弥生が起き、コーネリウス達と食堂でお茶をしている間に船がパシオンへ到着する。
彼らと別れて弥生達は荷物を取りに部屋へ戻り、それから甲板に出てしばし時間を潰すことにした。一度に大勢で出入り口に向かうと詰まってしまうため部屋の番号が小さい順――船の出入り口に近い順――から乗客が降りていく。これは旅人のうちでは暗黙の了解となっているらしい。
そろそろ頃合いだと弥生達が船を降りれば丁度コーネリウス達と鉢合わせた。
「もしや、お二人はこれから馬車と交渉をされるのですか?」
コーネリウスの問いにラシェルが肯定する。
「ええ」
「でしたら我々に同行していただけませんか?貴方ほどの魔法士がついていれば心強い。早馬なので他の馬車よりも早く王都に着きます。馬での道中ですが、もし迷惑でなければ如何でしょう?」
チラとラシェルに視線を寄越されて弥生は一つ聞いた。
「私は乗馬出来ないんですけど、ラシェルは乗れます?」
「うん、乗れるよ。一緒に行くなら君は僕と相乗りすれば良い」
問題はなさそうなので頷き返す。特に急ぐ用事はないが誘いを断る理由もなく、弥生は保護者が良ければ構わない。ラシェルも弥生さえ良ければそれでいいので誘いに乗ることにした。
普通の馬車の中に混じって三頭ほど体格の良い馬が別にいる。
どうやらそれがコーネリウス達の使う馬らしく、二人がそれへ近寄った。
首周りから足までがっしりした力強そうな三頭の馬を引き取って戻ってくる。一頭は黒く、一頭は白く、その二頭の後を素直について来る三頭目は柔らかなブラウン色だ。馬達は慣れた様子で二人に先導されて来た。間近で見るとそれも結構な大きさの馬で毛並みが艶やかだ。
ラシェルと弥生は三頭目のブラウンの馬に乗ることになった。
両脇に荷物を括り付けた馬へラシェルはひょいと弥生の脇を抱えて持ち上げる。馬車の乗り降りでよくされているけれど、毎回の如く何か納得のいかない気分になりつつ、前へ乗り込んだラシェルの腰へ腕を回して振り落とされないようにする。
乗馬したことがないと弥生が言ったからか最初はゆっくり歩き、慣らしていくように段々速度を上げて三頭は森の中にある道を走っていく。横を見れば木々がどんどん後ろへ流れるのでそこそこ速いのだろう。
鞍の下から馬が地面を蹴る度に振動が伝わってくる。
若干振り回されているとラシェルが気付いたのか声をかけてきた。
「馬の動きに合わせて前へ行くつもりで、膝は真っ直ぐに…」
「頭突きしたらごめんなさい!」
「乗馬で頭突きされるって斬新だね」
舌を噛みそうだったのでそれ以上は喋らなかったものの、前を行くコーネリウス達にもハッキリ聞こえたのか笑い声が聞こえた。しかし弥生は馬から振り落とされないようにするので精一杯である。
それでも何とかコツを掴んで振り回されなくなってきた頃に一度休憩となった。
細い小川の辺(ほとり)でラシェルが先に降りてから弥生へ手を伸ばす。脇を抱え上げられて地面へ立つと両足が生まれたての小鹿みたいにプルプル震えて歩けず、そのまま近くの木陰に移動される。
「すみません、ありがとうございます」
「どう致しまして。水飲む?」
「あ、はい、いただきます」
差し出された水筒から水を飲んでホッと一息吐く。
よく聞く臀部や太ももが擦れて痛いという事態は避けられているようだが、この半分腰が抜けかかっているのか、筋肉痛になりかけているのか分からない足を何とかしたい。
ラシェルは返された水筒を仕舞って弥生の横に腰掛けた。
「お尻痛くない?」
「それは何ともないですね」
「そう、意外と筋は悪くないのかな」
二人で水を飲んでいる馬を眺めていればクライヴとコーネリウスが来る。
「初めて馬に乗ったらそんなもんさ」
「辛ければ言ってください。まだ速度を落としても十分早く着けますので」
コーネリウスの言葉はありがたいけれど弥生は首を振った。
せっかくの早馬なのだから、出来ればきちんと走らせてやりたい。
「大丈夫です」
それに早馬を使うくらいこの二人は急いでいるのだろう。
だったらそれを邪魔するのは申し訳ないし、自分も嫌だと弥生は立ち上がった。
「ほら、まだ行けます!」
震えそうになる足を何とか踏ん張ってみせればコーネリウスが微笑する。
