ポンと頭に乗せられた手に志貴は一度きょとんとした。
頭を撫でられるなんてずっと昔にしかなかった。だから思わず目の前の泰河を見つめてしまう。
けれど嫌な気分はしなかった。
振り払わずにいれば少しして手は頭から離れていく。
それでもまだ頭の上に手が在るような感覚がして、自分の手で触れられた場所を触ってみる。
「ぁあ〜!ナニナニ今のぉ!!ちょー気になるんですけどぉ?」
うるさい声がして、言おうとして、先ほど兄に注意された事を思い出した。
誰が偉いのかは分からないけれど昨日みたいな‘うるさい’発言はダメなのだと考え、黙ることにする。
「うるせぇ。」
「ひどーっ。オレも混ぜてよぉ。」
「その前にお前は言う事があんだろうが。」
クルリと志貴を椅子ごと回転させて銀二に向けさせる。
銀二は一瞬たじろいだ風だったが、志貴は不思議そうに銀二を見上げて一言、
「…だれ?」
と言った。それにはさすがの銀二も怒りを通り越して呆気に取られていた。
が、すぐにハッと我へ返って兄へ詰め寄る。
「ちょ、トキ!何この子!昨日のコト忘れちゃってんのぉ?!」
「だから言っただろ?忘れてるかもしれないって。」
「昨日の今日で殴られた相手忘れるとかありえなくね?!」
目の前で騒ぎ出す兄と銀二を見てから、自分の椅子を回して後ろにいる泰河を振り返った。
志貴のその目には一体なんだという思いがありありと浮かんでいる。
いくら何でもこんな短時間で忘れるなどおかしい。
特に殴られたというのに、その相手を目の前にして怯え一つないなんて。
「おい、トキ。」
どういう事だと言外に問えば、困ったように眉が下げられる。
「志貴、俺らちょっと話があるから向こうで遊んでて。」
「ん。」
示されたダーツに素直に頷いて歩いていく志貴を兄は見送る。
ある程度離れて声が聞こえないだろう距離になってから、朱鷺はふっと息を抱き出した。
それは疲れたような何かを諦めたような雰囲気すらしていた。
「アイツは大人になれないんだよ。変だと思わなかった?アイツもう十七なのにチビだし、言動も子どもっぽいだろ?」
言われてみれば小柄というには小さすぎる気もした。
自分が百八十ちょっとあるけれど、志貴はどう見ても百四十あるかないかくらい。
言動も子どもっぽく、本当に十七であるとは思えない。
「十年前、親父とお袋が事故で死んだんだ。高速道路でさ、居眠り運転のトラックに横から突っ込まれて…親父は即死だった。けどお袋は生きてて、でも乗ってた車が炎上し出して割れた窓から何とか助け出されたのはアイツだけ。お袋も結局死んだ。」
朱鷺はその時、偶然友人と出かけていたため家族とは別行動をしていたのだ。
電話がきて病院へ駆けつけた頃には志貴はベッドの上で眠っていて、両親の乗った車は見るも無惨に焼け焦げていた。
二人の遺体は見ても分からないくらい酷くて葬式のときも最後の死顔を見ることすら出来ず、志貴もそれから一週間ほど目を覚まさなかった。
「ようやく意識の戻った志貴も、前の志貴じゃなかった。前は明るくて活発的で、人見知りもしないヤツだったのに…目を覚ましてからの志貴はロクに喋らないし、動かない。看護士や俺が言わなきゃ食事だってしなかった。」
それに比べれば今はだいぶマシになった。
けれどそれから少しして志貴は身長が伸びなくなった。身体の成長が止まってしまい、十七になった今でもその体は細く骨張っていて女らしさがない。
精神面でもそれは同じだった。
大人になることを拒否したのか、それともショックが強過ぎたのか。志貴はそれから欠陥だらけだ。
怪我をしても痛みが分からない。自他への興味が湧かない。感情が乏しい。
普通の人間ならば足りているはずの大よそが志貴は足りていなかった。Prev Novel top Next