さらに数人の船員の方々と擦れ違い、ようやく私は船長室に到着することができました。
後はこの扉の向こうへ行かなくてはなりません。
が、問題が現在進行形で発生中なのです。
困ったことに扉が開けられません。だって、私はヴェルノさの膝より少し上くらいしか身長がないのですから、それよりずっと高い位置にあるドアノブに手が届くわけもないのです。
…なぜ今まで気が付かなかったのでしょう?
あぁ、困りました。どうしましょうと考え、そこでふと先ほど廊下で出会った船員の方が頭に思い浮かびます。
あの方にお願いして扉を開けていただきましょう。
少しだけ通路を戻ると、先ほどと変わらず掃除をしていらっしゃる船員の方が戻って来た私を見て首を傾げます。
「ん?どうした?」
大柄な方ですが私に目線を合わせようとざわざわ屈んでくださいます。
「すみません、船長室の扉を開けてもらえませんか?」
「船長室、かい…?」
「はい。扉の取っ手が高すぎて、手が届かないのです。…あ、船長さんに許可は得ていますので大丈夫ですよ。」
そう告げますと納得した顔で快く了承してくださいました。
船長室へ戻り、船員さんが扉をそっと開けて私を見ます。どうすべきか迷いましたが、「また開けて欲しくなったら扉叩けよ。…近くで掃除しててやるから。」と気遣ってくださいます。
この船にいる方々は本当になんて素晴らしい人たちなのでしょう。
深々と頭を下げた私に苦笑して船員の方は扉を閉めてくださいました。
ヴェルノさんのお言葉に甘えて浴室に向かいますと、小さなバスタブと体を洗うスペースだけの狭く、簡易的な場所でした。私からすれば充分な広さですが長身の船長さんには些か狭いのではとも思います。
一度浴室から出て傍に積まれていたタオルのような布から大きなものと小さなものを二つお借りすることにします。
浴室の扉は横にスライドさせるものだったので私でも普通に開け閉めすることが出来ました。
持ってきたタオルを浴槽の隅っこに置き、シャンプーなどのボトルが置かれている段に上ってやや高い位置にあるシャワーのノズルを何とか引きおろします。
コックを捻ればノズルからザァと勢いよくお湯が出て、そのお湯にそっと手を触れてみました。
…温かいですね。
濡れた手を見ると不思議なことに水は染み込んでいません。でも濡れた感覚と言いますか、あぁお湯に触れているなという感覚はするのです。
一度コックを戻すとタオルで軽く手を拭き、ワンピースと下着を脱いで脱衣所にあった箱の隅へ置かせていただきました。
そこでふと頭上から慌ただしい足音が聞こえてきた気がしました。
何ごとでしょうか?
気になりますが、今はせっかくの至福の一時ですので後で聞いてみることにします。
改めてシャワーでお湯を浴びれば久しぶりの心地よさに知らず溜め息が漏れてしまいました。
「…お風呂に入れるというのは、幸せですね。」
いくつか並ぶボトルを見ますとシャンプー、コンディショナー、ボディーソープそれからあまりよく分からないものがあります。
…ヌイグルミは髪がありません。でも、一応シャンプーをしておくべきでしょうか?
とりあえず普段と同じようにシャンプーを手に取って泡立て、わっしゃわっしゃと頭を洗ってシャワーで流します。二度シャンプーをした後に同様にコンデショナーでも洗います。
そのあとに、傍にあった丸いものにつけて体を擦ります。
柔らかいスポンジみたいなそれはとても泡立ちがよくて、あっという間に私の全身は泡だらけになってしまいました。
それすらも楽しくて仕方ありません。
鏡に映ったうさぎのヌイグルミは、あわあわ、もこもこ姿。体を擦ると泡は留まることを知らないのではと思うくらい、ふんわりと増えて行きます。
泡を充分堪能してシャワーで流していましたら船長室の扉が開く音がしました。
どうやらヴェルノさんが戻られたようなのです。
ノズルを壁にかけていましたら、脱衣所の扉が開く音がしました。続いて服の擦れ合う音が扉越しに響きます。
…もしかして…?
「ヴェルノさん?」
声をかけると扉の向こう側から「まだ入ってたのか?」と呆れを滲ませた声が返ってきました。
それから、勢いよく浴室へと繋がる扉が開かれます。
何も履いてない足が見えます。でも、恐ろしくて上を見ることは出来ません。
「あの、あの…、」
視線を落としたまま、何と言えばいいのか困りました。
出て行ってくださいではおかしいのです。この浴室も船長室の一部ですから、ヴェルノさんのものですし。
タオルで隠そうとしましたが先に手を掴まれてしまって、それすらもできません。
ヌイグルミとは言え恥かしさはあります。
なのにヴェルノさんは浴槽にお湯を張りながら、私を抱え上げて専用の椅子みたいなものに腰掛けてしまいました。
…あ、タオルは巻いているんですね。
膝の上に乗せられてタオルが巻いてあることを確認できた私はそっと顔を上げます。目の前にはニヤリと笑うヴェルノさんの整った顔。
本当にヌイグルミでよかったのです。もし人の体であったならのぼせているか、悲鳴を上げてしまっておりました。
「お前、ずっと此処に居たのか?」
頭を洗い出したヴェルノさんに「はい。」と頷けば、低く喉の奥で笑われました。
見上げると片方だけ開けられた金の瞳が丁度私を見下ろしてきます。
「襲撃された。」
「え?襲撃って、襲われたってことですか?」
「あぁ。あんな騒いでたのに気付かなかったのか。」
「…泡で遊ぶのに忙しかったのですよ。」
泡をシャワーで洗い流し、今度はリンスを使います。膝から下ろしてほしいのですが、下りようとすると強い声で下りるなと命令されてしまいます。
体まで洗い終わったヴェルノさんは私を抱えたまま、今度は浴槽へざぶんと浸ります。
危うく沈みそうになりましたが、それに気付いてくださったヴェルノさんが私を抱えたまま狭い浴槽から足を出して横になりました。