――…ガタンッ!
前触れもなく体に感じた衝撃に弥生はパチリと目を覚ました。
自分がいる場所がどこなのか思い出すために数拍の間を要し、視界に入る自分の膝と隣りにいる人物の膝を認識する。
寝起きのまだ回り切らない頭がちょっと隣りとの距離が近くないかと脳内で囁く。何故こんなに互いの膝が触れているか分からず、のんびり顔を上げた弥生の頭が一瞬にして冴えた。
「おはよう、よく眠っていたね」
端正な顔が眼前にあった。寝起きで美形のアップは気が抜けている分かなり衝撃的だが、保護者本人は微塵も気付いていないらしい。
「…お、おはようございます」
驚愕から立ち直り、寄り掛かってしまっていたラシェルから弥生は体を起こす。同じ体勢で寝たせいか体中が固まって、臀部(でんぶ)も少し痛い。でも気分はすっきりしていた。
送り鐘を聞いてから暫く後の記憶が朧げなので、どうやらその辺りから居眠りをしてしまったようだ。
出立時はまだそれなりに明るかった馬車内も今やランプが燈され、天井から吊さがったそれは車体の動きに合わせて揺れる。
「すみません、寄りかかってしまって重かったでしょう?肩、大丈夫ですか?」
「問題無いよ」
眠っている人なら他にもいるしね。ラシェルが言いながら馬車の中へ視線を滑らせ、それを追い掛って目を動かせば確かに何人かが長椅子に腰掛けたまま眠っていた。熟睡しているのか中には口を開けた状態の人もいる。
そんな姿に笑いそうになったが、ふと別のことに気付いて弥生は保護者に顔を向けた。
「もしかして、寝顔見ました?」
寝ている自分の顔なんて分からないが、少なくとも綺麗ではないと思う。むしろ間抜け面だったんじゃなかろうか。
両頬を手で挟みつつ、そろりと見上げてみればラシェルは一つ頷いた。
「見たね」
「うわー、恥ずかしい…!」
「そう?そもそも君と出会った初日も寝顔を見たけど、それについては問わないの?」
「…それもそうでした…」
溜め息を零し頬から手を離す。これから共に旅をするのだから寝顔の一つや二つ気にしていたら切りがないかと思い直し、上着の裾を正した。
読み終えていたのかラシェルは閉じた本の背表紙を暇そうに指の腹で何度も撫でている。視線は手元に落としたまま、ぼんやりとしているようだった。
やがてガラガラと鳴っていた音の間隔がゆっくりになり、最後に大きく揺れて馬車は停まった。
「何かあったんでしょうか?」
「いや、多分今日の野営地に着いたんじゃないかな」
ラシェルの予想通りか乗客は各々に馬車から出て行く。
弥生達もそれに倣って椅子から立ち上がる。先に降りた保護者は荷台から出るのに手間取る弥生の両脇へ手を差し入れ、ヒョイと地面へ降ろした。子供のようで微妙な心境ではあったが、一人で下車するよりは遥かに楽だったので素直に礼を述べる。
辺りは薄暗くなっており、木々の合間に見える空はオレンジから藍色へ移り変わろうとしていた。
「今日はもう走らないんですか」
「うん。馬のためにも、野営のためにも、余程の事がない限り一日一定の距離しか馬車は進まないよ」
「へぇー」
周囲を見回していれば他の乗客と御者に保護者が話しかけられる。
それを眺めていた弥生は火を熾こす女性の一人に「お嬢ちゃん、そんな所にいないでこっちにおいで」と呼ばれて戸惑った。ラシェルに背を押されてそっと近付く。
「ほら、此処に座りなさいな」
焚火の傍を叩いて促される。
弥生に声をかけてきたのは四十代くらいの、やや恰幅の良い女性だった。
