どちらのものか分からない薬指を双子の死体の間に置く。
四人目の被害者については午後か、もしくは後日尋ねれば良いだろう。
五人目の被害者の布を取ると伯爵はわたしを振り返って、「見るか?」と何やら確認するように問いかけてくる。
見るに決まっている。ここまで来て見ないなんて理由はない。
伯爵の隣りに座って少女の死体をジッと見つめる。
わたしとそう歳も変わらない血が抜けて真っ白になった細い体は腹部から切り裂かれていた。
それも他とは違い随分と乱暴に扱ったらしく、裂く、というよりも切り取ると表現した方が正しいかもしれない。
パックリと開いた腹部は赤黒く淀んでおり姿形が綺麗なだけにその部分だけが酷く歪(いびつ)に見える。
無理矢理引きずり出したのか内臓が少しはみ出していた。
伯爵が腹部の状態を調べているとふとその手袋に血とは別のもの付いていることに気付く。
「伯爵、失礼します。」
手からそっと慎重に剥がして蝋燭の光りの下に行く。
「何かあったのか?」
「えぇ、…これは花弁…でしょうか?」
色は血で染まって分からないけれど大きさ的に見てもそんなに大きくないものだろう。
犯人に関係するのか、それとも発見現場で偶然入ったものか。
指と指輪、それからこの花弁のことも調べる必要がありそうだ。
他の死体を伯爵が検分している間、わたしは汚れた手袋をゴミ箱に捨てながら午後の予定を立てておくことにした。
昼食後、恐らく伯爵は警察へ行くだろうがわたしもそれに着いて行くことにしよう。
その後は別行動させてもらって指輪のことを探るとするか。
「お前は良いのか?」
検分を終えた伯爵が汚れた手袋を捨てながら聞いてくる。
それに頷いて返せばそうかと言って部屋から出て行く。
わたしもその後ろへ続いて部屋を出て、元のホールで先ほどの受付の女性に軽く礼を述べてから安置所を後にした。
死臭を漂わせているせいか入り口に立つ男達の表情は硬い。
待たせていた馬車に乗り込み屋敷に戻る旨を告げて腰掛けると馬車はすぐに走り出した。
「では一旦屋敷へ戻りましょうか。」
「あぁ。早く湯浴みをしたいな。」
「そうですね、流石にこの匂いを纏わせたままでは周囲にも迷惑になりますし。」
御者も後で馬車を綺麗にするだろうが、匂いを取るのに苦労するだろうな。
お疲れ様ですと心の中で労いつつ椅子へゆったりと腰掛ける。
静かな馬車の中にはガラガラと車輪の音が響く。伯爵は何か考えているらしく手を口元に添えたまま微動だにしない。
そんな伯爵をわたしはぼんやりと眺めた。
黙っていれば伯爵は美形だし地位も高いしさぞ女性にモテるだろう。が、残念なことに彼はあまり女性に興味がないらしい。
しかも口を開けば厭味を言ったりするし――まぁ、わたしは気にしないのだが――、死体や殺人現場を見る機会も多いためお買い得物件だと言うのに伯爵には女性の影が全くない。
勿体無い。伯爵なのだからさっさと奥さんでももらって、ちゃっちゃと子どもを作ってしまえばいいのに。
いっそのこと伯爵に気のある貴族の娘でもけしかけてみようか?
ふっと視線を上げた伯爵がわたしを見て眉を寄せた。
「お前、今良からぬ事を考えていただろう?」
「まさか。気のせいですよ。」
…無駄に勘の良い人だ。
ヘラリと笑うわたしを疑心の残る表情で暫し見つめてから、また思考の海に耽っていった。
わたしもそれ以上伯爵について考えるのを止めて流れて行く車窓の景色を眺めることに徹することにした。
屋敷へ到着すれば出迎えに出た執事や侍女へ上着などを任せて真っ直ぐに浴室へ向かった伯爵に苦笑しながら、わたしも自室へ戻る。
わたしの部屋には小さいが専用の浴室があるのでそこを使うのだ。
それなりに地位の高い使用人には更に地位の低い使用人がついたりする場合もあるが、基本的にわたしも伯爵と同様に人に触られたりあれこれと世話をされるのが嫌いなので一人でほとんど行っている。
浴槽に半分に切ったオレンジを浮べて湯船に浸かる。
柑橘系の爽やかな香りで使えなくなっていた鼻がようやく元に戻った気がした。
体に汚れはないけれどしっかり洗っておかねば匂いが残ってしまうと、高価な石鹸を泡立てて専用のブラシで全身を擦る。
一緒に髪も顔も洗ってサッパリした気持ちで湯船にもう一度浸かり直していたら濁った硝子で出来た扉の向こうに人影が揺らぐ。
とっさにブラシを掴んで何時でも投げられる体制をとったが、聞こえて来た声は聞き慣れたものだった。
「――…セナ、私だ。」
「…伯爵?どうかしましたか?」
主人の声にブラシを手離す。
もう入浴を済ませたようだ。鴉の行水な彼のことだ、さっさと入ってさっさと出て来たに違いない。
だが男は紳士的であれと言う伯爵が女性の部屋に無断で入るだなんて珍しい。
硝子越しのやや聞こえ難い声が言う。
「私は警察へ向かうが、お前は娼婦の身辺を調べて来てくれ。」
「はい、元よりそのつもりでしたが。…急に何です?」
「いや、お前は女を口説くのに慣れているだろう?娼館へ行くなら適任だと思ってな。」
「……湯をかけられたくなければ、さっさと警察の所へ行ってください。」
わたしの言葉に伯爵が笑いを含んだ声で謝罪の言葉を紡いだが全く持って心がこもっていない。
硝子の向こうにいた人影が消えるのを確認してから湯船から上がる。
そっと浴室の扉を開ければパタンと部屋の扉が閉まる音がした。
伯爵も十分わたしに対して失礼だと思うんだけど気のせいだろうか?
タオルで全身を拭いて浴室から出る。
新しい服に身を包み、濡れた髪を手早く乾かしてわたしも部屋を出た。
使用人であるわたしが馬車を使う訳にもいかないので、聞き込みは徒歩で行くしかない。
あぁ、面倒臭いと思いながらも足が自然と歩き出す辺り、わたしも立派なアルマン家の使用人だろう。