瀬那が眠ったのを確認し、クロードはゆっくりと瞼から手を離した。
体調不良のせいでやや早い呼吸ではあるが、やはり疲れていたようでグッスリと眠っている。
言われた通り、看病なら執事にも出来た。
彼なら瀬那の性別も知っているし、任せる事も問題無い。
だが倒れてしまうまで瀬那を働かせてしまい、それに気付かなかったのは自分の責任なのだから、看病は自分がして然るべきだと考えていた。
眠る瀬那の顔を見る。
――お、下ろしてください…!
熱だけでは無いだろう、顔を赤くして慌てて離れようとする姿がふと重なった。
普段は性別などこれっぽっちも意識していない癖に、偶にああして女である事を自覚されると此方としても堪ったものではない。
「お前はもう少し女である自覚を持て。」
柔らかそうな頬を軽く指で撫でていれば、うるさそうに眉を顰めて顔が背かれる。
どうせ仕事も無いのだ。今くらいゆっくり休め。
毛布の上から更に布団をかけ、クロードは立ち上がる。
起きた時の為に消化の良い物と水を用意しておこう。
もう一度瀬那が眠っている事を確かめてから、そっと部屋を出た。
廊下を歩いていると数人の使用人に話しかけられる。皆一様に瀬那の身を案じていた。
過労だと述べた時の顔と言ったら例え様もない。
瀬那の休みを進言する者もいれば、中には瀬那が仕事を手伝っていたらしい者もいて、そういった者は次から絶対に瀬那に仕事を手伝わせないよう注意しておいた。
が、聞けば聞く程に瀬那が屋敷のあちらこちらで手伝いをしていた事が分かる。
時には調理場の、時には掃除の、時には庭師の手伝いまでしている始末である。
これでは事件があろうと無かろうと疲れる訳だ。
事件の無い日は余り見かけ無いと思っていたが、それにはこういった理由があったのか。
クロードの口から知らず知らずの内に溜め息が零れ落ちた。
調理場へ足を運んでいると、パタパタと軽い足音が聞こえて来る。
瀬那ではない。と、すると十中八九イルフェスだろう。
少し立ち止まっていれば案の定、曲がり角から飛び出して来たイルフェスが目を見開いた。
「伯爵!」
「イルフェス、廊下は走るなと言っているだろう。」
「あ、ごめんなさい…。」
シュンと肩を落とすイルフェスの頭に手を置く。
特に理由は無いが、こうやって軽く撫でてやると大概イルフェスの機嫌は直るのだと最近知った。
思った通り手を離した時にはイルフェスの機嫌は直っていた。
「伯爵、セナがたおれたって本当?…ですかっ?」
言って、慌てて敬語に直したイルフェスに頷く。
今回は此方が指摘する前に自ら気付いたようだ。
「あぁ、疲れが堪っていたそうだ。」
「セナ、死なない?」
「…縁起でも無い事を言うな。暫く休めば良くなる。」
「よかったです。」
安心したのかニッコリと笑った。
途中、敬語が抜けていたけれど今回は見逃した。
瀬那が心配で仕方無かったのだろう。
イルフェスが一番懐いて慕っているのは瀬那で、恐らくお互いを家族のように思っている。
今まで部屋に来なかったのは、他の使用人に医者が来るからと止められていたからに違いない。
イルフェスが傍にいては、瀬那はイルフェスにばかり気を向けて休まないだろう。
「用が無いなら暫くセナの部屋には行くな。ゆっくり休ませてやれ。」
クロードの言葉にイルフェスが眉を下げ、困ったように視線を足元へ落とす。
何かあるのかと黙って見ていれば顔を上げたイルフェスに上着の裾を掴まれた。
「伯爵、いっしょに寝ちゃだめですか…?」
「……何?」
「ぼく、夜こわくて…セナといっしょに寝てて…。」
不意に瀬那が言っていた事を思い出した。
まだイルフェスの傷は治っておらず、夜中になると時々泣き出したり暴れたりする…と。
「セナが治るまでだぞ。」と言えば、キョトンとした表情が見上げてくる。
やがて意味を理解したイルフェスが「ありがとうございます!」と抱き着いて来た。
抱き留め、数回頭を撫でてやる。
それから部屋で読み書きの練習をするように言い付け、イルフェスを自室に帰した。
調理場へ行き、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうとしていたコックに声をかける。
瀬那の容態と何か消化の良い物を用意しておいて欲しいと言えば、二つ返事で了承された。
余程瀬那は気に入られているらしい。
ついでとばかりに氷の入った新しい水桶を貰いクロードは瀬那の部屋へ戻る。
ノックをしたものの予想通り返事は無い。
極力音を立てぬ様に扉を開けてみたが、やはり瀬那はまだ眠っていた。
額の布に触れると大分温くなっている。
新しい水桶に付けて冷やし、再度乗せ直してやった。
もう温くなってしまった古い水桶を持って部屋を出れば、丁度良くメイドが通りかかる。
「すまないが、此れを片付けておいてくれ。」
「畏まりました。…あの、」
「? 何だ?」
「宜しければ、そちらの花も花瓶に飾っておきましょうか?」
花と言われて一瞬、何の事だと思い、自分の胸元を見て納得した。
シャロンのところで付けた花がそのままだった。
萎れてしまっているが大丈夫だろうか?
とりあえず水桶と共に花を渡せば、「後でお持ち致します。」と微笑みメイドは去って行く。
瀬那の部屋に戻り、椅子に腰掛けてみたは良いが手持ち無沙汰になってしまう。
何とは無しに部屋を見渡し、目に付いた本を一冊手に取ると、夕食時までの暇潰しとしてクロードは書かれている文字に視線を落とした。