ」
「それって最初から……。何で教えてくれなかったんですか?」
「人目があったのも理由の一つだけど、王都に着けばいずれ分かることだから。王族がお忍びで出掛けること自体も珍しくない。でもそうは言っても王族と周囲に知られてしまえば旅がし難くなる。こういうことは気付いても黙っているのがお互いのためだね」
「そうなんですか。でも凄(すご)くビックリしましたよ」
若干不貞腐れてごろりと一回転してまた俯せになった弥生が頬杖をつく。
たった数日だが共に旅をした仲だからとコーネリウスは快く手紙を受け取ってくれたが、もし機嫌を損ねるようなことをしていたら門前払いされたかもしれない。知らず知らずのうちに綱渡りをしていたかのと思うと変に疲れてしまった。
王子様なら王子様らしくしてくれれば良いのに。脳裏にカルトフリーオの王子を思い出す。あれはあれで無性に腹が立つので嫌いなタイプだが、あれくらい堂々と俺様を地でいってくれた方が分かりやすい。
不機嫌そうに唇を尖らせる弥生にラシェルが顔を上げる。
「もしかして怒ってる?」
椅子に腰掛け、膝に開いたばかりの本を乗せたラシェルが首を傾げた。
「怒るというか何かモヤモヤします。そういうのは、次からは出来るだけ早めに教えてもらえると嬉しいです」
「分かった。……気晴らしに街でも見て回るかい?」
「うーん、暑いので外に出るのはちょっと億劫かも」
開け放たれた窓からは生温い風が入ってくる。湿気は多くないが、乾いているわけでもなく、中途半端にじんわりと感じる蒸し暑さに弥生はベッドに転がったまま溜め息を零した。
ベッドの上で頬杖をついてラシェルへ視線を戻す。
「そういえばラシェルって旅慣れしてますよね」
唐突に変わった話題にラシェルは一つ瞬きをして頷いた。
「幼い頃は色んな所を旅したからね」
「一人でですか?」
「まさか。母と一緒だったよ」
母、という単語に弥生が跳ね起きた。
「えっ、お母さんと? 二人で?」
弥生は椅子に腰掛けている保護者を見、その親を想像してみた。
しかしこの保護者の更に親となると全く想像がつかない。
「そうだよ」
「危なくなかったんですか?」
つい先日、船でワイアームに襲われたことを思い出す。
女性と子供の二人旅でもしあんな風に襲われたら一溜まりもない。
ラシェルは本を閉じると昔のことを思い出しているのか宙を見遣った。
「母はとても強い人だったから危険はあまり感じなかったかな」
「へえ。ラシェルのお母さんってどんな人ですか?」
「女性にしては豪胆な性格だった。魔獣の群れにも躊躇わずに立ち向かったし、旅する前は元々騎士に属していたからか人助けも沢山した。少し楽観的な部分もあって傭兵をしながら各地を転々とした。母は僕が一人でも生きていけるように、旅の道すがら、自分の使える魔法や剣技、体術を全て教えてくれたよ」
ラシェルとは正反対の性格だったらしい母親を想像してみる。
きっと見た目は美人だったのだろう。男のラシェルでさえ性別を感じさせないほどの美しい顔立ちなのだから、その母親はきっと絶世の美女と言っても差し支えないくらいの美人だったに違いない。それで強くて豪胆な性格。そんな人の傍にいて何故ラシェルはこんなに淡々とした性格になったのだろう。
「お母さんは今どうしているんですか?」
「亡くなった」
「あ、えっと、すみません……」
「いいよ、もう随分昔のことだ」
宙から視線を戻したラシェルが普段通りの淡々とした様子で言う。
本当に気にしていないのか、そういう素振りをしているのか、弥生には判断がつかなかった。
父親も気になったけれど、言及しないということは父親も亡くなっているのかもしれない。
弥生はベッドを下りてテーブルに近付くとラシェルの向かいにある椅子へ腰掛ける。
