あたしをどうするのか。その問いに明確な答えは提示されていない。
今後の生も死も分からないのに目先の出来事に怯えて逃げてはより危険だと、本能的に体を動かそうとする恐怖心を抑え込む。
「質問に答えてもらっていませんから。」
「頭は悪くねェみたいだな。」
「どうも。それで、質問には答えてくれないんですか?」
船長が口元を引き上げ、ゆっくりと唇が開く。
だが、そこから音が溢れる前に扉から慌ただしい足音が聞こえて来て室内にいた全員が振り返る。
続いて蝶番が外れてしまいそうな勢いで観音開きの扉が両側へ開けられた。
そこには少し肩で息をしている姉が立っていた。
「ダメです、ヴェルノさんっ!!!」
室内を見て真白が船長の名前を叫びながら走ってきた。
そして剣を持つ腕に縋り付く。
すぐ剣は反対の手に移されたものの、真白はそちらの腕へも手を伸ばす。
けれども船長は軽々と剣を腕ごと上げて取られないよう引き離した。
「チッ…量が少なかったか。」
「あ、今舌打ちしましたね?!」
「してねェよ。」
「してましたっ。そんなことより剣を離してくださいなのです!真雪ちゃんに刃を向けてはダメなのですよ!!」
小柄な体で真白が一生懸命腕を引っ張り、船長は呆れ気味の表情をした後に剣を持った腕を下ろす。
刃を鞘へ納めれば姉は怒りながらも腕を離し、あたしを隠すように抱えた。
胸元に顔を押し付けられてあたしは動くに動けない。
「勝手に殺さねェから落ち着けっての。」
「嫌なのですーっ!絶対に殺しませんと一筆書いてくださるまで、私は断固拒否するのですよーっ!!」
「…しっかり酔っ払ってんじゃねェか。」
船長の言葉になんとか顔を上げると、酒の匂いが真白から漂ってきた。
そういえば顔も赤い気がする。邪魔をさせないよう酒でも盛ったのか。
姉は伸ばされた手を避けて、あたしを抱えたまま嫌々と首を振る。
走って本格的に酔いが回っているのだと思うが、駄々をこねて困らせていた。
副船長さんが椅子から立ち上がろうとするのを船長が手で制し、剣をテーブルに置く。
「―――…真白、」
「!」「?!」
思わずブルリと体が震える。ヌイグルミなのに鳥肌が立ちそう。
ずっと真白へ向けられている声は甘いと思っていたけれど、この男からしたら全く本気ではなかったのかもしれない。
現に今紡がれた声はそれまで以上に甘く掠れ、深みのある重低音が言い聞かせる口調で姉の名前を呼ぶ。
自分に向けられたものじゃないと分かっていても気を抜けば聞き惚れてしまいそうなくらい良い声だ。
なのに名前を呼ばれた張本人は相変らずあたしを抱き締めて船長から距離を取っている。
酔っているから声が気にならないのか、それとも真白にとっては聞き慣れた声なのか。どちらにせよ色気のある猫撫で声で船長は真白に話しかけた。
「お前がそこまで言うなら、そいつは殺さねェ。他の奴等にも手は出さないように言っておく。」
「…ほんとですか?船から落とすのも、陰口も禁止なのですよ?」
「俺らは女か。…分かった分かった、落とすのも陰口もナシだ。これで良いか?」
姉の追及に完全にやる気を削がれたらしく船長は溜め息を零して頷いた。
それを見た真白はあたしを抱えたまま、広げられた腕の中へ突進していく。
喜ぶ姉に対して頭上から「面倒臭ェ。」と低い声が降っていたが、言葉とは裏腹に声音は随分と愉快そうなものだった。
…とりあえず、この船での身の安全は何とか保障されたようだ。
姉と男の間に挟まれ若干げっそりした気持ちで溜め息を零す。
結果的には良い方向に転がった。転がったのだが、物凄く釈然としない。
つい数分前までのあたしの努力と気力を返して欲しい気分だ。
ハイテンションになっている姉を抱え上げた船長はあたしの頭を掴むと副船長さんに投げる。またか。しかも投げた時、方向を確認してなかったぞ。
ちゃんとキャッチしてくれた副船長さんに「アイヴィー、そいつはお前が世話してやれ。」なんて言う。
副船長さんはあたしを見下ろしニッコリ笑顔で了承した。
「了解。よろしくね、真雪ちゃん?」
「ヨロシク、オネガイシマス…。」
酔っ払いを連れて出て行く船長の背を見送り、副船長に抱えられてテーブルに戻される。
敵意は消え、好奇の視線が突き刺さるけれど、もうどうでもいい。
ハッキリ言う。疲れた。精神的に果てしなく疲れた。
テーブルに突っ伏すると頭を撫でられる感覚があった。
副船長さんかと頬をテーブルに擦りながらチラリと見上げれば、予想に反して頭にある手は別の方向から伸びている。
「えっと、どちら様ですか。」
触り心地が良いのか撫でて来る手は離れない。
確か副船長さんの部屋に来た声の出ない人。
「ユージンよ。順にディヴィ、セシル、レイナー。そしてアタシとヴェルノがこの船の主要幹部だから覚えてね〜。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
「説明はアタシがしちゃっても良いかしら?」
「是非そっちもお願いします。……なんだかドッと疲れました。」
一度テーブルから上げて四人へ頭を下げた後、また突っ伏せば今度は副船長さんが頭を撫でて来た。
…実は皆、可愛いもの好きとか?いやいや、それは流石にないよね。
頭上で流れて行く説明と会話をぼんやり聞きつつ目を閉じる。
短時間のうちに様々なことが起こり過ぎて脳が追いつかない。
喜び、悲しみ、怒り、恐怖、疲労。人生で感じられる感情の一体何割くらいを、この短時間の間に味わったのだろう?
それに最後の船長と真白のやり取り。あれはバカップルの雰囲気だった。
うん、あれってツッコむだけ無駄だよね絶対。というか周囲も全然気にしていないということは、ああいうのは日常茶飯事とか?
………………止めよう。考えるれば考えるほどドツボにハマりそう。
優しく撫でる手の温かさを感じながら、あたしは思考を放棄した。