唐突な息苦しさに私は思わずむせてしまいました。
口元につけられた呼吸器を外そうと手を伸ばすと私を呼ぶ声がします。
真っ白な部屋を背景に妹の顔が飛び込んできて、涙で真っ赤になった目が心配そうに見下ろしてくるのです。…ウサギみたいなのですよ。
ふふっと笑った私に妹が抱き付いてきました。
「ごめん、ごめんね真白。」
涙混じりの声にゆっくりと首を振ります。
「わ、たしも…わがままを、言ったのです。」
「そんなことない!ホントは嬉しかった!真白がブローチを片方くれたの、すごく嬉しかったのに、あたしになんか似合わないって思って…!!」
「にあい、ますよ…だってわたしの…妹、だもん。」
顔を上げた妹に私は精一杯の笑顔を浮べます。
病室にはお父さんとお母さんがいました。お友達はまだ学校なのか、いないのが残念なのです。
泣きそうな顔をしているお父さんとお母さんにも笑います。
「おとーさん、おかあさん…ごめんなさい。」
親不孝でごめんなさい。心配かけてごめんなさい。
向こうの世界を選んでしまってごめんなさい。
妹を見ると、嫌々と首を振って私にしがみ付きます。
「だい、じょ…ぶ。きにして、ないよ。」
「やだ!真白…っ!」
「だから、もう、きにしないで…。」
あれは事故だったのです。誰も悪くないのです。
あの事故があったからこそ、私は向こうの世界でヴェルノさんと出会うことができました。
きっかけをつくってくれてありがとう。
占い師のおばあさんがくれたブローチは妹がくれたブローチにそっくりだったのです。あれがある限り、私はずっと、いつまでも、お姉ちゃんなのですよ。もう絶対に忘れません。
お父さんお母さん、今まで育ててくれてありがとう。
妹も私の我が侭をいつも聞いてくれてありがとうなのです。
お友達もクラスの皆も私と仲良くしてくれて、本当にありがとうなのです。
そして皆にさよならをしないといけません。
「ありが、と…みんな、だいすき…です」
目を開けると、また水の中に戻っていました。
女の人が映像を見ています。ピーッという甲高い音が鳴り続ける真っ白な部屋で‘私’に縋り付く妹、抱き合って泣くお父さんとお母さん。笑ったままの‘私’。
私の鼻もツンとして今にも泣いてしまいそうなのです。
それを我慢していれば、女の人が苦笑して私の頭を撫でます。
…あ、私、元の人間の体に戻っているのですよ!
ヌイグルミよりずっと高くなった視線を下に落とすと青白い手足と真っ白なワンピース。
「本当にこれで良かったの?」
「はい、これでいいのです。」
私よりしっかり者の妹ですから、私の言葉を理解して、きっと立ち直れます。
それに、この世界でやらなければいけないことがまだあります。
「お姉さんの伝言を伝えるという役がまだ終わっていないのですよ。」
私の言葉に女の人は目を丸くしました。そうして綺麗な翡翠色の瞳から涙が零れ落ちます。
「覚えていてくれたのね。」
「勿論なのです。どなたに、何とお伝えすれば良いのですか?」
女の人はどこからか取り出したあの花のブローチを私の胸元につけてくれます。
考えるようにちょっとだけ私を見て、上を見上げ、笑いました。
「夫に‘愛してる。でも、もう待たなくていいのよ’と伝えてちょうだい。」
嬉しそうに微笑んだ女の人に私は頷きます。絶対に、絶対にお伝えするのです。
上を見上げれば遠くに青い水面がゆらゆらと揺らいでいました。
水面の向こう側にヴェルノさんがいます。アイヴィーさん達がいるのです。
足元を蹴れば体はまるで泡みたいに浮かんで、女の人から離れていきました。
「貴女も幸せになってね」下から聞こえた女の人の声に押されるように私は手足を動かして上へ上へと進んでいくのです。
キラキラと輝く水面の青さ。同じくらい青い髪の人が私を待っているのです。
水面に手を突っ込み、そのまま勢いこんで顔も突き出しました。
冷たい空気が顔や手に触れて、突然足が固い地面を踏んだかと思うと、青い泉の中に私はずぶ濡れで立っているのです。
水面は私の肩より少し下辺りで穏やかに揺れています。
顔を上げれば泉の端でヴェルノさんがこちらを見つめています。
いいえ、ヴェルノさんだけではありません。
この薄暗く青い部屋の中にいる全員が私を見て、酷く驚いた顔をしておりました。
…名前を呼ばなきゃ。私だって。真白ですって言わなきゃいけないのに。
「…っ、うぁ、あぁあぁっ…!!」
口を開けたら言葉にならない声と涙が溢れるのです。止まらない涙で視界がぼやけてしまって、せっかくのヴェルノさんの顔も見えません。
ちゃんと、さよならしたのに。全部じゃないけれど言いたいことは伝えられたのに。
ヴェルノさんの顔を見たら元の世界の皆のことがすごく恋しくなって。
それと同じくらい戻って来れて良かったって。
ヴェルノさんとまた会えて良かったって、心の底から思えたのです。
「ふっ、ぅ…ヴェ、ヴェルノさ…っ!」
お父さんやお母さんよりも。妹よりも。お友達よりも。
お気に入りだったヌイグルミよりも。甘い甘いお菓子よりも。
私はヴェルノさんが大好きなのですよ。
「っ…真白、なのか…?」
今、一番聞きたかった声が名前を呼んでくれた。
もうそれだけで私は死んでしまいそうなのです。