「森の中ですから、あと一刻半ほど走ったら今日は野宿にしましょう」
「そうですね」
コーネリウスの提案にラシェルが頷く。
もう少し休憩していくと言うので弥生は木陰に座り直し、今のうちに筋肉を解すために足を擦ったり揉んだりしてマッサージをする。その様子を隣で保護者が黙って眺めていた。
しばらくしてクライヴに声をかけられた弥生とラシェルは立ち上がる。
マッサージが効いたのか足の震えは少し弱くなり、また馬の背へ乗って森の中を走る。
今度は休憩なしで一刻半走り続けた。途中で太ももが筋肉痛みたいに痛くなったが弥生は黙っていた。
森の中で少し開けた場所に到着するとコーネリウスとクライヴが馬の速度を落とし、石造りの建物が木々の隙間に現れるとそこで馬の歩を止めた。ラシェルの肩越しに見上げた建物は随分古ぼけている。恐らくもう何年も人の手が入っていないのだろう、壁には蔦が巻き付き、鬱蒼と生い茂る木々に埋もれていた。
「今日はここで野宿ですか?」
「ええ、屋根も残っているのでもし雨が降っても多少は防げますよ」
馬から降りたコーネリウスが建物を見上げた。
クライヴも下馬したのでラシェルと弥生もそれに倣う。
さすがに前回の時のようにいかず、地面に立てないことに気付いたラシェルは建物の前にある階段部分に弥生を下し、それから馬に括っていた荷物を解いていく。座っているのに足が筋肉痛で震えている。何とかマッサージをしてみたがすぐには歩けそうにない。
「どう?歩ける?」
荷物を下したラシェルに問われて弥生は難しい顔をした。
「這いずってなら行けなくもないです」
「駄目なんだね」
ざっくり言い直した保護者は弥生に荷物を持たせ、もう一度抱え上げた。
扉も窓もなくなった建物に入っていくコーネリウスとクライヴをラシェルも追う。中は外ほど荒れておらず、中は広い空間になっていて、正面は三段ほど高くなっており教卓のような石造りのものがあった。何となく教会を思わせる造りである。
その正面の段差に弥生を座らせ、コーネリウス達もその周囲に荷物を置く。
「では我々は狩りをしてきます」
「分かりました」
コーネリウスとクライヴが言って建物を出て行った。
ラシェルは一旦外へ出てそこいらの木から枝を折ってきて、それで弥生の前辺をやや広めに払って土埃などを避けると、また外へ行って建物の周りを歩いて焚火の枝を拾い集めてくる。馬達は繋いでいなかったが逃げる様子もなくラシェルの動きを木陰に座って静かに眺めていた。
その間、弥生は足を丹念にマッサージして何とか動かそうとしていた。
戻ってきて集めた枝を重ねたラシェルが振り向く。
「火蜥蜴は?」
「ラシェルの左肩にいますよ」
保護者は自身の左肩を見下ろしたが、恐らく見えていないだろう。
「火を点けてくれるかい」
ラシェルが声をかければ火蜥蜴はぺろりと舌を出した。
同時に、重ねられた枝からポッと柔らかな火が生まれ、それがゆっくり広がっていく。消えてしまわないよう枝を調節するラシェルの腕を伝って火中へ降りた火蜥蜴は気持ち良さそうに目を細めて消える。
これは便利だねと言ってラシェルはいくつか枝を追加してから弥生の脇へ座った。
森の中の建物はまだ日が落ちていないものの、少し薄暗く、焚火のオレンジの明かりが流れてくる風によってゆらゆらと揺れている。
「ここは教会でしょうか?」
所々隙間の出来た屋根を弥生は見上げた。板張りで壁際の亀裂からは蔦が少し覗いている。しかし石造りだからか頑丈そうで、ちょっとやそっとでは崩れなさそうではあった。
釣られて手を止めたラシェルも上を見、それからぐるりと周りへ視線を廻らせる。
「教会と言うよりも祭壇に近いかもしれない」
「それって何か違いがあります?」
「教会は神に祈る場所、祭壇は神に捧げものをする場所。ほら、この石造りの台は捧げ物を置くためのものだ。多分、昔はこの辺りに町か村があって、そこに住んでいた人々が神へ感謝を表すために祭壇へ色々な物を捧げていたんじゃないかな。今は教会に祭壇も設けてあるけれど昔は別々だったらしい」
教卓のような台を指で示すラシェルに弥生は「へえ」とそれを眺めた。
パチリ、と焚火の中で小さな火花が散った。沈黙が落ちる。
