宿で目を覚ました弥生はラシェルと共に裏手で顔を洗い、宿の階下で簡単な朝食をとってから首都フォルティスの王城へと向かった。
城下というだけあり、街は早朝から人でごった返している。
人混みを縫うように大通りを進めばカルトフリーオとよく似た城に辿り着く。ただしあちらは白を基調としていたが、こちらの城は淡い象牙色だった。
王城の正門にはやはり騎士が常駐しており、その騎士達へラシェルが声をかける。自らの身分証と封のされた手紙を提示して話す内容は、王城の蔵書の閲覧許可とそれを願うカルトフリーオ国王からの書状の受け渡しである。
「――…こちらにはその旨が記載してありますので国王陛下へお渡しいただきたいのです」
「分かりました」
身分がハッキリしているからか、騎士はすんなり頷いて手紙を受け取った。
「明日もう一度此方へ伺います」
そう一言残し、ラシェルと共に門から離れる。
多忙な国王からすぐに返事を貰える訳もないので、今日は王都を見て回ることになりそうだ。観光も悪くはないだろう。
「許可が貰えるといいですね」
「そうだね」
それから何か見て回りたい所はないかと問われたが、買い物は昨晩済ませてしまったので特になく、とりあえずは王都を散策することとなった。
夜には気が付かなかったが水産物が豊富というだけあって出ている店の軒先には魚介類、真珠や珊瑚に似た装飾品の類がよく並んでいる。食べ物の屋台も肉より魚類の方が圧倒的に多い。
カルトフリーオが寒過ぎるのか、外套を羽織って歩いていると微かに暑いなと思うくらいの気温で、街行く人々もあまり厚着ではない。
休憩がてら屋台の一つで買った魚の串焼きを、広場の噴水の縁に腰掛けて食べる。
「これ何て名前の魚でしょう?」
皮はパリッと、中は柔らかくほろりと身が崩れる魚は塩と仄かなレモンらしき酸味がつけられていて、油っぽさがない淡白な味だった。
「さぁ。でも美味しい」
「確かに」
弥生は小さめの魚だが、ラシェルはなかなかに大きい魚の串にかぶりつく。
買った店のすぐ目の前で食べている二人を見てか、ちらほら屋台では串焼きの魚が売れているようだった。
ふと足元に鳩くらいの大きさの鳥がこちらを見上げていることに気が付いた。お零れが欲しいのか円らな瞳に負けて、自分の串から解し取った魚の身を差し出してみる。
すると人の手を恐れずに鳥が啄ばみ出した。
その様が可愛くて二度、三度とあげているうちに隣りにいたラシェルが止めに入る。
「そのくらいにしないと君の食べる分がなくなるよ」
「あ、」
見れば魚は半分近くまで小さくなっていた。
見上げてくる鳥には申し訳ないが、これ以上はあげられないと指先を軽く払って餌がないことを示せば、鳥はあっという間に飛び立ってしまった。
冷めても味の落ちない魚を口にしつつ、それを見送る。
既に食べ終えて串を持て余したラシェルが「この後は飛竜屋にでも行こうか」と言うので、弥生は残っていた魚を急いで胃へ詰め込んだ。
串を屋台へ返し、来た道を戻って宿の方面へ向かう。
飛竜屋は観光客や旅人が利用するので宿の近くに店を構えているらしい。恐らくワイバーンを象ったのだろう看板が軒先に下がっている。
「いらっしゃい」
店に入るとそこそこ体格の良い中年男性がカウンター越しに声をかけてきた。
「飛竜を一匹、一刻借りたい」
「あいよ、銅十枚だよ」
銅十枚…千五百から二千円くらいかと脳内で計算する弥生の脇で、ラシェルが店主へそれを支払う。店主が金額を数えて合っていることを確認した。
それから店の奥へ声がかけられ、若い、けれどやっぱりそれなりに鍛えているだろうがっしりした体付きの青年がヒョイと顔を覗かせ、こっちに来てくれと手招かれる。
歩き出した保護者について店の裏側に出ると開けた場所があり、その向こうには馬屋ようなものが建っており長い首を伸ばしてワイバーンらしき生き物が首を伸ばしてこちらを見た。青年がそのうちから一匹を連れて戻ってくる。
ワイバーンは背中側は濃緑で腹へ向かって白へグラデーションがかって、表皮は蜥蜴のように艶々しているが光の反射具合からすると硬そうだ。顔つきはワニに近く、蜥蜴の体に蝙蝠の羽根がついた感じは竜といった雰囲気だった。弥生は思わず自分の肩に乗っている火蜥蜴と見比べて、随分大きさも見た目も違うのだなと感心した。
