名前を呼ぶイルの声に意識を戻せば手に小さな白い花を数本持って駆けて来る。
花を手折ってしまったのかと思ったけれど、歩いて来るキースが何も言わないところを見るとその花は庭園で世話をしている花ではないのかもしれない。
息を切らせて戻ってきたイルがニッコリ笑って「かがんで!」と言う。
言われた通りに屈んだわたしの右側頭部に手を伸ばし、とても満足そうに腰に手を当て、わたしを一度見上げてから庭園に戻るように走り去った。
それを見送ったわたしにキースが笑った。
「ははっ、似合ってるじゃん。それ。」
「?」
「右の頭触ってみろよ。」
言われるまま右側頭部に触れてみる。何か柔らかい感触が指先に触れた。
キースに視線を向けると愉快そうな笑みで「さっきイルが持ってた花。」と応えた。
聞いてみればあの小さな花は庭師が植えた花ではなく、庭園の隅にひっそりと咲いていたものらしい。どこにでもある普通の花で名前も知らないような花である。
頭に花をつけるなんて十七年間の中で生まれて初めてだ。
今すぐにでも外したい気持ちはあるけれど、イルがせっかく付けてくれたものを外してしまうのも何やら忍びない気がしないでもない。
結局外さないでおく事にした。傍にいたキースのニヤニヤとした笑みを無視して立ち上がる。
庭園を見渡せばイルは綺麗に整えられた木の裏に隠れて此方を覗(うかが)っていた。
手招きするとパッと出て来て半ば飛びつくようにわたしに抱き付いてくる。手にはまだ白い花を持っていた。
「セナかわいい!」
見上げて、そう言ってくるイルに「ありがとうございます。」と返事を返した。
イルはわたしの性別を正しく理解しているから良いのであって、普通は男の頭に花を挿して可愛いとは言わない。
「イル、男性は可愛いよりも格好良いの方が好きですので、男性に花を差し上げて可愛いと言ってはいけませんよ?」
「はーい。」
本当に分かっているのか、元気よく返事をするイルの頭を撫でているうちにふと悪戯心が湧く。
振り返ってわたしとイルのやり取りを見ていたキースを呼び、イルから花を一本もらう。それをキースの上着の胸ポケットに差し込んでやった。
明るい色合いを好んで来ているキースの服に白い花は意外にも上手く溶け込み、よく似合っている。
それを見たイルも「セナ、ぼくにも花つけて!」と一本差し出してきた。
同じように胸ポケットに入れては芸がない。花で小さな花環を作り、それをイルの左手の親指にはめた。少々大きいかと思ったけれどピッタリだったようでイルは花環を見て笑う。
「そろそろ戻ろうぜ。多分、もう話も終わってるだろ。」
「そうですね、戻りましょうか。」
来た時と同じように三人で手を繋いで屋敷内へ戻る。
イルはお揃いで付けた花を甚(いた)く気に入った様子で時折キースと手を離しては親指の花環を見たり、外れないように付け直したりしていた。
生花なので恐らく屋敷に帰る頃には萎れてしまっているだろう。
後で洋紙と重石(おもし)になる物を借りて押し花にでもしようかと思う。綺麗さは少々落ちてしまうけれど思い出としても残しておけるし、押し花にすれば枯れずに済む。
客間へ着くとやはり話は終わっており、伯爵とシャロン嬢がのんびりお茶をしていた。
戻って来たわたし達を見て伯爵は器用に片眉を上げ、シャロン嬢は鈴を転がしたような笑い声を上げた。三人揃って庭園から花を付けて帰ってきたのが可笑しかったらしい。
「ふふ、皆よく似合ってるわ。」
シャロン嬢はイルを手招いて、その左手の親指に付けられた花環をしげしげと見つめた。
「セナが作ってくれたんだよ!」
「作ってくれたんです、だろう。」
「あ、くれたんです!」
きっちり訂正を入れる伯爵に慌てて言い直すイル。シャロン嬢は気にした風もなく「そう、良かったわね。」と微笑み、わたしへ顔を向ける。
「セナは髪飾りかしら?付けたのはキース?」
「いや、イルフェスだよ姉さん。セナが付けたのは俺とイルフェスの。」
「そう。生花で髪を飾るのも素敵だわ。」
クスクスと笑うシャロン嬢に段々気恥ずかしくなってきて、誤魔化すようにイルから花を一本貰う。丁度それで最後だったようなのでシャロン嬢の分の小さな花環を手早く編み、右手の中指にそっとはめた。
左手の親指は‘自分の力で現実を切り開ける’ように、右手の中指は‘自分の意志のままに行動する力が備わる’ように。
「枯れてしまうのが勿体無いわ。」と呟くシャロン嬢に苦笑しつつ、わたしは頭に付いていた花を外して伯爵の胸元を白く飾った。
若干嫌そうな顔をしていたけれど何も言わなかったので気付かないフリをしてソファーに腰掛ける。
「後で押し花にしてはいかがですか?多少美しさは落ちますが残せますよ。」
「そうね、そうしようかしら。」
伯爵もシャロン嬢も、花を外す事なくティーカップに口をつける。
イルの嬉しそうな顔を見てしまったら外すに外せないのだろうけれど、たまにはこういう子供っぽい事をするのも良いものだと思う。
クッキーを食べたそうにしていたイルの指から花環を抜き、濡れた手拭で手を拭ってやる。指の間や爪などもきっちり拭いてからクッキーを渡す。
「セナって結構面倒見良いよなぁ。」
「そうでも無いですよ。面倒見が良いと言うより自分がやった方が早いので、ついやってしまうだけです。」
むしろ面倒見が良いのは伯爵の方だと思うけど。
何せどこの馬の骨とも分からないわたしを拾って、衣食住も保障して優遇してくれているのだから面倒見の良さを見るならば伯爵の方が上である。
胸元に白い花を飾った伯爵にチラリと視線を向けつつ紅茶を飲み干した。