「いきなり話しかけてすまなかったね。何だか落ち着かない様子だったから思わず声をかけちまったよ」
「いえ、ありがとうございます。実は初めて旅をするので何をしていいのか分からなくて…」
「あらまぁ、それじゃあ戸惑うのも無理ないねぇ。分からない事は気にせず誰かに聞くと良いよ。あたしも回数だけは無駄にこなしてるから多少は教えられるしね」
自分の胸を叩いて笑顔で言う女性に釣られて弥生の顔にも笑みが浮かぶ。幾つか生まれた焚火の周囲には女性達と数人の男性がおり、他の人々とラシェルの姿は消えていた。
どこに行ったのか問うと、戦う力のある人々は夕食のために獣を狩るのだと教えてくれた。馬車の旅では食料や飲料水などは現地調達で、決められた野営地に着けば周囲に川や罠などがあるので大抵それで困らないらしい。
弥生や目の前にいる女性など戦えない者は火の番をしながら待つのが常だそうだ。
ワイルドというかサバイバル上手というか、この世界の人々は逞しい。
ちなみにテントは無く、男性は外で、女性は馬車の中で寝る。天気が悪い場合は全員馬車で寝起きする。
この世界では女性優先が常識のようで、しかしだからと言って甘やかすのとはまた違うように弥生には感じられた。
「おや、思ったより早く帰って来たね」
話していた女性が弥生の背後に視線を向けて朗らかに笑う。
振り返れば森に入っていた人々がぞろぞろと戻って来るところで、体格の良い男性数人が仕留めた獲物を担いでいた。
焚火の傍に重そうな音を立てて下ろされた獲物は角がやけに鋭い鹿みたいな生き物だった。下手したら弥生より重そうだ。
沢山の枝を手に最後尾を歩いて来たラシェルに立ち上がって駆け寄り、労いの言葉をかけようとして弥生は小さく噴き出し出した。
「頭に葉っぱがついてますよ」
「あぁ、気付かなかった。ありがとう」
腕を伸ばし黄茶色の髪に絡み付いた葉を摘む。せっかくの長い綺麗な髪が乱れてしまって何だか勿体ない。軽く全身を払って他の葉を落としたラシェルは特に気にした様子もなく、幾つかある焚火に抱えた枝を分けていった。他にも集めた人がいたのか焚火の傍には枝の小山が出来る。
狩ったばかりの獲物は女性達によって解体され始め、今まで焚火の傍にいただけで何もしていなかったは弥生は手伝わなければと声をかけた。
「あの、私も――…」
「あら、ありがとう。でも大丈夫だから、お嬢ちゃんは火に当たってて良いのよ」
と、逆に押し返されてしまった。他の女性も何故か弥生の申し出を断り、挙げ句の果てには近くにいた人達にまで待つよう諭される始末である。
殆(ほとほと)手伝わせるつもりがない人々の対応に肩を落として帰ってきた弥生をラシェルは自身の隣りに迎え入れた。焚火の周りに敷かれた厚手の固い毛布へ腰を下ろす。
「どうして手伝わせてもらえないんでしょう」
程好く勢いが出始めた焚火に枝を放り込んだ保護者はチラリと横を見、視線を炎へ戻して言った。
「君の容姿が関係しているんじゃないかな」
「それって、」
「小柄で顔立ちも幼く見えるから、例え君が成人していてもつい子供扱いしてしまうんだろうね。こればかりは仕方が無い」
つまり申し出を断られたことも、ラシェルの下へ行くよう促されたことも、全ては童顔のせいだった訳だ。年齢に関して訂正する気力も失せてしまった弥生は落ちていた小枝を焚火に投げ入れる。
その枝が燃える様を眺めていると、火中から見覚えのあるものが顔を覗かせていることに気が付いた。やけに懐いていた、あの火蜥蜴(サラマンダー)だった。
ええっ、ついて来ちゃったのか!