「乗ったことはある?」
青年の問いにラシェルが浅く頷く。
「何度か」
「じゃあ説明しなくても大丈夫かな」
はい、とラシェルが渡された手綱を引き受ける。
ワイバーンもそれに従って数歩こちらへ近づいてきた。大きさは三メートル弱といったところか、下ろされた頭をラシェルが数度叩くように撫で、こちらを振り返る。
「触ってみる?」
「…噛みません?」
「あはは、大丈夫!こいつらは温厚だから噛まないよ!」
弥生の不安そうな言葉に青年が笑い、ラシェルは一歩脇へ退いて場所を空けた。
前へ歩み出てそっと手を伸ばすと長い首が動いて匂いを嗅ぐような仕草を見せる。それから擦り付けるように頭が手へ触れる。ひんやりとしていて予想通り硬い。
意外と可愛いかもしれない。
そう思うのと同時に肩にいた火蜥蜴が不満げにチロリと舌を出した。
「怖がったらどうしようかと思ったけど、問題なさそうだね」
両手でワイバーンの頭を撫でくり回す弥生の様子にラシェルがふっと息を吐く。
青年は店に戻って鞍を持って来て、手際よく二人乗り用のそれを濃緑の背中に取り付ける。鞍は馬につけるようなものだったが、腰の辺りに少しだけ背もたれらしき部分があった。
先に乗ったラシェルに引き上げてもらってワイバーンの背に乗ると視線が一気に高くなった。
「しっかり捕まってて」
言いながらラシェルは弥生の手を自身の胴に回させる。
しがみ付く格好になるが空を飛ぶならばこれくらいは当然だろう。
保護者が手綱を引くとグッと一旦ワイバーンの体が低くなり、次の瞬間には風を伴って跳ねるように飛び上がって青年の「気を付けてな!」という声はすぐに小さくなった。
知らず閉じていた目を開ければ王都が眼下に広がっていた。
遠くを見れば森が広がっていて、更にその向こうは空がある。森の中には大きな川や湖がいくつも点在し、遠くには小さいながらも王都とは別の町が見える。
ラシェルが何事かを呟くと髪を乱していた風が格段に弱まった。
「すごい綺麗ですね!」
王都の上空を飛びながら弥生は声を上げて喜んだ。
ワイバーンという生き物の上は少々心許ないけれど、ラシェルに掴まってさえいれば安定していたし、三百六十度見える景色の美しさに寒さも忘れて見惚れてしまう。
「向こうの川まで行ってみようか」
「はい!」
ラシェルが前傾姿勢を取ると、空中で止まって飛んでいたワイバーンも前へ動き出す。そのまま体を川の方へ倒せば自然とそちらの方向へ飛んで行く。
耳元で唸る風の音も、やや揺れる感覚も、弥生には初めてのものばかりだ。
王都からそれなりに離れている川の辺(ほとり)にワイバーンを下ろし、十数分の飛行から慣れた地面へと足をつけると弥生はぺたりとその場に座り込んでしまった。
「あれ?」
立ち上がろうとしても上手く力が入らない。
「立てる?」
「…無理そうです」
どうやら腰が抜けたらしい。
自分ではあまり怖いと思わなかったのだが、体の方は違ったようだ。
「動かすよ」
一言前置きをし、ラシェルは弥生を抱えると木陰へ移動する。
手綱が離れてもワイバーンは水を飲んだり草地に寝転んでみたりと気ままに過ごすだけで、勝手に逃げるような様子は見られない。
二人で木の下に座り込む。肩に乗っていた蜥蜴が弥生の膝へと降りた。
「すみません」
謝る弥生にラシェルは軽く首を振って否定した。
「いや、いいよ。きっと体が驚いたんだろうね」
「ですかね。でもワイバーンで空を飛ぶって気持ち良いし、景色が綺麗でずっと乗っていられたらなぁって思っちゃいますよ」
「じゃあ一休憩したら今度は王都の上空を一周してみようか」
「次は立てなくなる、なんてこともないと良いんですけど…」
苦笑を零す弥生を励ますように尾を揺らした火蜥蜴の背中を撫でながら、のんびりと目の前の川を眺め見る。川と言っても幅が二十メートル以上はありそうな大河だ。
「この川で獲れた魚も王都で売ってるんでしょうかね」
少し前に食べた串焼きの魚の味を思い出して何とはなしに呟く。
「多分そうじゃないかな」
木の幹に背をもたれかけたラシェルも川を見る。
「釣りとかしたら沢山獲れそうだなぁ。ラシェルは釣りしたことあります?」
