胸元にしっかりくっついて離れないヌイグルミを片手で抱えながら、ヴェルノは海賊達の孤島の奥へ歩いて行く。
先ほど出会った古い知人ともう暫く話をするのも一興だったが真白が知人へ怯えるような仕草をしたので、手短に済ませて分かれた。
最初は海賊が怖いのかとも思ったが、どうやらそうではないらしく、大柄な男はヌイグルミにとって少々恐怖を煽られるらしい。
小さなヌイグルミからすれば自分達でさえ大きく見えるのだから更に大きな男を怖がるのも無理はない。
海賊だから怖がっている訳ではない。という所も面白い。
普通は海賊だと知ると大抵泣き叫んだり逃げ惑うものだ。
だがこのヌイグルミは逃げるどころか他の者を見たら自分の下へ寄ってくる。
自分こそが海賊だというのに変わった女だ。
抱えられて安心したのか立ち並ぶ酒場や娼館を物珍しそうに眺めている。元々大きな赤い目が更に大きく見えて、そのうち零れ落ちてしまうんじゃないかと内心噴出しそうになりながらヌイグルミの様子を眺めていた。
「ヴェルノさん、ヴェルノさんっ。」
何時もののんびりとした口調よりも、やや興奮で上ずった幼さの残るソプラノの声が名を呼んでくる。
「何だ。」
「あの人ナイスバディですよっ。どうやったらあんな素晴らしい体になれるのでしょうかっ?」
丸い手が示す方には鮮やかな赤のドレスを纏った魅惑的な女がいた。娼婦だろう。
紅い口紅が実に扇情的だがあれを見て興奮しているのだからやはりこのヌイグルミは変わっている。
「さぁな。」
「そうですか…。あんな大人な雰囲気漂う女性に私もなりたいのです。」
そりゃ無理だろう。口から出かけた言葉を何となく飲み込んだ。
キラキラと輝く赤い目にそんなことを言えば、気落ちするのが目に見えている。
全くこのヌイグルミはコロコロと表情を変えて飽きさせないのだから不思議な生き物だ。
中身は女だろうに、男の腕の中でワーワー楽しげにはしゃいでいる辺り、まだ男女の仲なんてものとは無縁なのだろう。
セシルの買ってきた串肉を喜んで食べていたが、食べ終わった後にウサギの肉だと聞かされて衝撃を受けていた。
小さな「共食い…!」という言葉を拾ってしまった時は流石のヴェルノも笑いが漏れた。
ヌイグルミのウサギなのだから別に共食いにはならないだろう。
海賊らしくない、この柔らかな空気を案外気に入っていた。
商船や別の海賊船を襲う時の楽しさと、ヌイグルミと戯れる愉しさは根本的に何かが違うのだ。だが、それが何なのか分からないほどヴェルノも子どもではない。
…まさかこの俺が、な。
腕の中のヌイグルミを見下ろせば、赤い瞳がきょとんと見つめ返してくる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもねェよ。」
「そうですか?あ、帰りにお皿とかフォークとか買いたいのです。今のままだと大きいので。」
「あ?いらねェだろ。」
「いります、とっても必要なのですよ。あの大きいお皿のままでは、いつか私のお腹がはち切れてしまうのです。」
ぺちぺちと叩いてくる丸い腕が抗議する。
痛くも痒くもないが、全く以って新鮮な反応だ。
仕方ねェなと言うと嬉しそうに笑って礼を述べてくるヌイグルミは、媚びたりしない。
まぁ、甘えたりはするが今まで抱いてきた娼婦達に比べれば可愛いものだ。
大量の服をせがむ事もない、食事にも文句は言わない、言われた事はしっかりこなす。けれど自分の言いたい事はハッキリ言う。
少々抜けているところはあるが幼さと相まって愛嬌にしか思えない。
子どもと大人の中間のようなヌイグルミだ。
「ふーん、ふーん、ふーん。かけっこ、かけっこ、捕まったら負け負け。捕まえたら勝ちよ。海賊ルールで負けたら没収、勝ったら強奪、弱肉強食、海賊の世っ界〜♪」
目の前を駆けていった数人の海賊達を見て、どこか調子っ外れな歌を歌い出す。
穏やかで間延びした歌の内容にアイヴィーが若干口元を引きつらせる。
「ねぇ、真白ちゃん。その歌、今考えたのかしら?」
「はい、そうですよー。海賊の世界はとてもワイルドなのです。」
あれは狩られる側と狩る側の命をかけた鬼ごっこではあるが、真白が歌うと妙に間の抜けた感じがする。
が、本人は気に入ったようで、また続きを考えるように鼻唄を歌い始めた。
それに合わせて白い体が揺れてリズムを刻んでいるのだが恐らく無意識なのだろう。
その後も道端で起こる喧嘩を見て歌ったり、途中立ち寄った娼館の女達を見て綺麗綺麗と歌って大層喜ばれたり、ある意味満喫しているようだった。
「次はどこに行くんですか?」
娼婦から貰った棒付きの飴を食べながらヌイグルミが聞いてくる。
喋るたびにモゴモゴと口の辺りから生えている棒が動いた。
最近では随分見慣れたその光景に視線を落としつつ、答える。
「海賊達の孤島(ここ)のお頭さ。」
「お頭さん?ですか?」
「本当に会いてェのは違うが、居るか分からねェしな。」
この島を束ねる男の所には一人の老婆がいる。
ソイツはだいぶ歳のいったヤツだが先視師(さきみし)と呼ばれる、世界でも数少ない特殊な力を持つ老婆だ。
客の望みを聞き、そうしてその望みを叶えるためのきっかけや必要な物を教えてくれる。
勿論望みが叶うか叶わないかは、その後の客自身の努力や選択によって異なるが。
とりあえずどうすりゃこのヌイグルミが人間になるか、だ。
自分だって何時までものんびり腰を据えて待つつもりはない。
ヴェルノのそんな考えなど欠片も気付いた様子もなく、真白は腕の中で辺りを見回している。
「おい、少しは落ち着け。」
「あ、はい。」
軽く注意すれば視線を巡らすのをやめて腕の中で静かになる。
従順過ぎる女はつまらないが、気の強過ぎる女はうざったい。
これくらいの女が一番丁度良いのだ。
楽しげに口元に弧を描いて歩くヴェルノの姿にアイヴィーと幹部達は顔を見合わせて苦笑した。
気付かないのは何時だって本人(ましろ)ばかり。