同じ色味の炎の中で心地好さ気に細い舌をぺろっと出す姿に呆れてしまう。
「ラシェル、ちょっと…」
「?」
周りに聞かれないよう声量を落として声をかければ、小首を傾げつつも保護者は意図を理解して耳を寄せる。弥生もその耳に顔を近付け、囁く。
「前に蔵書室で見た火蜥蜴、覚えてます?」
「覚えてるよ」
「どうやらあの子、私達について来ちゃったみたいなんですよ」
焚火の中にいる旨を告げれば「君、結構懐かれたんだね」などと保護者はのんびり言う。火蜥蜴が応えるように体を震わせれば火の勢いが少しだけ強くなり、薪が小さく爆ぜた。
「王城の精霊連れ出して怒られませんかね?」
「見えないから、消えても誰も気付かないでしょ」
「あ、そっか」
「何より旅に火は不可欠だ。居てくれる方が何かと助かる」
火蜥蜴はつぶらな瞳を数回瞬かせた後に焚火の中でフッと掻き消える。世界の一部と言われる意味が何となく分かった。景気良く燃える炎で少し顔が熱い。
ラシェルもそう感じたのか薪を崩して火の加減を弱めた。
それから暫くすると先ほど話していた女性と数人の男性達が来て、肉がたっぷり入った鍋が夕食になった。鹿みたいなやつは見た目通り癖のある味だったが慣れてくると意外に美味しい。子供だと思われているからか沢山食べるよう進められたけれど、弥生は有り難く遠慮し、保護者が代わりに食べさせられていた。
何度か一緒に食事をしたが、細い容姿に見合った量を食べていた記憶が弥生にはあった。だからこそ、大量の夕食を顔色一つ変えずに消費していく姿に唖然とした。良い食べっぷりだと笑う中年男性に絡まれても表情と食べるスピードに変化は表れず、逆に心配になってラシェルの肩を叩く。
「そんなに食べて平気ですか?」
「流石に後で運動しないとこれは太るかもね」
的外れな回答を真顔で寄越され、弥生は溜め息混じりに首を振る。
「いや、そうじゃなくて。ちょっと食べ過ぎてませんか?」
「あぁ、そっちか。量は問題ない。まだ食べられるよ」
「……実は大食漢なんですね」
一体その体のどこにそれだけの量が入るのか不思議に思いながらも、食事をする保護者を横目に器を置く。食事量は人並みの弥生だが体を動かす機会がなかったせいか、早々に満腹になってしまった。
気分的には寝転がりたいのだけれど人目がある上に野外なので我慢するしかない。空を見上げると何時の間にか月や星が輝いている。
この世界には宇宙も天体もない。根となる概念の不在にも関わらず夜空に星があるのは少し怖い。魔法が存在する時点で未知の世界だが、知っているはずのものが自身の常識と食い違うう度に薄ら寒い思いを感じるのは仕方のないことだろう。
小さく頭を振って視線を戻せば食事を終えた保護者が丁度器を置くところだった。外見上は食事前と全く変化のないラシェルの目の前には空になった鍋――…が、二つに増えている。
「そのうち、食べ過ぎでラシェルのお腹がはち切れたらどうしましょうか」
「それは由々しき事態だね。そうなったら裂けた腹部は縫い合わせようか」
そんな七匹の子ヤギ的展開は嫌だ。冗談なのか本気なのかイマイチ判断のつかない保護者の言葉に「お裁縫は苦手です」と返しておく。
弥生とラシェルの会話を聞いていた他の人達は堪らずといった体で噴き出した。
笑い声を聞きながら保護者に一言断って、長い黄茶色の髪に触る。乱れたまま放置されていた髪がずっと気になっていたのだ。正直手櫛は良くないのだが、櫛は生憎馬車の中。出すにはラシェルの手を煩(わずら)わせてしまうので軽く整える程度にしか出来ないが、それでもしないよりマシだろう。