「あるけど、労力と収穫が割りに合わないから僕はあまり好きじゃない。釣りよりも魔法で獲った方が効率がいい」
「どうやって獲るんですか?」
聞くと落ちていた小枝を拾ってラシェルが水中の魚を図にし、上に‘魔法’と書いて丸く囲み、そのまま矢印を上から真っ直ぐに水面だろう線へ引く。要するに魔法を水中の魚に当てて気絶したところを回収するという話だった。
労力も時間もかからない効率的かつ意外と豪快な獲り方だ。
そのうち見る機会があるかもね、と言われて曖昧に頷いておく。
落ちた沈黙は穏やかで、暫くの間、弥生は木々の梢や川の流れる音に耳を傾けていた。気温が低くても日差しが暖かい。
眠くなりかけた頃、ラシェルが不意に立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
差し出された手に掴まれば、軽い動作で引き上げられ、休憩のお陰か今度は苦もなく立つことが出来た。
口元に手をやりピィと高い指笛をラシェルが吹けばワイバーンが寄って来る。
最初同様に乗って空へ飛び上がると、宣言通り王都の上空を先ほどよりゆったりした速度で旋回してから二人と一匹は飛竜屋へ戻った。
足は若干震えたものの、今度は腰を抜かさずに済んで弥生は内心ホッとした。
* * * * *
「え、無理?」
王都を散策した翌日、昼過ぎ頃に前日と同じ王城の門へ向かったラシェルと弥生だったが、騎士から告げられたのは入城拒否の言葉だった。
「申し訳ございません。城の蔵書となると門外不出の術法もあるため、一個人のために公開することは出来ないとのことです」
「そうですか、手間をかけました。ありがとうございます」
「いえ」
やはり駄目だったか、と呟いたラシェルに弥生も肩を落とす。
カルトフリーオでもそうだが王城の蔵書は相当数あり、持ち出し厳禁の書籍は少なくない。国暦の本もあれば、歴代の王宮魔法士達が書き記した様々な魔法の術式も保存されており、他国に漏れれば厄介な情報もあるのだろう。
来た道を後ろ髪引かれつつ戻り、宿の借りている部屋へ二人は帰った。
「仕方ない、次の国へ行こう」
食い下がってでもと考え出していた弥生とは反対に、ラシェルは早々に見切りをつけたらしく、部屋に帰るとそう言って荷造りを始めてしまう。
「もう一度頼み込んでみても駄目ですか」
「今代の|エステルノ国王(レイ・エステルノ)は一度会ったことがあるけど、かなり我の強い人で決めたことは覆さない。此処で停滞するよりパシオンの方が可能性が高い。あちらは住む人も国も割合解放的だし、カルトフリーオとの関係も良好だからね」
こうなることを予想していたのか、スラスラと流れ出る言葉に閉口してしまう。ラシェルの言っていることはとても理に適っていて、諦めた弥生も荷物を纏めて保護者と共にすぐ王都を出立した。
昨日よりは少し大きい二人乗り用のワイバーンは鞍の後ろに荷物が纏めて縛り付けられており、重さのせいかあまり早く飛ぶこともない。
美しい景色を眺めながらも王城の蔵書を見ることが出来なかった悔しさに弥生は眉を顰めていた。そのせいか元々少ない会話も更に減っている。
目的が達せられない以上は残っていても意味がないので一島(いちのしま)から九島(くのしま)までを一気に横切ることにし、途中休憩を挟んだものの、ほとんど飛びっ放しのまま夕方頃に九島へ到着した。
疲れているだろうワイバーンを指定の飛竜屋へ返し、船着場へ向かう。
今だぶすくれている弥生の頭を軽く叩いてラシェルも嘆息する。
「今回は残念だけど、全く機会がなくなった訳じゃない。他の国を回ってから改めて陛下伝いに頼むという手もある」
「陛下ってカルトフリーオの?」
「そう、国王陛下を使うのはあまり気乗りしないけどね」
「一度断られたのに?」
「手紙と直接会って頼むのでは大分違うよ」
前向きなラシェルの言葉に弥生はちょっと考え、一つ頷いた。
何度もしつこく頼み込んで頑なに拒否されるよりも少し間を置いてからの方が、案外物事は上手くいったりするものだ。
「分かりました。でもパシオンも断られたら流石に食いつきますよ、私」
「そうならないと良いな」
軽く肩を竦めて見せた保護者に弥生は思わず笑みを零した。