「じゃあラシェルの物怖じしないところはお母さん譲りなんですね」
ラシェルが眼鏡越しに弥生をジッと見つめた。
それは不思議なものを見るような眼差しだった。
「そう?」
「そうですよ、家族って大なり小なり似るものですから」
保護者は相変わらず読めない表情のまま首を傾げた。
「……うん、そうかもしれない」
ふっとラシェルの雰囲気が微かに和らぐ。
ついまじまじと保護者を見た弥生だったが、無表情は変わらなかった。
それから逸れてしまった話題を思い出して口を開く。
「コーネリウスさんが王子なら、少しは口利きしてもらえると良いですね」
「そうだね。ただ渡すより多少は可能性は上がると思う」
「これでダメなら抗議に行きましょう」
さすがに一度ならず二度までも拒否されたら引き下がれない。
ぐっと拳を握る弥生にラシェルは聞く。
「城内に入れないのにどうやって抗議するの?」
「……‘謁見を求む!’って書いた看板を持って城門の前で座り込みとか?」
「間違いなく門番に引っ立てられるだろうね」
「ああ、やっぱダメかあ」
ぐだっと弥生はテーブルに突っ伏した。
読み書きの勉強でもしようかと思ったが暑くてやる気が出ない。
だらだらする弥生をラシェルが静かに観察している。
日差しの照る外に比べて室内は涼しいものの、何もしなくてもじんわり暑い。
弥生がそれ以上動かないことを悟ったのか保護者はまた読書を再開した。
* * * * *
その翌日、正午を少し過ぎた頃に宿へ訪問者が来た。
昼食を食べ終えて食堂でパシオン独特の飲み方だという冷えた紅茶――恐らく水出し――をのんびり飲んでいた弥生達に声をかけたのは、相変わらず大柄で、旅で使っていたものよりは綺麗で高価だろう頑丈そうな鎧を身に着けたクライヴだった。
「よう、お二人さん」
それにラシェルが会釈をし、弥生も続いて「こんにちは」と挨拶を返した。
弥生とラシェルの向かいにあった椅子へ腰掛けたクライヴは懐から手紙を差し出す。受け取った保護者がその場で封蝋を切って素早く内容を確認し、弥生へ顔を向ける。
「無事王城に入る許可をいただけたよ」
「本当ですか?」
「おうとも、うちの王子に感謝してくれよ」
「はい、ありがとうございます。コーネリウス殿下にもご助力感謝致しますとお伝えください」
手紙には入城許可証が入っていて、出入りの際に必ず門番へ見せるようにとクライヴに注意を受けた。
他にも色々注意事項らしきものが書かれていたけれど、達筆過ぎて弥生には判読出来ず、代わりにラシェルが読んで聞かせてくれた。許可証にはパシオン国王とコーネリウスのサインもあるらしい。
「分かった。それで、これからすぐに来るか?」
クライヴの問いにラシェルが弥生を見た。
「行きたいです」
そういうことでクライヴと共に三人で城へ向かうことになった。
筆記用具などを取りに一旦部屋へ行き、必要な物を手に宿を出て、街の中央にある王城へ歩いて行く。クライヴはそれなりに顔が知られているのか、時折屋台の店主や行き交う街の人々に話しかけられていた。
城門にいた兵士に二人分の許可証を見せて城の敷地内へ入る。
広い前庭が城壁の中にあり、城までは徒歩でそれなりに時間がかかった。
「こっちだ」
クライヴに案内されて正面玄関を抜けて場内へ足を踏み入れた。
外の街は雰囲気が全く違ったけれど、城自体はカルトフリーオとあまり変わらないようだ。敢(あ)えて違うところと言えば、渡り廊下やホールなど吹き抜け部分が多かったり、窓がちょっと大きかったりというくらいか。暑い国なので城全体も風通しの良い造りなのかもしれない。
いくつかの階段や曲がり角をやり過ごして書庫へ辿り付く。
クライヴが開けた扉を潜ればインクの香りと本独特の何とも言えない匂いがする。