緩く纏められていた髪紐を解き、手で頭の天辺から腰下まである髪先へ梳いていく。髪自体の質は良いが、途中で絡まったり引っ掛かったりして勿体なく思う。しっかり手入れをすればもっと良い指通りになるのに。
「楽しい?」
焚火を眺めるラシェルの問いに弥生は深く頷いた。
「はい、とっても。どうしてこんなに髪を伸ばしてるんですか?」
「理由は無い。切る必要性と機会がなかっただけだよ」
「長いと洗ったり乾かしたり、色々面倒臭くありません?短い方が絶対楽ですよ」
「そう言えばそうだ」
慣れているから考えなかったと言う保護者に思わず笑う。
そんな風に半ば遊んでいた弥生が声をかけられて振り返ると、最初に話しかけてくれた女性が立っていた。女性は申し訳なさそうに、けれど笑顔で口を開く。
「遊んでるとこ悪いけど、お嬢ちゃん借りてくよ!」
「はい、よろしくお願いします」
「任せといてちょうだい。さあ、一緒に身綺麗にして来ようね」
振り向いたラシェルが女性に軽く頭を下げて弥生の背を押した。女性は強くも弱くもない力で弥生の手を掴んで立たせ、歩き出す。振り返れば保護者が小さく手を上げてこちらを見送っていた。
ついて行けば他の乗客の女性達もおり、森の中を少し進むと川があった。その辺(ほとり)にも小さな火が幾つか熾こされて大きな鍋で湯が沸いている。着くと幾つかの盥(たらい)に湯と川の水が入れられ、女性達は湯加減を確かめてから上半身の服を脱いだ。
「いいかい、これをお湯で絞って身体を拭くんだよ。またお湯に浸ける時は一回川の水で洗ってからね」
渡されたのは少し目の粗いハンカチくらいの布で、他の人々もそれで腕や身体を拭き始める。教えてくれたその人もあっさり服を脱ぐと布を湯で絞り身体を拭く。
弥生も戸惑いつつ上着を脱ぎ、着ていたワンピースを腰辺りまで落として布を湯に浸し、絞ってから肌着を脱いで腕や首などを拭っていった。外で肌を出すのは酷く落ち着かない。それに寒い。かと言って焚火に寄ると明かりに照らされて余計に恥ずかしい。
周囲の女性達は慣れているのか気にした様子がなく、隣りにいた若い女性なんかは弥生の背を前触れもなくペタッと触った。
「やだ、貴女すごく綺麗な肌してるじゃないの」
「あら、本当だわー。若いって羨ましい!」
「ちょっと黄色っぽい変わった色だけど、きめ細かいわねぇ」
「え?あの、ええっ?」
若い女性を皮切りに他の女性達まで弥生の肌を撫でたり触ったりするものだから、拭くことが出来なくなる。
それに気付いた女性の一人が謝罪と共に背中を拭いてくれた。すると今度は皆が便乗して互いの身体を拭いたり触ったりとちょっとした騒ぎになった。
何とか騒ぎから抜け出して隅でちょこちょこ身体を拭い終え、服を着直した弥生はホッと一息吐き、洗い直した布で髪も拭う。短い髪だからこれで大丈夫だろう。女性達はまだ楽しげに拭き合っている。
「慣れるまでは恥ずかしいだろうけど、裸の付き合いってのも案外悪くないもんだよ」
同じく拭き終えたらしい気さくなあの女性が隣りに座る。布は近くに掘られた穴へ捨てた。弥生のいた現代の世界と違って化学繊維などが一切使われていないから問題ないのかもしれない。
「他の人を疑うつもりはないんですが、覗きの心配とかってありませんか…?」
「そりゃ勿論あるよ。でもそんな事やるような奴は袋叩きにされるか、下手したら御者に相乗りを嫌がられて置いて行かれるからね」
「容赦ないですね」
「まぁね。それくらいじゃなきゃ、男と女が大勢で旅なんざやってらんないってことさ」
