QUARTO CASO:Persone sbagliate.
過労で倒れる、などという失態から一月。そしてこの世界に来てから約一年、良くも悪くも今日も穏やかな一日だ。
あれから最低月に二、三日の休みをもらえるようになった。
事件さえ起きなければ毎日休みのようなものだから、正直わたしにはあまり変わりがない気がするんだけど。一週間くらい休ませてやると言う伯爵とちょっとした攻防戦をした結果、休みを短く出来たわけだ。
吐き出した息の白さに体が僅かに震える。ツェーダの街は今日も寒い。
「セナ、見て見て!」
道に面した店のガラスに顔を寄せていたイルがわたしの名前を呼ぶ。
この前の事件で活躍、とまではいかないまでも頑張って伯爵についていったので今日はご褒美としてイルとわたしは休みをもらった。
ご褒美という言い方は変かもしれないが、イルに何か買ってあげようと思い一緒に出かけたのだ。
本やちょっとした玩具、お菓子など普段伯爵があげなさそうな物をもう幾つも買い込んでしまった。怒られそうな気もしたが、その時はその時である。
「イル、大きな声を上げてはいけませんよ。」
「はぁーい。」
何だかんだ言ってこの一月の間は伯爵がわたしの体調を気にして外出も控えていたからか、イルは久しぶりのお出掛けに嬉しそうだった。
わたし自身もやっと解放された気分である。過保護な気がしないでもないが、わたしを心配してやってくれていることなので伯爵の言葉に強く出られなかったのも引きこもっていた原因だろう。
ガラス越しに店を覗き込めば綺麗な懐中時計が飾られている。
そういえばイルは時計を持っていない。
基本的にわたしと行動しているので時計を見る必要性を感じていないのかもしれない。落として壊してしまう可能性もあるけれど、今後は必要になってくると思う。
イルもわたしも、何時までも一緒というわけにはいかないし。
「イル、時計も買っていきましょうか。」
わたしの言葉にブラウンの瞳が丸くなる。不思議そうに見上げてきたイルの頭を優しく撫でてやりながら、店に促す。
落ち着いた店内には時計の針の音だけが静かに響いている。
声をかけると奥から店主がやってきて、わたしとイルをマジマジと見た。
「おやおや、お使いですか?」
やっぱり子供と間違われた。もう諦めるしかないんじゃないかと思うくらい、本当に子供と間違えられる。それに首を振って笑みを浮べた。
「いいえ、この子用の懐中時計を買いに来ました。」
「あぁ…それは失礼しました。どのような物を御捜しですかねぇ?」
「そうですね…。イル、どれがいいですか?」
並べられた時計を口を開けて眺めていたイルに問えば、悩むように眉を下げる。
店主が苦笑して様々な形や大きさの懐中時計を見せてくれた。
どれも繊細な細工が施されており、一種の芸術品のような美しさがある。
わたしには伯爵からいただいた懐中時計があるので今回は買わないが、私用に一つ欲しいと思ってしまうくらいには良い物ばかりだった。
悩んで悩んで、ようやくイルが選んだのはわたしが持っている懐中時計より少し小さめで、並べられた時計たちの中でも比較的装飾が控えめなもの。蓋部分に彫られているのは百合か何かの可憐な花だ。
「それで良いんですか?」
「うん、ボクこれがいい。」
値段もそれなりにするものだったが懐中時計は結構長く使う代物なので下手に安いものを買うより、高くてもしっかりした物の方がいい。
店主に時計の代金を支払い、大事そうに懐中時計を持つイルに振り返る。
落とさないようポケットへ入れてチェーンをボタンにひっかける。これならもし落としそうになってもチェーンのお陰で大丈夫だろう。
上着の上から嬉しそうに何度もポケットを撫でるイルに微笑み返しつつ店主に礼を述べて店を出た。
そろそろ昼近くになったし屋敷へ帰るとしよう。
「さて、買う物も買いましたし屋敷へ帰りましょうか?」
「うん!」
荷物を持っていない方の手を繋いでゆっくりと大通りを歩く。
たまにはこんな風に買い物するのも楽しいな。イルも同様だったのか「またお買いものしようね!」と見上げてくる。それに頷いて石畳を踏み締めた。
屋敷に戻ると見慣れた家紋をつけた馬車があった。
イルは気付かなかったのか玄関扉を開けて盛大に「ただいま戻りましたー!」と入って行く。きっと伯爵のところまで聞こえているだろう大声に苦笑しながら、わたしも屋敷の中へ入る。
伯爵ではなかったが執事に捕まったイルはさっそく注意されているようだった。
それでも楽しい気持ちを壊さないよう配慮してくれたのか、執事の注意はかなり軽いもので、イルも素直に頷くと荷物を部屋へ置きに一目散に駆けて行ってしまう。
遠くから使用人に走ってはいけないと注意されている声が聞こえて思わず笑ってしまった。
「セナ、貴女にお客様がいらしておりますよ。」
「リディングストン家の方ですね?」
「はい、エンバー様が。」
「分かりました。ありがとうございます。」
執事に礼を言って客間に向かう。珍しいこともあるものだ。キースは軽い雰囲気があるけれど、実は礼儀正しいし節度も弁えている。いつもなら先に手紙か何かで前もって連絡をくれるのに、今日は何もなかった。
事件が起きない限りわたしも暇な人間なので勿論いつ来てくれても構わない。友人同士だしそこまで細かく言うつもりもない。
客間の前で一度立ち止まり、襟を整えてから扉をノックする。
中から聞こえて来た声におや?と思いながらドアノブを捻って部屋へ入ると予想通り伯爵がいた。
向かいのソファーにはキースがいて、わたしの顔を見ると眉を下げる。
「いきなり押しかけてごめん、セナ。」
申し訳なさそうに言われて首を振る。見知らぬ人間ならいざ知らず、友人ならば押しかけられても迷惑などとは思わなかった。
恐らく待たせている間の話し相手にでもなっていてくれたのだろう。
伯爵は紅茶を飲みつつ座るよう目線で私を促してきた。
それに甘えてキースの隣りに人一人分の間を開けて腰掛ける。正面にいる伯爵は我関せずといった体だったので改めてわたしはキースに向き直った。