自宅マンションに到着すると少女は驚きとも呆れともつかない溜め息を零した。
助手席からマンションを見上げる姿を横目に地下駐車場へ降りて行くと、殊更驚いた様子で「すごいですね、」と呟く。
入居者ごとに振り分けられている駐車スペースに車を収めて少女と共に今度はエレベーターへ上階へ向かう。
そうして最上階で降りると何やら納得した様子で後をついて来た。
数多くの面倒なセキュリティを解除している間、興味深々の体で此方を見ていたが、目が合うと気まずげに逸らされる。別に見られたからと言って困るような事は何もないのだが少女の方はそうでもないらしい。
とりあえず扉を開けて中へ招き入れる。
リビングに通し、ソファーに座らせた。家具は基本的に自分に合わせたサイズなので少女からすると少々大きいかもしれない。
「コーヒー、飲めるか?」
流石に何も出さない訳にはいかないので、そう問い掛けてみれば少女は慌てた様子で両の手を体の前で小さく振る。
「えっ、いえ、お構いなく。」
「そういう訳にもいかないだろう。君は客なんだ。」
「…じゃあ、ミルクとお砂糖をいただいても良いですか?」
「勿論。」
少し気恥ずかしそうに言う少女に鷹揚に頷く。
元より少女がブラックコーヒーを飲めるとは思っていなかった。
キッチンに入ってマグカップを二つ出す。時間が無いのでインスタントなのが申し訳ないが粉末のコーヒー豆をカップにいれて湯を注ぐ。
自分のものは濃い目に作って少女の分は瓶のラベル通りに作る。
それから以前少女にもらった菓子がまだ残っていることを思い出し、取り出すと受け皿に詰めた。スティックシュガーとミルクと共にコーヒーを持っていく。
少女はソファーの隅に申し訳なさそうに座っていた。
やや緊張した面持ちに、やっと状況を理解したのかと内心でほんの僅かに呆れながらもコーヒーを手渡した。
「ありがとうございます。」
「どう致しまして。」
スティックシュガーとミルクをテーブルに置き、キッチンから更に菓子を持ってくると少女は恐縮した様子だった。が、一人では食べ切れないからと言えば観念したのかソロリと菓子に手を伸ばす。
取った菓子が受け皿内の菓子の中で最も小さいものだったのがまた少女らしい。
自分もマドレーヌを一つ食べる。
ほのかなマーマレードの香りがした。かなり甘いがコーヒーを流し込むと苦味と相まって程好くなる。
少女は菓子を食べ終えると少し肩の力が抜けたようで「すごく綺麗なマンションですね。」と言った。
一年の大半を仕事に費やしてしまっているので普段はほとんど使わない部屋だが、どうせ金はあるのだから良い部屋が欲しかった。そう告げると勿体無いと眉を下げる。
確かに4LDKであるにも関わらず使っているのはLDKと寝室、バスルームなどだけで残り三部屋はほぼ未使用だった。一部屋は来客用にとベッドや机、箪笥など必要最低限の家具を置いてあるものの来客があった事すら無い始末である。
たまに来る部下たちも広いからとLDKで酔ったまま雑魚寝をするくらいだ。
残りの二部屋には荷物が一切ない。掃除もラクだが無駄なスペースでもある。
空いている部屋に書斎を作ったらどうかと聞かれ、それも良いなと返す。部屋の模様替えなどという事はほとんどしないのだが、どうやら少女はそういう事が好きなようだ。
そんな風に他愛の無い話をしている間に日が大分傾き、部屋が薄暗くなってくる。
もう少女を送り届けるべきかとソファーから立ち上がり帰宅を促すと窓の外を見た少女は「時間が過ぎるのが早いですね」と沈み行く夕日に目を細める。
それから部屋を出、地下駐車場までエレベーターで降りて車へ乗った。
車を走らせている間、疲れてしまったのか少女がウトウトと船を漕ぎ出してしまう。それでも首を振ったり目を瞬かせたりと眠らない努力をしているのは横目に分かった。
その姿があまりに一生懸命で思わず笑ってしまう。
声が聞こえたからか少女が此方を見てから、何に笑われたのか気付いて顔を赤く染めた。
「……笑わないでください…!」
「すまない。眠たいのなら寝てて構わない。」
「いえ、大丈夫です。」
とは言うものの、少女はやはり眠たげに大きめの黒い瞳でゆっくりと瞬きを繰り返していた。
――どれだけ持つ事やら。
まだ少女の住むアパートまで時間がかかる。それなりに値の張る愛車はスピードが出ていても揺れが少なく、スポーツカーらしく座席は体にフィットするタイプ。
座り心地の良い座席で僅かな振動と車内に流れるクラシックは恐らく少女の睡魔を誘発させているだろう。
会話から十分程は少女も粘っていたが、高速に乗る頃には隣から規則正しい息が聞こえてきた。
チラリと横を見れば街の明かりに微かに照らされた少女は案の定眠っている。
起こしてやっても良かったのだが、どうせ今起こしても後で起こしても反応は変わらないだろうと、アパートに着くまで暫し少女に休眠を取らせることにしつつアクセルを少しだけ緩めて走行した。Prev Novel top Next