パシリと膝を叩いて女性が立ち上がる。殆どの女性も身体を拭き終えたのか川に盥の中身を捨て、鍋に水を入れて火にかけ直し、馬車の方へ戻る。
今度は男性の番だが、二手に分かれて先と後に行く組が自然に出来ていた。男性が常に野営地にいることで何かあっても対処出来るようにしているようだ。
ラシェルは後に行く組らしく火の傍に座ったままで、弥生はその隣りへまた腰を下ろす。
一緒に居てくれた女性は、また後でと離れて行った。
「寒くなかった?」
火へ枝を投げながら問われて頷く。
「少し寒かったです。それよりも、女性の勢いのすごさを思い知りました」
「うん?身体を拭いて来ただけだよね?」
「そうなんですけど、一緒にいた人達に物珍しげにペタペタ触られてビックリしました」
「なるほど、君の肌は少し黄色味がかって確かに珍しい色合いだ」
確認するように頬をつつかれる。
火に照らされるラシェルの顔は白く、思い返してみると、今まで会ってきたこの世界の人々は皆色白だ。黄色人種の弥生が珍しがられるのも当然だろう。
二、三度つつくと満足したのか指が離れていった。 ラシェルが口の中で何かを呟き、目の前で手を握ると、柔らかな風に一瞬包まれた。
「これで服の汚れは取れたはずだよ」
開かれた手から弥生の服に付いていたのだろう微量の砂埃がサラサラと落ちる。
魔法を使ったのだ。便利だが、やはり未知のものに対する恐怖なのか、はたまた嫌悪感なのか、言葉に表せない気持ちが胸の中に蟠(わだかま)る。
「…ありがとうございます」
「どう致しまして。嫌かもしれないけれど、汚れたままでは良くないから我慢してもらえたら助かるよ」
「……はい」
保護者も同様に服の汚れを落とす。
魔法の詠唱は音自体は聞こえるのに言葉は聞き取れず、右から左へ流れてしまう。普段使っている言葉とは異なる言語なのか、いずれにせよ魔法が使えない弥生には今のところ意味がないことだった。好きではないが帰るためには魔法が必要で、その歴史や理論、構成方法もやがて学ばなければならないのだから感情に流されていてはいけないだろう。
それらの知識は弥生の中にまだ入っていない。
旅にもう少し慣れて読み書きが上達してから、そちらも教えを請うつもりだった。
やがて先に汗を落とした男性陣が戻って来て、ラシェルは敷いてあった厚手の布から立ち上がると上着を軽く払う。
差し出された手を掴めば引き上げられ、立った弥生は馬車まで先導された。
「それじゃあ僕も身体を拭って来るから、君は先に寝てると良い」
「分かりました。行ってらっしゃい」
「うん、行って来る」
馬車から目の粗い布と毛布の入った袋を取り出し、入れ代わりに荷台へ弥生を乗せて他の男性達と共にラシェルは森の中へ消えてしまった。背が見えなくなってから幕を下ろして馬車の中へ頭を引っ込める。
既に何人かの女性が乗り込んでいて、長椅子に腰掛けお喋りに興じるその脇を邪魔しないように通り、昼間ずっと座っていた場所に行く。椅子の下から袋を出し、更にそこから毛布を拝借してそれに包まって長椅子の隅に横になった。場所を取らずに済むよう体を丸くする。
目を閉じ、ゆっくり呼吸を繰り返し、体の力を抜く――…しかし睡魔は訪れない。いつもなら眠れるはずなのに落ち着かない。そのまま長いこと横になっていたが結局眠れず、時間だけが無駄に流れていった。
他の人の話し声が煩い訳でも、馬車に女性が入ってくるのが気に障る訳でもない。新しいことだからけで疲れていても何故か眠気はやって来なかった。トランクを枕にしてみたけれど頭が痛くなるばかりで余計眠れない。
