責めているような言葉だが、わたしの身を案じてくれている言葉だった。
分かってる、そんなの嫌だって程分かっていますよ。伯爵にだって耳にタコが出来るぐらい言われまくっているんですから。
でも、だって、そうでもしないと冷静にしていられないんだ。
見知らぬ人間ならまだしも、彼らとは数週間、寝食を共にしてきたんだ。
孤児院という家で家族として過ごしてきた記憶があるのに、冷静になんてなれるはずがないじゃないか。
一度深く深呼吸をしてからわたしは顔を上げた。エドウィンさんが怒ったような顔で見下ろしている。
「…すみません。しかし、こうでもしなければ冷静でいられないんです。」
わたしの言葉にハッとした表情をし、苦しげに視線が逸らされる。
そうしてすぐにこちらを見ると「孤児院に戻ったほうが良い。」とだけ言った。
あまりここに長居してはシスターにも不審に思われる。わたしは一つ頷くと警察を出て夜の街へまた走り出した。この胸に重く圧し掛かる苦しさは子ども達への不安なのか、それとも酸欠で苦しいのか…。
――…伯爵、早く来てください。
わたしが孤児院に戻り、それから三十分ほど経った頃、警察と共に伯爵は来た。
染料が落とされた髪と眼鏡が外された顔を見てふっと肩の力が抜けたように思う。
不安そうにわたしにしがみ付いてくる子ども達の頭を撫でながらシスターと話す伯爵を見る。
エドウィンさんと刑事も来ていて、特に刑事の方は子どもに怖がられていた。あの大きな体では子どもに怖がられるのも無理は無い。中には泣き出す子もいて…全く刑事さん、貴方は仕事を増やしに来たんですか?
そんな冗談が頭の中に生まれるくらいには、ホッとしたのだ。
悔しいけれどやっぱりわたしはまだまだ子どもで、伯爵の姿を見て安心するなんてまるで迷子のよう。
思わずその場に座り込んで深い溜め息を吐けば子ども達が心配そうに声をかけてくる。怪我をした部分に触れぬよう気をつけながら手を繋いでくる子どもたちに笑いかけた。
「セナー、セナにだけひみつのばしょ、おしえてあげるー。」
女の子の一人が耳に顔を寄せてきてそう言った。
秘密の場所?聞き返せば強く頷きが返って来る。
院長もシスターも、他の子達も知らない秘密の場所。他の人に教えてはダメだと念を押されて今度はわたしが頷く。
そっと部屋からその子と一緒に出て、冷たい廊下を手を引かれて歩く。
「ほんとはね、イリにおしえてもらったの。イリと、イルと、わたしだけのばしょなの。」
その言葉に女の子を見る。小さな背中を追いかけながらわたしは外へ出た。
裏庭の柵の小さな隙間に女の子は身を滑り込ませた。わたしは行儀が悪いけれど柵を乗り越えて隣りの空き地へ足を踏み入れる。背の高い草と木々が生えていてとても見通しが悪い。
だが女の子は草の間を迷うことなく進んでいく。
歩き慣れた道を行くような足取りだ。わたしも草を掻き分けながら後を進む。
五分、いや十分だろうか?草の中をガサガサと歩いていたわたしの目の前が急に開けたのだ。
小さな空き地のような場所があり、そこに生えた何本かの木を繋ぐように紐が巡らされ、布がかかっている。小さな子ども達が作った‘秘密基地’という単語がピッタリの場所があった。
女の子が幕のように垂れ下がった布の一部を持ち上げて中を覗き込む。
すぐに嬉しそうな声を上げた。
「イル!セナ、イルがいた!!」
「!」
わたしも慌てて中を覗き込めば、イルがいた。少しタレ目がちで俯いた顔は今にも泣き出してしまいそう。
そっと手を伸ばすと小さな体がビクリと震える。
「イル、大丈夫。オレはセナだよ。」
「……せ、な…?」
ゆっくりと上がった視線とわたしの視線が絡み合う。
パッと立ち上がったかと思うとイルが勢い良く飛びついてきた。
勢いを受け止め切れずに後ろへ倒れてしまったけれど、それでもイルは離れようとはしなかった。
震える体をしっかり抱き締めて起き上がる。よく見ればイルは靴を片方履いていないし、日も落ちて寒いというのに上着も着ていない。わたしはすぐに自分が着ていた上着をイルにかけた。
泣き出してしまったイルの背を優しく撫でて、抱き締める。女の子もつられてしまったのか泣き出してしまう。
わたしは結局大泣きする二人を泣き止むまで抱き締め続けた。
一気に泣いて落ち着いたのかイルはしゃくりあげながらも口を開いた。
「ごめ、ごめん…なさっ」
「良いんだ。無事で良かった。……イリはどこにいるんだ?」
「っ、ぼくが…ぼくが…!」
またボロボロと零れ落ちる涙を拭ってやりながら、背中をトントンと軽く叩く。
大丈夫だと何度も言ってやるとイルは必死に言葉を紡ごうとした。
「リンゴが、食べたくて…っイリとこっそり…倉庫に、いったんだ。」
「うん。」
「そし、たら…倉庫の床に、とびらがあって…イリが開けてっみようって…、」
「開けたのか?」
「う、うん…」
倉庫の奥には様々な物が置いてあって、大きな家具などもあるので子どもだけで倉庫に入ることは禁止されている。もちろん子ども達がそれを守らずに、そこで時折かくれんぼをしていたのも知っていた。
続きを促そうとしたがイルの様子がおかしいことに気付く。
思い出すのも怖いのか頭を抱えて体を縮ませる。
「部屋があって、ロウソクがあったから…つけたんだ。」
怯えたように顔を隠す。
「知らない子が…いっぱいっ」
「知らない子?」
「みんな寝てて、すごくくさくて…、きもち悪い、」
「……なぁイル、その知らない子たちはどんなだった?」
聞きたくない。けれど、聞かなければ判断できない。
イルは顔をくしゃくしゃにして、ギュッと目をつぶったまま言った。
―――…みんな、頭しかなかったんだ…と。
イルは怖くなって早く出ようとイリを促したが、イリはもっと調べようとしたようだ。怖いなら先に出ていろと言われたイルは素直に部屋を出た。その直後に足音がして物陰に隠れた。
するとシスターが来て、開きっ放しだった扉をとても怖い顔で見たらしい。
シスターはまだイリがいる部屋に下りると扉を閉めてしまった。
怒られるのが怖くてイルはその場から逃げてしまったのだと言う。
…さっきの謝罪はそれに対してだったのだろう。片割れのイリを残して逃げてしまった罪悪感からの謝罪だったに違いない。
早くこの事を伯爵に伝えなければ。
連続誘拐犯はシスターだ。それも、子ども達はもう死んでいる。
イルを背負って元来た道を女の子と戻る。残酷なことかもしれないが話を聞く限り、きっとイリはその場で殺されてしまっただろう。そう考えるのが妥当だった。
…何故、どうして子どもを殺すんだ。シスター。
貴女はあんなにも優しい眼差しで子ども達を何時も見守っていたのに。
泣きたい気持ちを胸の中へ押しやりながらわたしは柵を乗り越えて孤児院へ戻った。