「それでは実質的な死人は九人ではないか。」
「えぇ、そうでしょう。ですが胎児はまだ生まれるには早過ぎる程でしたので、頭数に入れられなかったのかと。」
まだ生まれてもいない命だったから。
手帳を開き、事件概要が書かれたページを眺める。
警察の捜査方法なども書かれているが現代で育ったわたしから見ると何とも頼りないものばかりで、溜め息が零れてしまった。
こんなでは伯爵のような仕事をする者がいても仕方がない。
わたしが使えるアルマン家は貴族の中でもかなり有名で地位も高いが、実は創家されてから百年も経ってはいない。
伯爵の家は元々警察の中でもそれなりに強い地位に属する下級貴族であったのだが、悲惨な事件が後を絶たないことに胸を痛めた女王が警察の手に負えなくなった事件を解決させるための特殊な地位を作り出した。
それがアルマン家。このアルマン家の当主が必ず継ぐセカンドネームのルベリウスとはこの国の言葉で‘暴く者’を意味する。
これほどピッタリな名はないだろう。
つまり、わたしはこの世界で刑事の真似事みたいなことをしているのだ。
…ホームズの助手のワトソンみたいな立ち位置だと思ってくれればいい。
そうこうしているうちに車輪の音が次第に小さくなり、馬車への揺れが治まると扉が開いた。
「御着きになりました。」
御者の声に促されるように先に馬車から降りる。
早朝というだけあって道に人影はほとんどなかった。
アラウンドストリートを見回しているうちに伯爵も馬車から降りる。
視線を戻せば行くぞと顎で示された。
頷き、発見現場である教会の敷地へ足を踏み入れた。あまり広くはない敷地の奥に塗装の剥がれかけた教会が佇んでいる。
今にも崩れ落ちそうなその教会の中へ入れば正面の大きな十字架に視線が向く。
まさにその場所に死体はあったのだと訴えるように木製の十字架にはくすんで黒く変色した血の跡が残っている。
「ココが第一の被害者の発見場所です。」
「…臭うな。」
「一応発見時の状態のままですから。」
元の世界と違い、この世界は事件が起きてもなかなか片付けをするという人々がいない。
そのため事件現場というものはわりと血痕やら死臭やらが残っているものだ。
手で軽く口と鼻を押さえながら顔を顰める伯爵の視線は十字架に向けられている。
独特な生臭さと異臭にさすがのわたしも口元を手で覆い隠す。
風も満足に通らないこのような場所では仕方が無いとは言えあまり長居したくない現場だ。
床や壁を検分している伯爵の様子を眺めていたがふと異臭に混じって何かの匂いを嗅ぎ取った。しかし、それが何か分からず顔から手を離して血が凝固してしまっている十字架に鼻を近づける。
何をしていると伯爵が眉を顰めた。
「いえ、何か別の匂いがしたもので…。」
「…私には分からん。」
「そうですか?」
小首を傾げながら振り返るわたしに伯爵は「とりあえずその臭いは覚えておけ。」と言った。
濃い鉄と腐敗臭の中に微妙に混ざる甘さを含んだ香りを、もう一度スンと嗅ぎ取って頭に叩き込んでから足早に教会から出ることにした。
鼻が曲がりそうだったと現場に対して珍しくボヤく伯爵に苦笑しつつ馬車へと戻る。
扉を開けようとした御者がわたしと伯爵に眉を顰めて「お二人とも少々嫌な臭いがしますね。」なんて言うものだから二人揃って顔を見合わせてしまう。
そんなに長くはいなかったけれど少し臭いが付いてしまったらしい。
馬車に乗り込み襟の臭いを嗅ぐ伯爵に「人間も生モノでしょうし、どんな物でも腐ったら強烈な臭いがしますから仕方ありませんよ。」と御者に言ったのだが「お前はどうしてそう生々しい言い方をするんだ、」憮然とした表情の伯爵に外にいた御者のさざめくような笑いが聞こえて来たのは言うまでもない。
乗り込み、目的地を告げれば馬車が動き出す。
鳴り出す車輪の音を余所に伯爵は未だ気になるのか袖口に鼻を寄せていたが、視線が合うとバツが悪かったのか不機嫌そうに袖から顔を離して目を閉じてしまう。
…別に誰も笑ったり馬鹿にしたりしないのに。
あまり良い意味ではないけれど、アルマン家はそれなりに有名であるため一つ一つの行動が嫌でも目立ってしまうため、当主である伯爵は己の発言や所作をとても気にする。
もちろん常日頃はそうだとしても近侍のわたしの前では何かと不平不満や毒を吐いたりはする訳で、なのに時々こんな風に何かに失敗したような顔をされると逆にこっちが悪いことをしたような気分になるのだ。
酷く納得いかない気持ちを内心に留めながらぼんやりと流れて行く車窓を見送る。
教会からそんなに離れていないウェンダ川に着くのにそう時間はかからなかった。
馬車を止めた御者が扉を開けて、やっぱりちょっと眉を顰める。
あまりそのような表情をされると神経質な主人が余計気にしてしまうから我慢して欲しい。
「ウェンダ川は何時見ても余り良いものではないな。」
草が伸びっ放し、水もお世辞にだって綺麗とは言い難い、誰が捨てたのか分からぬゴミが散乱していた。
こんな川に捨てられた双子の姉妹に思わず同情してしまいそうになりながら、死体が発見されたであろう場所を目視で探す。
「…あ。あちらが発見された場所です。」
わたしたちが立つ場所から少し河岸へ近付いた場所にあるやや開いた場所を指差して伯爵に振り返れば、先程よりも嫌そうな色をありありと浮べたブルーグレーの瞳と視線がかち合った。
‘あそこに行くのか。’という心の言葉が聞こえてきそうである。
草だらけでゴミも多いその場所は伯爵のような貴族たちの服で立ち入るには少々厄介だろう。
「分かりました。わたしが見て参りますので伯爵は暫しお待ち下さい。」
「頼んだ。」
わたしの申し出に即答する伯爵を思わず胡乱な瞳で見上げてしまったが、当の本人は気付かないフリをする。
ふっと軽く溜め息を零してわたしは川原へ下りた。