外が少し暗くなった頃、コーネリウス達が獲物を手に戻って来た。体は鶏だけど尾が蛇という変な生き物を二羽――それとも二頭と言うべきか――ほど手にしていて、弥生は思わず身を引いた。
「うわ、何ですかそれ」
「これがコカトリスだよ、嬢ちゃん前に食っただろ?」
「…想像よりちょっと気持ち悪い…」
既に血抜きされて動かないそれをクライヴがラシェルへ引き渡す。
コーネリウスとクライヴはすぐに使ったのだろう自身の剣の手入れを焚火の傍で始めた。
コカトリスは鶏としての頭も体もあるのに、尾羽が本来ある部位から伸びた蛇部分にも頭がついている。聞くと両方しっかり意思を持って襲ってくるらしい。ケルベロスもそうだが一つの体に複数の頭がある場合、一体どの意思が優先されるのか非常に気になるところであった。
焚火から少し離れたところでラシェルがコカトリスを手際良く解体していく。鶏と蛇をまず分けて、鶏は羽根を取って内臓を取って、首から下を足や手羽先などに分けている。蛇の方は皮を剥いで内臓を出したら一口大に切る。途中、荷物から何か小瓶を取り出した。
「それは?」
「塩だよ」
馴染ませるように塩を振って枝に肉を通し、焚火の周りへ差した。串焼き肉のすごく大きい感じだ。
あの美味しかった唐揚げを思えば肉自体がそれなりに美味いのだろうが、何だか実物を目にした後に食べるとなると、少し勇気が要りそうだと内心で思いながら焼けていく肉を見た。
魔法で出した水で手を洗ってきたラシェルが弥生の傍に座り、手を伸ばして肉の位置を調整する。
「でも頭が二つって不便そうですね。お互いにしたいことがある時に喧嘩しません?」
先ほど浮かんだ疑問を口にすると保護者が振り向く。
「そういえば頭同士で喧嘩しているところは見たことがないな。此処二、三年で判明したことだけどコカトリスの本体は蛇の方らしい。鶏の頭は切っても死なないが蛇の頭を切ると死ぬことが証明されて、恐らくそうなんだろうというのが研究者達の見解だ」
「でもどう見ても鶏の方が体の大半占めてますよ?」
「うん、そこが不思議なんだ」
目の前で焼けていく肉をぼんやり眺めて弥生も考える。
「……鶏は三歩歩くと忘れるって言いますから、実は蛇の方が頭が良いとかかもしれませんね。どの生き物でもやっぱり頭の良い方が自然と立場的に優位になりますし」
「その視点で考えたことは無かったな。今度捕まえる機会があったら調べてみようか」
「じゃあわざと同じ攻撃を繰り返して、学習するか試してみてはどうですか?もし鶏が避けずに当たり、蛇が避けたら、少なくとも蛇の方が学習するだけの知能があることになりますよ」
「ふむ、単純だけど分かりやすい方法だ」
「倒しちゃっても食べられますから良い実験ですね」
不意に焚火の向こう側から、ぷっという噴き出す音がした。
見ればコーネリウスとクライヴが笑っている。
訳が分からず保護者と顔を見合わせた弥生は首を傾げた。
「アンタらって、何時も、そんな感じなのかい?」
笑いを滲ませながらクライヴに問われて頷き返す。
「大体こんなです」
「そうだね」
「ははっ、変わってんなぁ!」
よく分からないが二人の笑いのツボに入ったらしい。クライヴは声を上げて大笑いしているが、コーネリウスは口元に手を当てて顔を軽く逸らしている。でもその肩が揺れているので笑っているのは明らかだ。
クライヴ曰く、真面目な顔でくだらない話を真面目に話し合っていたのが可笑しかったのだとか。
弥生もラシェルもかなり本気で話していたのだが、そのことはどちらも黙っていた。
肉が焼けると夕食として四人で分けて食べた。塩を振っただけのものだったが、脂っぽさがあまりなく、淡白で非常に食べやすい肉は相変わらず不思議な味ではあるが美味しかった。
夕食を食べて一休憩入れている間にコーネリウスとクライヴは水浴びをしに行った。
この建物の裏に小さな湖があるそうで、カルトフリーオの時のように寒さに震えながら体を拭くことがなくなったことにホッとした。パシオンは暑い国だから水浴びするくらいで丁度いいだろう。
パチパチと燃える焚火の中にふっと火蜥蜴が現れた。
「君は水浴びしないよね」
肯定するように首を竦めてすぐに消える。
気持ち弱まった火にラシェルが無言で枝をくべた。