「え?」「えっ?」
僕達は揃って面食らった。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。
まさか金銭的な話をされるとは夢にも思っていなかったのだ。
何かの聞き間違いかもしれないと僕は恐る恐る聞き返した。
「えっと、お金取るんですか……?」
神代先輩が一つ頷く。
「当たり前だ。私は慈善家(じぜんか)でもなければボランティアでもない。依頼人の相談を受け、それを解決するという仕事をしているんだ。それとも君達は私に時間や金を割かせておいて、自分の問題から開放されたら‘はい、さようなら’で済ませるつもりだったのか?」
逆に問い返されて僕は答えに詰まった。ぐうの音も出ない正論である。
これからする相談が額面通り、ただ話をして助言をもらうだけで終わるとも限らない。解決するために神代先輩がどこかに行ったり、必要な物を買ったりする可能性もある訳で、それを何の見返りもなく助けてもらおうというのは厚顔無恥に過ぎる。
だが黙った僕とは反対に、隣に座る彼は渋った。
「……同じ同好会の先輩後輩なのに……」
すっ、と神代先輩の目が鋭く細められる。彼の肩が小さく跳ねた。
「では尚更特別扱いは出来ん。この同好会の部員からも依頼は受けたことがある。勿論、その時も金は支払ってもらった。金額をまけることも、タダにすることもしない。私の仕事への正当な報酬だからな」
彼が考えるように口を噤む。相談するか止めるか悩んでいるようだ。
神代先輩は急かすでもなく静かに待っている。
決め兼ねた様子で眉間に皺を寄せる彼の代わりに、僕は少しでも判断材料になればと神代先輩へ質問することにした。自分の好奇心からの質問でもあった。
「幾(いく)らですか?」
あんまり高いと学生には辛い部分だ。
「内容にもよるが五千円から一万円。前払いだ。遠出や物を買うなどの出費分は必要経費として別途請求する。解決しなくても依頼料の返金は受け付けない。ただしその場合は信頼の置ける神社を紹介しよう」
自分で聞いておいて、提示された額が相場より高いのか安いのか分からなかった。
いや、学生の財布事情を思えば多少高い気もする。依頼するだけでそれだけ支払い、他にも必要経費が出たらそちらも上乗せされるのだし、返金がないのなら決して安いとは言い難い。
「すみません、もう一つ質問があります」
「何だ」
「例えばの話ですけど、神社やお寺でお祓いをしてもらった場合や、他の霊を祓えそうな人に頼んだ場合の相場はどの程度ですか? それを聞かないと神代先輩の言った額が高いのか安いのか分からないので」
そう聞くと神代先輩は感心したような、でも少し呆れたような顔を見せた。
「そうだな、寺社での祓いは五千円から一万円くらいか。やり方次第でそれより高くなることもある。そして世間で言うところの霊能力者はピンキリだ。有名人ともなれば数十万、数百万はザラだな。まあ無名の者で五万以内の料金設定なら良心的だと思うがね」
その話で考えると神代先輩の金額はなかなかに良心的と言える。
「その辺の神社か寺に行った方が安くないか?」
説明を聞いて彼がこっそり耳打ちしてくる。
僕は同意しようとして、ふと本当にそうなのだろうかと疑問が湧いた。
確かに金額だけ見たら神社かお寺の方が安い。必要経費が出ることを仮定すれば、その分、神代先輩に頼んだ方がどうしたって高くなる。ただお祓いを受けたいだけなら前者で充分だ。
「でも祓ってもらって効果がなかったら結果的には損だよね? それだったら今まで何人も相談を受けて解決した神代先輩の方が確実じゃない? 霊能力者なんか金額的に無理だし」
耳打ち返しながら、僕は頭の中で自分の意見に賛成していた。
お祓いをしてくれる神社やお寺には申し訳ないけれども、気休めとか形だけとかでは困るのだ。隣にいる彼の真剣な様子を見ても分かるように、きちんと解決出来るということが重要で、その点で言えば神代先輩は実績もあって金額も良心的だし、もしダメでも先輩お墨付きの神社に紹介してもらえるというアフターサービスが付いている。適当な場所に駆け込んでお祓いをしてもらうよりも絶対に良い。
僕達がそうやって話し合っている間も神代先輩は待ってくれていた。
彼はしばし逡巡した後、結論を出した。
「お願いします! 助けてください!」
がばりと頭を下げる彼に、神代先輩はパイプ椅子の背凭(せもた)れから身を起こす。
「宜(よろ)しい。商談成立だ。依頼料については相談内容を聞いてから決めるが構わないな?」
