でも、だって、だから、やっぱり。色々な言葉と感情が混ざり合って上手く言葉に出来ない。
ただ一つ強く思うことは地下室に残したままのイリのことだった。
「伯、爵…イリを、地下室から…出してあげて…ください。あ、あんなところに、ひとりぼっちで…、」
「あぁ、分かってる。」
伯爵が刑事に倉庫へ向かうように言う。痛い痛いと顔を手で押さえて悲鳴を上げるシスターを引きずりながら刑事は部屋を出て行った。エドウィンさんも一緒に出て行ってしまったようだ。
警察達も出て行った部屋にはわたしと伯爵しか残っていない。
パタンと扉が閉まると頬を温かな何かが伝った。それが自分の涙なのだと分かった瞬間、どうしようもない感情が一気に押し寄せてくる。
苦しい。悲しい。助けたかった。助けられなかった。なんで。どうして。近くにいたのに。気付けなかった。気付くべきだったのに。気付けたはずなのに。
謝罪の言葉なんて言える訳もなかった。そんなものは許して欲しい者が、罪から逃げたい者が口にする言葉であって、わたしはそれを口になんて出来るはずがない。
嗚咽すら出したくなくて口を押さる前に伯爵に抱き締められた。
…温かい。あの子も…イリも温かかったはずなのに、あんなにも冷たくなってしまった。
まだ手に残っている冷たさと硬さに体が震える。
「セナ…お前に非は無い。…お前のせいでは無い。」
伯爵の低く押し殺した声が耳元で囁く。
わたしのせいじゃない?わたしは悪くない?
こんなに傍にいたのに、同じ屋根の下で暮らしていたのに?
「仕方が無かったんだ。誰も気付けるはずが無かった。」
そうなのだろうか?本当に気が付けなかったことだったのだろうか?
もっと子ども達の行動に気を付けていたら双子は倉庫に近付かず、イリが死ぬこともなかったんじゃないのか?イルが一人になることもなかった。
伯爵の腕が強くわたしの頭を胸元に引き寄せる。
「抑えるな。我慢するな。泣くとは死んだ者を悼む気持ちだ。それはお前自身の心を癒すためでもある。…お前はそれだけ此の孤児院の子供達を慈しんでいたんだ。」
「っ、ぁ…う」
「泣け。どうせ見ているのは私だけだ。…イリのために、泣いてやれ。」
伯爵の言葉にわたしの中の何かが切れた。
堰(せき)を切ったように涙が零れ落ちて、言葉にならない声が漏れる。
好きだった。ここの穏やかな生活が、好きだった。子ども達に引っ張り回されて疲れるまで遊んだ日も、リンゴを分け合って食べた日も、悪戯された日も。些細な、ごく普通の日々が好きだった。
そして、そんな日々をくれた子ども達が好きだった。沢山の弟や妹ができたようで嬉しかった。
素直な子、悪戯好きな子、無口な子、我が侭な子、元気な子、物静かな子。それぞれ個性があって、皆が皆を支え合って、愛し合って日々を一生懸命生きている。
なのにイリが死んでしまった。他人と馴れ合うのが苦手で片割れと何時も一緒にいた子。
関わる事は少なかったけれど、イリも大切な家族で、弟だったのだ。
この世界に来てから家族の事を思い出さないようにしていた。帰れるか分からないのに思い出して悲観したくなかった。この孤児院での生活は、まるで元の世界にいる家族が傍にいるように温かかった。
――…愛してる。愛してるんだ。
この孤児院にいる子どもたちを、イリを、わたしは愛していたんだ。
「っ、うぁあぁっ…!イリっ、イリっ…!!」
助けたかった。本当に助けたかったんだ。ただ生きていてさえくれれば良かった。
あんな暗く冷たい地下室で十二年という短い人生を奪われただなんて、あんまりにも哀し過ぎる。
まだまだやりたい事もあったはずなのに、これからがあったはずなのに。
伯爵に抱き締められたまま、わたしは声が枯れるんじゃないかと思うくらいイリの名を呼んだ。もう二度と会うことが出来ない家族を思うと胸が張り裂けそうだった。
地下室はその日のうちに中にあったものを全て運び出された。
イリの遺体は孤児院の子ども達全員で別れを告げた後、院の共同墓地にひっそりと埋葬されることとなった。
殺された大勢の子ども達も親が引き取りに来てくれる子もいれば、失踪届が出されておらず、身元が分からないままの子もある。
残された子達はイリと共に共同墓地に埋葬される。
こんな言い方はよくないのだろうけれど、一人ではないから寂しくないだろう。
新しい友達を作って安らかに眠って欲しい。
葬儀で参列するイルは気弱な見かけとは裏腹に涙を一切見せなかった。ただ死んだイリを見て一言「ごめんね」と呟いた。
わたしはもうお芝居をする必要もなくなり、何時もの近侍用の服に身を包んで参列した。
驚いた事に伯爵も葬儀に参列した。というか葬儀代は全て伯爵が支払ったのだ。
それから皆で引っ越すことになるらしい。あの孤児院に居たいと思う子もいないだろうし、皆が思い出してしまうからと院長が悲しげな顔で言っていた。
「…帰るぞ。」
子ども達や院長と別れの挨拶を済ませたわたしにそう言って、伯爵は馬車に乗り込む。
私も乗り込むと馬車はゆっくりと走り出した。別れが悲しくなるからと子ども達の見送りは断ったが、遠く離れている孤児院を見ると胸が痛んだ。
新しい孤児院も、引越しの費用も伯爵が負担してくれたらしい。何だかんだ言ってこの人は優しいな。
斜め前に座る伯爵をチラリと見る。伯爵は目を閉じて背もたれによりかかって腕を組んでいた。
…でも、引っ越したらあの孤児院はすぐに廃れて壊れてしまうんだろう。イリが死んだあの部屋もやがては風化して土に埋もれてしまうんだろうか。
そう思うと少しだけ息がし難くなった気がした。