それはカルトフリーオの王城にあった蔵書室と似た匂いだった。
書庫内は整然としていて、壁際以外にも大きな本棚がズラリと並び、丸い机が椅子とセットになって複数置かれている。大きな机が一つあり、それを囲むように小さな机と椅子のセットが六角形に配置されていた。三階まであるようだが、カルトフリーオの書庫より随分狭い。
「閲覧禁止のものは此処(ここ)にありますか?」
ラシェルの問いにクライヴが首を振る。
「ああ、そういうもんは別の場所だ。まあ、それ以外でも書庫は他にも幾つかあるが」
なるほど、その分数が少ないのかもしれない。
まだ難しい文字が読めないので弥生はホッと息を吐く。
気付かずに閲覧禁止の本を手に取って追い出されたら困る。
「日が沈んだら書庫は鍵をかける。一応、施錠する前に司書が見回るはずだから閉じ込められるなんてことはないと思うが、そこんとこは気を付けてくれよ」
「分かりました」
それじゃあごゆっくり、とクライヴは手を振って去って行った。
カルトフリーオより狭いけれども、小さな図書館よりは確実に広い書庫を二人で見上げ、とりあえず傍にあった小さな机の一つに荷物を置いてから読む本を探すことにした。ラシェルは司書に大まかな棚の区分を聞いて、初心者向けの易(やさ)しい魔法の本と子供向けの絵の多い本を数冊持って来ると弥生に渡す。
弥生がそれを読んでいる間にラシェルは召喚や転移などに関する本を探しに行く。
しばらくして両手に大量の本を抱えて保護者が戻って来た。
「読める?」
ひょいと手元を覗き込まれて弥生は頷いた。
「ちょっと難しいです。あ、これの読み方は?」
「‘詠唱’ね」
初心者向けというだけあって表現が分かりやすい本だったので少しずつ解読しながらであれば弥生でも何とか読めるものの、たまに分からない単語が出てきては傍に座るラシェルに聞いて、忘れないように自分のノート代わりの無地の本にメモをし、そしてまた読み進めてを繰り返す。
この世界の魔法は火・風・水・土・光・闇の六つの属性に分かれている。魔力保持者は誰でも少なからず何(いず)れかの属性を持つが、火・風・水・土の四つの属性が主で、光と闇の属性は非常に珍しいようだ。魔法にはまず当たり前だが魔力がなければならない。魔力の有無は魔素を見れるか否かで分かる。魔素とは魔力の欠片であり、命の源であり、世界の一部である。抽象的で想像がつかないが、ともかく魔力保持者には魔素が虹色に見えるらしい。魔力の多い者ほどハッキリと魔素を視認出来る。逆に魔力のない者には何も見えないものの、魔道具を使うことで簡単な魔法くらいは扱うことが出来る。
弥生は本から顔を上げて横を見た。保護者がそれに気付く。
「どうかした?」
「私は魔素が見えないので魔力はないってことですね」
「うん。僕が見ても君には全く魔素が宿ってないから、魔力はないね」
魔力がないということは魔法は一切使えない。元の世界へ帰るための魔法を見付けたとしても、一人では行えず、この保護者に協力してもらう他に方法はないのだろう。
ラシェルの言葉に一度肩を落とした弥生が続けて問う。
「虹色に見えるって本当ですか?」
「そうだね、一番近い表現だと虹色かな。正確に言うと六つの色が混ざり合っていて、人によってどの色が濃いかで得意な属性が判る。でも腕の立つ魔法士は自分の魔素を操って、色を隠蔽したり誤魔化したりする場合もあるから判断が難しい」
「なるほど」
弥生は一つ頷いて手元の本へ視線を落とす。
魔法は四つの手順を踏まなければならない。一つ、魔力の形成。二つ、明確な魔法の想像。三つ、詠唱または陣の作成。四つ、精霊への魔力の譲渡。以上を通して初めて魔法は発動される。