彼が「はい」と了承すると神代先輩は満足そうに頷いた。
それから何故か僕の方へ顔を向けられる。
「ところで君はこの相談の関係者か? それともただの付添い人か?」
「関係者です。昨日一緒に遊んでいた時のことなので」
そうは言っても僕自身には何も問題は起こっていないけれど。
「そうか、ならまずは事の経緯は君が説明してくれ。」
神代先輩に言われ、彼を見れば頷き返された。
本人がそれで良ならと僕は記憶を頼りに昨日のことを話した。
* * * * *
事の始まりは前日の午後八時過ぎくらいまで遡る。
僕と彼と、彼の友人である女の子二人の四人でカラオケ店から出たところだった。
女の子達は初めて会う僕にも気さくに話しかけてくれて、そのお陰もあって自己紹介から一時間も経つ頃にはお互いの連絡先を交換し、冗談を言って笑い合える程度には親しくなれていたと思う。
散々歌って騒いだのに、店を出た後もその楽しい時間を終わらせるのが惜しくて何となく僕達はカラオケ店の前で何をするでもなく留まっていた。
「これからどうする? どっか行きたいところがある人、挙手してくださ〜い」
女の子の一人が冗談交じりに問う。
すると彼が元気よく手を上げた。
「先生、オレ行きたいところがありまーす!」
「はいはい、どこかね?」
「夜泣き石!」
ノリの良い会話の中にぽんとその場所の名前が飛び出した。
女の子二人は‘ああ、あそこか’という顔をする。
「夜泣き石って何? 石が泣くの?」
初耳の僕が聞けば、彼が待ってましたと言いたげに笑う。
「そう、泣くんだよ! 昔、男に捨てられて行く宛てもない女が、その男との間に生まれた赤ん坊を石で殴り殺して自分もその石に頭を打ちつけて死んだらしい。その石は今も残っててさ、夜になるとそこから赤ん坊の泣き声やら、女のすすり泣く声やらが聞こえて来るって話だ」
自慢するように話す彼の横で女の子達も頷いた。
なるほど、それで夜泣き石って呼ばれているんだ。
何でも地元ではかなり有名な心霊スポットらしい。そんな怖い噂がある一方、その場所はすぐ近くの小さな山の遊歩道付近にあるため、昼間はちょっとした散歩コースになっていてそれなりに人も通っているそうだ。小学生の遠足でも使われる道で、地元の人なら誰でも一度はその遊歩道を通ったことがあるとも言う。ちなみにその石自体は小さな石積みの塚の上に野晒し状態で安置されているとか。
僕達のいたカラオケ店はそもそも街の山裾側にあるため、ここから徒歩で行っても三、四十分程度の距離だから暇潰しに丁度良いということで、僕達はその噂の石がある山へ向かって夜の街中を歩き始めた。
「オレ、一度夜に行ってみたかったんだ。親とか学校の先生とかが‘自分の親から聞いた話だが〜’って言ってばっかで実際泣き声を聞いたって奴には会ったことないし、眉唾物(まゆつばもの)かもしれないだろ?」
「あ〜、分かる。みんな親とか知り合いから聞いたって言うけど、本当なのって感じだよね」
「初めて聞いた時は怖くて夜は外に出れなかったけど、なんか今思うと夜中に子供が出歩かないように怖がらせてただけかもしれないし」
三人の話を聞きながら、僕もそういえば小さい頃に悪戯をして‘悪い子はあそこに連れて行くぞ’と地元では怖くて有名な場所の名前を挙げて祖父に叱られた覚えがあった。当時の僕は連れて行かれるのが凄く嫌で泣いて謝ったが、中学に上がった時に祖父から‘実はあの場所には何の謂(いわ)れもない’と教えられたのだ。何てことはない。鬱蒼とした森の暗い雰囲気を利用して、大人達が悪戯小僧を叱るための常套句(じょうとうく)に使っていただけだったという話だ。
どこの土地にもそういう場所や話はあるんだなと少し懐かしい気持ちになる。
「僕の地元にもあったよ。本当は何もない場所だけど、子供を叱る時に‘悪いことをするような奴はあそこへ置いてくぞ’って親や先生によく言われたんだ」
「やっぱりな。オレも親父に‘お前みたいなのは夜泣き石に一晩縛り付けてやろうか’って昔、何度か言われたっけ。それより先にぶん殴られたけど」
そうやって笑い話をしつつ、僕達は街を抜けて山の入り口に立つ。
聞いていた通りに遊歩道があって、地面はしっかりとした石畳が敷かれて綺麗に整備されている。定期的に草取りや周りの木々の剪定も行っているらしく、歩いていて足を草に引っかけたり飛び出た枝にぶつかったりなどという心配もなさそうだった。道幅も四人が横一列に並んでも何とか歩けるほどはある。別の方向に広い車道も続いていた。だが車道と違って遊歩道には外灯がない。夜に人が通ることを想定していないのか、月明かりの大半が木々に遮られたそこは暗い。途中のコンビニで懐中電灯の一本でも買えば良かったのだが、今更戻るのも手間で、僕達はそれぞれの携帯のライトで自分の足元を照らして行くことにした。
