翌朝、何時も通り早朝に起き出して他の子どもたちの支度を手伝っている途中シスターが来た。
少し頬を染めて「セナ、貴方にお客様よ。」と言われて、あぁ伯爵が来たのかと自然と笑みが浮かぶ。それを子どもたちに見咎められてしまった。
「セナがわらった!」
「おきゃくさん、だれー?」
白状しなければ離さないとでもいうように足にしがみ付かれてしまい、わたしは素直に言う。
‘オレの大切な人かな’と。それだけで子どもたちの興味を引いたのか足から離れると歩き出したわたしの後ろをパタパタとついて来る。
孤児院の玄関に行くと青年がいた。
スラリとした長身にシンプルな白のワイシャツにダークブラウンと薄めのブラウンの生地でチェック模様が出来ているベスト、上から少し厚手の黒とも焦げ茶とも見えるコートを羽織っている。ちなみにズボンは黒だ。
普段銀灰色の髪はダークブラウンに染まっており、唯一変わっていないのは陶器のように色白の肌とブルーグレーの瞳だけ。目は隠すように度のないメガネがかけられているため、正面でもない限り瞳の色は分からない。
オマケに手に持っている本と羊皮紙には医学関係の文が羅列している。どこからどう見ても医学生か、その道の歳若い研究者としか思えない。
完璧に変貌を遂げた伯爵はわたしに柔らかな笑みを浮べ、荷物を持っていない方の手を軽く上げた。
「お早う、セナ。君に会いたくて、つい来てしまったよ。」
恋人に語りかけるように低く、少し甘さを含んだ声音が響く。
ホント、誰だよあんた。そうツッコミを入れたくなるほど別人だ。
子どもたちは現れた優しそうな青年が気になって仕方ない様子でチラチラとわたしと伯爵を交互に見ている。そうして伯爵が腰を屈めてニコリと笑うと安心したのか子どもたちは伯爵の傍に近寄っていく。
「来るなら来るって言えよ。」
「ごめん。近くを通りかかったから思わず、ね。」
口調も違う。伯爵は謝罪に‘ごめん’なんて言葉は使わない。
普段無表情なのが信じられないくらい人の好さそうな笑みを浮べつつ子どもの頭を優しく撫でている青年が、あの仕事一徹な無表情能面伯爵とはこれなら誰も気付かないだろう。
これから学院に行くんだけど、セナもどうだい?
なんて言う。後ろから来たシスターはニコニコ顔で「せっかくだから、行ってらっしゃいな。」と後押ししてくる。来たばかりなのに、もう行ってしまうのかと子どもたちは不満タラタラな顔をしたが伯爵がまた来るからと言えば渋々わたしの方に戻って来た。
特に持つ物もないからと子どもたちとシスターに見送られながら孤児院を出る。
柵を通り過ぎた辺りで隣りに並んで歩いていた伯爵が溜め息のようなものを吐き出した。
「これは結構面倒臭いね。面白いけれど色々と気を使うよ。」
青年口調のまま、本音が駄々漏れである。
「なら止めればいいだろ。」
「前言撤回なんて真似はしない。…少し罪悪感は湧くけど。」
「罪悪感?それは何に対して?オレ?それとも孤児院とか街の人たち?」
「どっちも。」
お互いに正体を知っているのに、猫をかぶっているなんてまるで道化師だ。
ふと片手に温もりを感じて視線を落とすと伯爵の手が私の手を包み込んでいる。
チラリと見上げれば「これくらい、たまには許してよ。」そう苦笑する物腰穏やかな青年。
副音声で‘許せ、これくらいしなければ目立たない’という伯爵の声が聞こえた気がした。わたしは構わないけれど苦労しているのは伯爵の方だと思う。何せ彼は貴族で紳士で、男装しているとは言えわたしが女であることも理解している。歳若い女性に無闇に触れるのは紳士らしくない。
きっと内心で自分への言い訳を述べ連ねているだろうことは想像に易(やす)い。
「好きにすれば。」
「そうさせてもらうよ。」
真昼間から見目麗しく歳若い男が二人、手を繋ぎながら大通りを闊歩していればそれはそれは目立つ。途中でそこら辺の店を冷やかしたりするものだから余計に人目を引いた。
それが目的なのでわたしも伯爵も人の目はあまり気にしていない。
むしろ見てくれと言わんばかりに互いにネックレスを選び合ってみたり、互いの距離を詰めてみたりと、深い仲であることが傍目からでも分かるような行動ばかりをとる。
伯爵はつっけんどんな年下の恋人の態度を許容する優しい青年を、わたしはちょっとキツい態度を取りつつも年上の恋人に甘えている少年を演じていた。
噴水の傍に設置されたベンチで休んでいたら唐突に伯爵が繋がっていた手を軽く引っ張り、片手で人通りの多い道の先を指差す。その先を辿っていくと見覚えのある姿が視界に映り込む。
「エドウィンさん…、」
呟きが聞こえたのか、それとも偶然なのか、わたしと伯爵を見つけて少し驚いた表情を見せた。
そして足早に近付いて来る。
「先日は大丈夫だったか、セナ君。」
話しかけてきたエドウィンさんに返事をしようと口を開きかけたが、横から伯爵の腕が視界を塞ぐ。
立ちはだかるようにしてわたしとエドウィンさんの間に割り込んで来た。
「失礼ですが、セナとはどのような御関係で?」
伯爵が敬語を使った…?!それも自身よりもずっと地位の低い者に。
わざわざ口調に棘まで含ませる演技の細かさに変なところで感服してしまった。何でもかんでも完璧にやならなければ気が済まないのだろうか、この人は。
エドウィンさんもこれには目を丸くしてマジマジと伯爵を見たけれど、すぐに表情を戻して微笑を口元に張り付けた。
「失礼、私は警察で働いているアシッド=エドウィンという。先日、夜中に一人でいるところを見かけたのでな、早く帰るよう注意させてもらっただけだ。」
「…そうですか、それは失礼しました。僕はベリウスといいます。」
僕!…って、ベリウスって伯爵のセカンドネームの‘ルベリウス’から一文字抜いただけ!!
偽名とはいえ名前くらいきちんと考えてくださいよ。
エドウィンさんも気付いたのか微妙に口の端が引きつっているように見える。
「別になんもなかったし。ベリウス、さっさと学院行こ。」
「あぁ、うん。……ではエドウィンさん、失礼します。」
「どうやら私も邪魔をしてしまったようだな。すまなかった。」
お互い反対方向へ分かれ、互いの姿が見えなくなってから少しだけ張っていた肩の力を抜いた。
何というタイミングの良さと感心するべきなのか、それとも何てタイミングで会ってしまうんだと嘆くべきか。隣りを行く伯爵は相変わらず柔らかい笑みを浮かべたままわたしの手を引いてエスコートしている。
さっきのを目撃していた人々に修羅場と勘違いされないといいのだけれど。
これでエドウィンさんの噂まで流れてしまったら申し訳ない。
驚くほど綺麗に猫を被った青年に手を引かれながら、わたしは大通りを通り抜けた。