一、魔力の形成とは精霊へ譲渡する己の魔力の調整である。この量が多ければ効果は大きくなり、少なければ効果は小さくなる。ただし魔法式の構築次第ではその限りではない。
二、明確な魔法の想像とは生み出される現象の状態である。どのような現象が、どんな規模で、どれだけの時間発生するかを明確に頭の中で考え出すことを指す。
三、詠唱または陣の作成は精霊へ「ニ」の現象を伝えるための手段である。魔法式は使用する魔法について精霊へ指示するためのもので、これは魔法言語と呼ばれる特別な言葉で構築される。魔法言語は文字同士の組み合わせで短くすることが可能。組み合わせて出来たものを魔法式と呼ぶ。これは短く簡潔であればあるほど良いとされている。詠唱は音として口に出して伝えるもので、陣は何かに書き記すことで伝えるものだ。詠唱の場合は陣は必要とせず、陣の場合は詠唱を必要としない。この魔法式の構築内容によっては少ない魔力で大きな魔法を使用することも出来る。
四、精霊への魔力の譲渡とは「一」で調節した魔力の受け渡しである。「二」「三」を行い精霊へ魔法現象を伝えた後にその対価として必要な魔力を渡す。正確に詠唱または陣が成されていない場合、または調整した量が少ない場合は魔法が不発に終わる。受け渡す魔力が本来譲渡する量よりも過剰だと起こる効果も大きくなり、時には使用者の手に負えなくなるので膨大な魔力を譲渡する際は注意が必要だ。
ではここで一つ、例を挙げてみよう。日常的に使われる火の魔法だ。
発動名称は「ファイア」、これで薪に火を点けるとしよう。
まずは譲渡する魔力量を調節する。今回は小さな火で十分なので、必要な魔力量は例えるならば拳一つ分くらいである。それを利き手に集中させて次に薪に小さな火が灯るところを想像する。上手く想像出来たら、今度は詠唱を唱えてみよう。詠唱は「**********」。これで近くに火の精霊の存在を感じるはずなので、その精霊へ手の平にある魔力を流すように渡す。魔法の発動名称「ファイア」と唱えて、目標の薪に想像通りの大きさで火が点けば成功である。発動しない場合は魔力量不足か詠唱を失敗していると思われる。火属性がない者は「ウォーター」で水を出す、「ウィンドウ」でそよ風を吹かせる、「アース」で地面に盛り土を作るなど試してみて欲しい。各詠唱は次頁にて記載。
詠唱部分の言葉は弥生は習っていないので読み取れなかった。
「はあ、何となく分かりました。要は想像して精霊にそれを伝えることが大事ってことですよね?」
本から顔を上げるとラシェルもこちらを見た。
「うん、その通り。魔法は精霊へどれだけ明確に自分の意思を伝えられるかが重要なんだ。魔力の譲渡は足りない分には規模が小さくなるか不発になるだけで問題ないけれど、意思を伝えるための魔法式に問題があると全く何も起こらないからね。もしくは望む結果と違う魔法が起こる」
「あと読んでいて思ったんですけど、魔力が精霊への対価なら、魔法に見合う対価さえ払えば魔力じゃなくても精霊は魔法を起こしてくれる可能性もありません?」
「……よく気付いたね。実際、緑人(みどりのひと)は精霊と同化して――……自身に関する何かを対価とすることで魔法を使えていたらしい。文献によると詠唱や陣も不要だったみたいだから、魔法言語は精霊を見ることが出来ない僕達のような人間が精霊と意思疎通を図ろうとした産物なのかもしれない」
言われて、弥生はふと机の上にいる火蜥蜴に視線を落とした。
弥生が火を点けてとお願いすればこの子はすぐに点けてくれるが、対価らしい対価を払った記憶はないし、そういうものを要求されたこともない。この場合はどうなのだろうかと考える。
そっと小声でそのことについてラシェルに問うたが、流石の保護者も解かり兼ねているようだった。