…あれ、ウェルダンさんのところに戻してはくださらないのですか?
思わずキョトンとしてしまう私を余所に男の人は私を片手にどんどん牢獄から離れて行きます。
後ろからガチャリと扉の鍵を閉めるような音がして、薄暗い階段を上がって重厚な木製の扉を抜けると一気に辺りが明るくなって一瞬視界が真っ白になりました。
少しずつ目が慣れましたら綺麗な廊下が続いていることに気が付きます。
赤い絨毯を左右に等間隔で並ぶランプが照らしています。さながら映画の豪華客船のような造りをしているのです。
そこをコツコツと靴音を立てて歩く男の人を少しだけ見上げましたら酷く眉を寄せて不愉快そうな顔をしていました。
一言も話さず男の人は数人の軍人さんを引き連れてどこかの部屋に入りました。
室内はやはり豪華で、大きな机の上には沢山の書類やらよく分からない地図のようなものが広げてあるのです。
私はポイとその机の上に放られてしまいました。
何枚もの書類を潰してしまいましたが、起き上がる訳にもいきません。
残念なことに他の軍人さんはこの部屋へ入ることなく、廊下で別れてしまいました。
あぁ、どうしましょう?
そう考えているとダスン!と固い音がして何やら体に違和感を感じました。
少しだけ視線をずらしましたらエメラルドグリーンの瞳が冷たく私を見下ろし、白い肌の手が何かを私の体へ押し込んでいます。
離れた手の中を見て漸くそれが何なのか理解しました。ナイフの柄なのです。
つまり私の体にナイフが刺さっているのです。
これは流石に扱いが酷いのですよ。痛みはないのですが体にナイフが刺さっているなんて嫌なのです。
「…こんな人形(ガラクタ)なんぞ…!」
怒りのこもった声が降ってきました。
コンコンと扉をノックする音がして「入れ」と男の人が言いますと、軍人さんが入ってきます。
一度敬礼をしてから何やら難しい話をし出して、それに男の人は軽く頷くと私に背を向けて部屋を出てしまいました。
シンと静まり返った部屋の外で足音がしなくなってから、私は漸く動くことができるようになりました。
とは言いましてもお腹の辺りにグッサリ刺さったナイフはかなり深いようで、引っ張ってみてもビクともしないのです。
何度も試してみましたがやはり引き抜けません。
机に張り付け状態なのですよー…。
なんだか情けなくって起こしかけていた体を机に投げ出していましたら、突然扉が開きました。
そのままヌイグルミのフリをしていると視界の端にひょいと見知らぬ人が現れます。
歳は十代前半から二十代前半くらい、ダークグレーの長髪にやや眠たげな空色の瞳をした人が私を見ます。
「君、動けるんでしょ?」
のんびりとした口調で聞いてくるその人に思わず目を見開いてしまいました。
「どうして分かったのですか?」
少しだけ体を起こして見上げましたら眠たげな瞳が緩く笑います。
「俺ね、ウェルダンの弟のジーク。とは言っても腹違いなんだけどね。」
「弟さん…ではウェルダンさんから聞いたのですか?」
「うん。というかさっき軍師と一緒に牢にいたんだけど。」
「え、気付きませんでした。ごめんなさいです。…ぐんし?」
「カルヴァート軍師。」
ぺこりと頭を下げると、良いよ良いよと軽く手を振る。
…あの酷い人は軍師で確かにウェルダンさんがカルヴァートと呼んでいましたっけ。
あんな人にさん付けなんて必要ないのです。カルヴァートで十分なのです!
ちょっと怒りを感じつつナイフを抜いてくださいませんかと聞きますと、何故か首を振られてしまいました。
「俺、勝手に入り込んでるからナイフ抜いたら誰かが入った事がバレちゃうし。」
だそうです。残念です、せっかく自由になれると思ったのに。
せめてどんな状態なのか教えて欲しいとお願いすると、それは頷いてくださいました。
「服切れてるよ。それにナイフが思いっきり腹部に刺さってて…ちょっと待って。……あ、机に刃が刺さってるね。これは君の力でも抜けないかな。資料を巻き込んでない辺りはさすが軍師だなぁ。」
「自然に抜けた、という風には出来ませんよね…?」
「うん、無理だね。ありえない。」
キッパリ否定されてしまい溜め息が漏れてしまいます。
牢獄から出られてもこれではウェルダンさんのお手伝いも何もできないではありませんか。
「…あ。そうだ。ウェルダンから伝言。」
「はい?」
「‘無茶をせず。人形のフリをしていて下さいね’だってさ。」
「……はい、分かりましたです。」
先読みされてしまっていたのですよ。
しょんぼりして頷きましたらジークさんが笑って頭を撫でてくださいました。
…ヴェルノさんはポンポンと軽く叩くように頭を撫でてくださいますが、ジークさんは違うのですね。
なんてちょっとだけ寂しい気持ちになってしまいます。
そろそろ軍師が戻ってくるから、とジークさんは部屋を出て行きました。
ポツンと一人だけ取り残されてしまうと思い出されるのは離れてしまったヴェルノさんやアイヴィーさんたちのことばかりです。
ここに来ていないということはきっと逃げ切れたのでしょう。
無事であれば何よりなのですが最後に見たあの鋭い瞳は忘れられません。
「…早く、来てくださいませんか?」
流石にナイフが刺さったままでは嫌なのですよ。