諦めて起き上がった弥生に話をしていた女性達が振り返る。
「あら、煩かったかしら?ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。なんだか上手く寝付けなくて…」
「それは良くないわ、きちんと眠らなきゃ駄目よ?」
そう言われても、眠れないものは眠れないのだ。どうしようもない。毛布に包まり、もだもだと意味もなく身じろぐ弥生を見て女性達は顔を見合わせる。
それからその中の一人に手招きをされて椅子の上をズルズルと擦るように移動して行けば、がっちり腕を掴まれ、別の女性が馬車から降りた。
暫くすると出て行った女性は戻ってきて、その垂れ幕の隙間から保護者がひょっこり顔を覗かせる。驚く弥生を上から下までザッと見てラシェルが首を傾げた。
「寝付けないって聞いたよ。どうかしたの?」
「え?あ、いや…」
「どうしたもこうしたもないよ。この子、旅は初めてなんでしょう?」
「やっぱり知らない大人の中では眠れないんじゃないかしら」
要約すると‘慣れない場所で一人は心細いのだから、同伴者と一緒にいた方が良い’という旨を女性達はあれこれと言い、それらを一通り保護者に伝え切ると弥生を馬車の後方へ押し出した。
勢いが付いて落ちかけた弥生をラシェルは難無く受け止め、女性達はそれを見て満足げに馬車の幕を下ろしてしまう。中途半端に荷台から飛び出した上半身を戻すべきか考えあぐねている間にラシェルが毛布ごと弥生を抱え上げた。
すぐに下ろしてもらえるとばかり思っていたのに、保護者は焚火まで弥生を抱えて歩く。
「ちょ、歩けます!下ろしてください!」
「君の身長だと下ろしたら毛布を引きずるよね」
「持ち上げて歩きます!」
「そう、はい到着」
時間稼ぎの言い合いか、決着がつく前に厚手の布の上へ下ろされる。そこには数人の男性がいて、微笑ましげな表情だったりニヤニヤしていたりと様々だ。
本来女性は馬車で寝るべきなのだが、子供扱いされているからか誰も口を挟まない。
「君は順応性が高いのかもしれないけど、始めから我慢していたら身が持たないよ」
「……でも、本当は子供じゃないです…」
「そうだね。でもどれだけ教養があっても、僕からすると君はまだまだ子供だ。保護者としても、師としても、無理は止めて欲しい」
「…ラシェルの言葉って正論過ぎて耳が痛いです…」
毛布玉になっている弥生のすぐ横にラシェルも腰を下ろし、毛布を羽織る。火の暖かさか寒さが和らいでいるようだった。
野営地を見渡すと囲むように半球状の薄い硝子みたいな膜が見える。たまに虹色に揺らめく様がシャボン玉を彷彿とさせた。炎の光りと相まって神秘的な輝きを映す半球の内側を興味深げに見上げる弥生に、ラシェルも黙って自身が作り上げた防寒と保護が目的の魔法障壁に顔を向けた。
暫くはそうして会話もなく見ていた弥生も眠気が来たのかウトウトと船を漕ぎ出し、間を置かず眠りへ落ちていった。やはり慣れない環境と見知らぬ人々の中で気を張っていたのだろうか。
いつ倒れるやも知れぬ不安定な前のめりの体を下敷きの毛布へ寝かせ、ラシェルは自分の分の毛布もかけてやりながらその隣りに横になり、完全に脱力し切っている小柄な体は腕の中へ抱き寄せると少し冷たい。寒さに慣れていない様子の弥生が風邪を引いては困る。焚火側を弥生に譲ってラシェルは森へ背を向ける格好なら多少なりとも寒さが軽減されるはずだ。毛布を巻き込んで風の入る隙間を減らせば規則正しい穏やかな寝息が聞こえてきた。
それを子守唄代わりに目を瞑る。周囲の視線を多少感じたが気にせず眠りについた。