暗くジットリと湿った空気が溜まるそこは、海賊達の孤島からかなり離れた海にある小さな無人島だった。
断崖絶壁とも言える岩肌を抜け、世辞にも歩きやすいとは言い難い草木の生い茂った森の中にあるその洞窟には何人もの男達が集結している。
それこそ名の知れた海賊から、ポッと出ながらも力のある海賊まで様々だ。
互いの顔が見えるか否か程しかない明かりで照らされた古ぼけたテーブルには、人数分のグラスが置かれていたが、中身は何もない。
男達の後ろには彼らを慕う部下達がその背を守っている。
「おいっ、まだ始まらねぇのか?!」
苛立った声と共にテーブルがガタンと音を立てて揺れる。
気の短い男の様子に何人かは呆れた顔をし、何人かは特に反応を示さなかったが、生憎互いの顔すらほとんど見えないため表情を読み取ることは出来ない。
男の声が洞窟内に反響して消えた頃、暗闇からコツコツと二人分の足音が響いてきた。
全員が音のする方へ視線を向ける。
「そう怒鳴(がな)らないでちょうだい。」
愉しい話し合いが台無しでしょ?
どこか愉しげな雰囲気を含んだ低い声が静かに木霊する。
二人のうちの片方がテーブルに残っていた空席の一つに腰を下ろしたが、先ほど声を発した者ではなかった。
席が全て埋まると空いていたグラスに液体が注がれ、小さな蝋燭の光りに照らされた赤ワインが血のように怪しく揺らめく。
「…呼び出した理由は分かるな?」
椅子に腰掛けた男の低く、妙に威圧的な声が響く。
誰もが頷いた。見えるはずがないその様子を見回す気配がしてから、男の低い笑い声が広がった。
「海賊達の孤島が無きゃあ、俺達に休める場所はねぇ。」
例え陸地にいても海賊は追われる。彼らの領分である海でも然り。
海賊が羽を休めることの出来る場所は‘海賊達の孤島’だけなのだということは、新米の船乗りでも知っている事実だ。
そこが無くなってしまえば食糧や酒などの調達も今よりずっと不便になる。
普段は敵同士で顔を合わせれば命の奪い合いをする間柄であっても、この忌々しき事態のでは話は別だ。
「ウェルダンは捕まったんだってねぇ?」
「今回はあの軍師の独断だったせいで、逃げる余裕がなかったみたい。」
「か、海軍もめ、面倒臭い事をしてくれたモ…モンだなぁ。」
「俺ぁ換金しようとしてたモンの一部が海の藻屑になっちまったしよ。」
珍しい女海賊の言葉を皮切りに次々とそこかしこから文句やら溜め息やらが飛び交う。
周囲の海賊達からも大きくはないが野次が飛んでいた。
が、ダンッ!!と力強い音と共にテーブルが跳ね、不協和音のように洞窟内に広がっていた数々の声はピタリと止む。
水を打ったように静まり返った中で、ナイフをテーブルに突き立てたまま男が口を開く。
「何時もならこれくらいで召集したりなんかしねェ。だが今回は別だ。」
目が合っているかも分からぬ暗さだと言うのに男から漂う切り裂かれるような殺気に誰もが思わず息を呑んだ。
「俺は気に入ったモンを奪われるのも、ましてや手から離れるのも許さねェ。」
「…そのお気に入りは海軍の所にあるってことかしら?」
「あぁ。それもあのお堅い軍師サマの手元に、だ。……胸糞悪ィ。」
摂氏零度の空気を纏わせる男の機嫌が悪いことは言うまでも無い。
このまま機嫌が下降の一途を辿れば一体何が起こるのか。それは長年の付き合いをしている海賊達にも予測はつかなかった。
男の後ろから先程の声が響く。
声は‘海軍基地に奇襲をかける’旨と‘お気に入り以外は興味がないから財宝は全て他に譲る’といった内容の話をした。
それには静かだった洞窟内も流石にざわめく。
かつてこの男がこれ程までに何かに執着した事はなかった。
人であっても物であってもそれは変わらず、だからこそ‘冷酷な海の狼’と呼ばれているのだ。
「異論は認めねェ。」
「そんな事は言わないが、奇襲というからには何か作戦があるんだな?」
「勿論、海軍の鼻を明かすには最高の|遊び(ステイル)を用意するつもりだ。」
「あら、それは楽しみね。」
男がグラスを手に持つと、全ての海賊が己もとグラスを片手に立ち上がった。
瞬間、眩しいほどの松明の明かりが一斉に壁に広がり、洞窟内が明るく照らし出される。
美しい女海賊、大柄で髭を生やした赤ら顔の海賊、開いているのか閉じているのか分からないほど目の細い海賊、パッと見は子供にしか見えない海賊――…
大きなテーブルを囲むように佇む海賊達の中で唯一椅子に腰掛けたままの男がグラスを掲げて笑う。
「成功を願って海の魔女、エトワールに祈りを。」
「「「「「「「祈りを!」」」」」」」
男がグラスを傾ければ、全員が一気に赤ワインを飲み干した。
そこからは飲んで騒げの宴会にも近い状態へとなっていくが、男はゆったりと椅子に腰かけたまま優雅にグラスを傾けている。
その背後にずっと佇んでいた人物がやや不満げな声で男に声をかけた。
「今回の作戦はちょっと危険じゃない?ヴェルノ。」
何時ものようにただ突っ込んでいくだけではつまらない。
それだけでは、海軍の鼻を明かせないし、やるならば相手のプライドごとズタズタにしてやらねばヴェルノの気がすまなかった。
椅子の背もたれに寄りかかって聞いてくるアイヴィーに、ヴェルノは黄金色の瞳を滑らせて見やる。
「そうか?今までで一番簡単な策だ。」
「アンタねぇ…自分がどれだけ有名か分かってるのかしら?顔見られたら一発でバレるんじゃないのぉ?」
「そんなヘマ、俺がすると思ってんのか?」
「いいえ、思ってないわ。でも念には念をって言いたいのよ。…アンタが怪我なんてしたら真白ちゃん、きっと泣いちゃうわよ?今じゃ珍しいくらい優しい子だもの。」
真白、という単語に黄金色の瞳が静かに細められた。