「ヤバッ、ちょっと怖くない?」
「暗くなるだけで昼間とは全然違うね」
身を寄せ合う女子二人を挟んだ左右に彼と僕という感じに横に並んで行く。
道の端の方を歩くことになって、僕は存外歩き難(にく)い道だと思った。
綺麗に敷き詰められているように見えた敷石は、道の中央部分は平らだけど、端の方になると石と石の間で段差があったり、たまに敷石がなくて靴底に土を踏む感触があったりする。反対の端にいる彼も同じ状況らしく文句が聞こえて来た。
「意外と道悪いな。石畳ガタガタじゃん。端まで綺麗にしとけよ」
内心で僕も同意しながら歩いた。
それでも一列になろうと言い出さなかったのは、これはこれで夜の山道っぽくて面白いとも感じていたからだ。彼はどうだか知らないが、僕はそう思っていたし、歩き難くても嫌な道ではなかった。
遊歩道に入って、恐らく十五分か二十分歩くと左側の木々の合間に道が現れた。
道と言っても遊歩道のような石畳は敷かれておらず、代わりに踏み固められて草のない地面が森の中へひっそりと伸びている。幅も人がギリギリ擦れ違えるかどうかといった具合だ。
「多分この先のはずだけど、道狭いね」
女の子の一人がその細い脇道をライトで示す。
遊歩道も結構暗いけれど、そちらはより一層暗かった。文字通り暗闇だ。
「一人ずつ一列になって行くか」
彼の提案に全員が頷く。そうするしかない。
横並びのまま、脇道に近い彼を先頭に木々の中へ入る。
脇道は剥き出しの土に砂利や周りの木の根なんかが混じっていて、足元に注意して歩かないとすぐに躓いてしまいそうだった。それで足元ばかり気にしていると今度は伸びていた小枝にぶつかりそうになる。肩や腕なんかは身を縮めていないとすぐに周囲の枝に擦ってしまう。
下手したら獣道と変わらないその道はとても短かった。
五メートルほどか、長くても十メートルもいかないだろう。
脇道の先は小さな広場になっていた。でも四畳半もない。森の中にたまたま少し開けた場所があっただけと言われても納得してしまいそうなくらい、とても狭い空間だ。その中央に球体を半分に切って置いたような形の石塚がある。直径は一メートル弱、高さは六十センチもない。僕は頭の中で皿に盛られた炒飯を思い浮かべた。よく似ていた。その上に石が鎮座している。大人の頭より一回り大きく、薄っすら苔生(こけむ)した楕円形の石が縦に置かれている。石には小さな注連縄(しめなわ)が巻かれていたが、風雨に晒されたせいか大分草臥れているようだった。
「これこれ。小学生の時から変わってないなー」
彼が石塚に近付いて無遠慮にベタベタと触り出した。
女の子達はそれに「やめなよー」「崩れたらどうするのー?」と言いながらも笑っていた。
僕は石塚には触れず、ぐるりと一周見て回った。石塚は小さな石を隙間なく緻密に積み上げることで長年形を保っていられたらしい。苔はあっても新しく手を入れて直した形跡はなかった。
塚を外側から一通り眺め回して元の脇道の傍まで戻る。
「何かあった?」
女の子の一人が興味津々に聞いてくる。
「ううん。何もないし、何も聞こえない」
「そっか、ただの噂だったのかなあ」
耳を澄ませてみてもシンと静まり返っているだけ。
赤ん坊の泣き声も、女性のすすり泣く声もしない。
まあ、心霊スポットへ行ったけれど何も起きなかったというのはよくあることだろう。
「おーい、写真撮ってくれよ!」
彼の声に僕達三人が振り向けば、何と彼は夜泣き石をその腕に抱えていた。
謂れのある物だと知っていて触るだけでは飽き足らずに安置されている場所から動かすなんて、度胸があるのか、怖いもの知らずなのか、ともかく僕にとっては予想外の行動だった。
「うわっ、勝手に動かして大丈夫なの?」
僕が思わず一歩下がると彼は楽しそうに笑った。
「大丈夫だろ。つーか、ヤバかったら触った時点でもうオレ終わってるし」
写真撮ったらすぐ戻すからさ、なんて気楽に言う。
女の子達が石を両手に抱えている彼を携帯のカメラ機能で何回か撮った。
シャッター音がする度に器用にポーズを変えて記念写真を撮った彼は、やっと満足したのか石を塚の上へ戻す。乱雑にがつんと石と石がぶつかる音がした。注連縄の位置がズレていて、向きも考えずに適当に置いたのが一目で分かった。