昼を少し過ぎた頃、屋敷の中が慌ただしくなる。丁度伯爵の下へ借りていた本――とは言え、子ども用の絵本なのだが――を返しに行こうとしていた時だった。
廊下を行く使用人たちの忙しそうな姿を不思議に思いつつ窓の外へ視線を向ければ、一つの馬車が玄関前に停まっている。
馬車の横に描かれているのはリディングストン家の紋章だ。
キースか、それともシャロン嬢か。どちらにせよ使用人が慌てている理由を理解して足早に伯爵の部屋へ向かう。
扉の前に行くと紅茶の準備をするために訪れた侍女が廊下で困った顔をしていた。
聞いてみれば仕事の話をするので入らないようにと言われたが、お客様に何も出さない訳にもいかなくて困っているようだった。
「ではわたしが後はやりますよ。」
そう言った時の侍女の‘心底助かった’という表情に思わず苦笑してしまう。
侍女からティーセット一式が乗った台を受け取り、扉をノックする。少しして「仕事中だ。」とやや憤慨した伯爵の声が飛んできたので「瀬那です。」と答えれば扉が開いた。
そこにいたのは伯爵でもシャロン嬢でもなく、キースだった。
「よっ、セナ。お邪魔してるよ。」
「いらっしゃい、キース。…今日は珍しいですね。」
キースの向こう側には彼の姉であるシャロン嬢と伯爵がソファーに腰掛けているのが見える。
あまり仕事の事に対して干渉しないはずのキースにしては本当に珍しい。
とりあえず台ごと入室し、テーブルの脇まで行く。ティーセットと共に置かれたお茶請けの綺麗なケーキに視線が釘付けなキースを「準備をしますから。」と宥めつつ本を伯爵に返した。
絵本を受け取った伯爵はそれをテーブルの端に邪魔にならぬよう置く。
お茶の準備をしていれば腰の辺りをスルリと何かが撫でていった。
ケーキをテーブルに並べつつ、触れて来た人物を嗜める。
「シャロン様、そのような事は女性らしからぬ振る舞いでいらっしゃいますよ。」
「あら、分かってしまったかしら?」
「この場であのような事をなさるのはシャロン様だけですので。」
だってセナはとっても可愛くて素敵なんですもの。
笑いながら悪びれもなくそう言うシャロン嬢に伯爵は溜め息を零したが、同性なので特に注意はしないものの呆れを多分に含んだ視線を投げかけている。
弟のキースにいたっては「姉さん、またやってる!」と笑って流していた。
「ところで、今日の御用事は?」
事件解決の催促にしては随分早過ぎる。
ケーキを一口食べたシャロン嬢が少し眉を寄せて、不愉快そうに言った。
「また被害者が出たのよ。それも孤児の男の子が二人も!」
「孤児、ですか。」
「昨夜の夕方から深夜にかけて行方が分からなくなったらしい。」
「見つかったって報告もないから、十中八九事件に巻き込まれたのよ。私(わたくし)達だって全力で捜査しているのに起きたのよ?とても不愉快だわっ。」
シャロン嬢がテーブルを叩いたせいで、かちゃんとソーサーが音を立てる。
宥めるように伯爵が落ち着けと声をかけるとフンッと顔を背けた。余程腹が立つようだ。
その隣りでケーキをのんびりと食べるキースが対照的過ぎて一種のコントに見えたのは黙っておこう。
代わりに伯爵の見ていた羊皮紙の束を覗き込めば、大勢の名前が載っていた。全て男性の名前で、大半は姓のない一般人のものばかりである。
これだけの人数が行方不明なのに街の人々は恐れ慄くどころか、まるでどこ吹く風。現代でこんな事があったら警察は非難の嵐だろうしマスコミも黙っちゃいない。
けれどもこの世界のこの街には新聞社が一つだけ。
こんな世界で、元の世界のように完全犯罪に近い事件が起きたらそれこそ未解決でお蔵入りになってしまいそうだ。
思わずブルリと体を震わせたわたしに勘違いしたらしいシャロン嬢が眉を下げる。
「気味が悪いわよね。そんなに沢山の子どもが行方不明なんて。」
「え、えぇ。そうですね。これだけ居なくなって一人も見つからないんですか?」
「そうなの。身体の一部でも見つかれば死んだと分かるのだけれど、ね。」
大量に居なくなった子ども。その遺体も見つからない、手がかりも見つからないなんて最悪だ。
昨夜、行方不明になった子どもの名前は一番最後の紙の一番下に書かれている。横に書かれた年は十二歳と十四歳。まだまだ遊び盛りの元気な年だ。
更に横へ視線を滑らせておや?と思う。他の行方不明の子どもの列を見てみて、伯爵に視線を向ければ頷かれた。
「あぁ、行方不明の子どもの大半が孤児だ。」
「成る程…言い方は良くありませんが、孤児は居なくなっても余り騒がれませんからね。」
「狙うにはピッタリだろうな。孤児院に居るのは子どもばかりで大人の目も少ない。」
どの世界のどんな時代でもか弱い子どもが事件の被害に遭うことは悲しいことだ。
孤児を狙うだなんて酷い。――――…ん?
狙われる子どもに孤児が多いということは、花街に夜な夜な繰り出しても余り意味がないんじゃあ…?
「瀬那。」名前を呼ばれて伯爵を見ると至極真面目な顔でこう言った。
「孤児院に行って来い。」
思ったけど!自分でも思ってたけど!!
ちょっと人使い荒くないですか、伯爵?!