考えつつ更にクッキーを口に運ぶ。サクサクと噛み締め、飲み込んだ。
美味しいものを食べているのに、それを素直に楽しめないのが惜しい。
「真白ちゃんを取られて寂しい?」
「ごふっ?!」
むせたあたしに副船長さんが「あらぁ、図星だったかしら〜?」と笑う。
……前言撤回、分かっていて指摘するなんて人が悪い。
目の前へ差し出された綺麗なハンカチを遠慮なく受け取って吹き出してしまったものと口元を拭く。ヌイグルミの体には染み込まなかったようで、真っ白な手足はそのままだった。
使い終わったハンカチをどうするか迷っていると副船長さんが立ち上がり両手を伸ばしてくる。
そうしてゆっくり丁寧な手付きであたしを持ち、膝の上に向かい合うように乗せられた。
かなり首を上げて見る格好になったけれど頭でっかちだからか後ろに転がりそうになってしまい、組んだ両手の平が支えるように後頭部を包む。
「好きなのね、真白ちゃんのコト。」
「たった一人の姉を大切に思うのは可笑しいことですかっ!」
茶化すような言葉に、あたしの苦しみや思いを馬鹿にされたような気がして噛み付いてしまう。
それに副船長さんは苦笑して首を横へ振った。
「いいえ、家族を大事にするのはとても良い事よ?でも、アタシ達…――――違うわねぇ。ヴェルノには、どうしても真白ちゃんが必要なの。本当の意味でアイツの傍に居られるのは、きっとあの子だけ。」
「……どういう意味ですか。言いたいことがあるならハッキリ言ってください。あたし、遠回しに言われるのは嫌いなんです。」
「ふふっ。真雪ちゃんは、真白ちゃんとは正反対なのねぇ。」
後頭部で組まれていた手が片方離れてあたしの背をトントンと静かに叩く。
計ったかのように、その動きに合わせて部屋の扉がノックされた。
口元に意味深な笑みを浮べたまま副船長さんはソファーにあたしを下ろして扉に向かい、来訪者に対応する。
訪れたのは黒髪でアジア系の馴染みのある顔立ちをした男。なんとなく、見覚えのあるような気がして記憶の中を遡り、最初にこの船を見た時に船長と副船長さんに声をかけて来た四人組の一人だと気付いた。
男は口を開けたが音は出なかった。
それでも何かを話す仕草を暫し見た副船長さんは頷く。
「ヴェルノは?」
「……。…………、……………?」
「アイツがそうしたのならアタシ達が構う事じゃないでしょうねぇ。先に戻っててちょうだい、すぐにアタシも真雪ちゃんを連れて行くわ。」
「…?」
「それも向こうで、ね?」
全く話の繋がりは分からないけれども、本人達は問題なく理解しているのか男はチラリとあたしの方を見て扉の向こうから消えた。
軽い音を立てて扉を閉めた副船長さんが振り返り、傍まで歩いて来て、また抱え上げられる。
そうして部屋を出るので見上げれば、向こうも見下ろしてきた。
「どこに行くんですか、また話は終わってません。」
「さっきの話はまた今度。これから貴女をどうするのか話し合うわ。勿論、真白ちゃんの妹だって事も念頭に置かれるだろうけど、死にたくなかったらあんまりヴェルノに反抗しちゃ駄目よ〜?」
「死って…、」
「ヴェルノが大事にしたいのは真白ちゃんであって、真白ちゃんが大事にしたいものまで守る気なんてアイツには無い。逆鱗に触れればアタシにさえ躊躇いなく剣を向けるぐらいだもの、会って間もない貴女なら殺した所で気にも留めないでしょうねぇ。」
平然と聞かされる内容に茫然としてしまう。
姉は優しい人だと言っていた。が、この話を聞く限り、優しいどころか冷酷としか言い様がない人間じゃないか。
カツコツと響く足音は死刑宣告に似て、音がする度に手足の感覚がなくなっていく。
「だけどアタシは貴女に死んで欲しくないと思ってるわ。」
「…なんで…?」
「真白ちゃんと、真白ちゃんの大事なものを守る事が、延(ひ)いてはアタシの大事なものを守る事に繋がるからよ。」
「大事なもの、」
「気になるなら明日話してあげるわ。…貴女がまだ船に居られたら、だけどねぇ。」
カツン、と副船長さんの足が一つの扉の前で止まった。
観音開きのそれをノックすれば向こう側へ開く。
広い室内には数多くのテーブルと椅子が並んでおり、中央にあるテーブルだけは円く、そこに先ほど見た黒髪の男と船長を含め見覚えのある人々が座っている。
二つ空いた席の片方、船長の正面に当たる位置の椅子に下ろされた。
副船長さんは船長の隣りに空いていた椅子へ腰掛けるとテーブルに頬杖をつく。
周りのテーブルにも強面の男達が所狭しに席についたまま、あたしを全員が見ている。全身に突き刺さる視線に友好さは欠片もない。
そのどこにも真白の姿は見えなかった。
見回していた顔を正面へ戻した時、目の前に座る男が口を開いた。
「真白なら部屋だ。アイツがいると話が進まねェからな。」
「…そうですか。」
まぁ、姉が居ては確かに彼らも話し難いだろう。
不躾な視線でジロジロと船長に全身を眺められ、あたしも負けじと半ば睨み付けるが如く見返した。
どんな時でも、あたしはあたしらしく。
それはちっぽけで子供っぽいプライドだけど、この状況で自分を奮い立たせるためには、くだらない意地だろうが何だろがそれに縋り付くしかない。
真っすぐ見返すあたしに船長は獣が唸ったみたいに低く笑ったが、金色の鋭い瞳は少しも緩んでいなかった。
「あたしをどうするつもりですか。」
殺すのか、船に置いてくれるのか。
勿論易々と殺される気なんかないし、そうなったら何が何でも逃げ延びてみせる。
でも、出来れば船に乗っていたい。
三年ぶりに会った姉とは話したいことが沢山ある。姉がいるこの船のことも知りたい。
「お前を置いて俺に何か得があると思うか?」
「分かりません。こんな体じゃ出来ることなんてないかもしれません。」
「言っとくが、この船に役立たずは要らねェ。」
「では、殺しますか?あたしも死にたくはないので、その時は全力で抵抗しますよ。」
「へぇ?」
直後にシャリンと金属が擦れる高い音が響いたかと思うと、一瞬であたしの真横を剣が突き抜ける。
よく磨かれた刃はあたしを映し出す。そこには真っ白なクマの顔がこちらを見ていた。
姉が好きそうな可愛らしいヌイグルミだった。
「逃げねェのか?」
剣をあたしへ構えたまま船長が問うて来る。
恐らく剣が横薙ぎに振られれば、このヌイグルミの首は呆気なく落ちるだろう。