「ヤバい以前の問題に本物ですよ、それ」
いつき先輩はポケットからハンカチを出して口元を押さえる。
本物と聞いた瞬間、眞山先輩が箱に添えていた手を離した。
「クマントーンって何ですか?」
熱いものに触れてしまった時みたいな動きに篠田先輩が首を傾げて問う。
篠田先輩と僕以外はそれが何か知っているのか苦い顔だ。
持ち主である眞山先輩が気まずげに目を逸らし、自身の首筋を撫でる。
「クマントーンは死産した男の胎児を使うんだ。元々は自分が妊娠させた女性の腹を裂いて取り出した胎児をミイラにして、製作を依頼された呪術師がその胎児の霊を込めて作るんだよ。日本で言えば水子だな。胎児の霊が自分の親や家のために幸運を呼んだり、敵を排除したりしてくれるんだ」
「うわ、それはまた随分とエグい物ですね。……ん? それじゃあこれって眞山先輩の……?」
思わず篠田先輩と僕とで眞山先輩を見てしまう。
眞山先輩は尻切れになった言葉の先を理解して慌てて両手と首を振る。
「違う違う! 最近は自分の子じゃなくても、持ち主を親と思ってくれるんだって!」
「そうなんですか。ああ、吃驚(びっくり)した」
僕も篠田先輩と同じ想像をして仰天してしまった。
自分で女性を妊娠させて、そのお腹を裂いて子供を取り出すなんて考えただけでもゾッとする。それをいつき先輩が本物と言うのなら、きっとこのクマントーンは本物の胎児を使用しているのだろう。
箱の蓋が閉じられていて良かった。僕にはもう一度その姿を見る勇気はない。
他の先輩達も流石に本物の胎児が使われていると聞いて騒ぐ気分ではないらしい。
シンと静まり返った室内の中で、いつき先輩が小さく息を吐く。
「それは供養した方が良いですよ。紹介状を書きましょうか?」
眞山先輩は箱といつき先輩を交互に見て、深く頷いた。
「うん、書いてもらおうかな。本物ならかなり不味いし、俺が持っていてもずっと働かせることになって水子も可哀想だし。オカルトマニアとしては勿体ないけど供養してあげた方が良いだろうからね」
小さく「五万近くしたのになあ」と僅かに悲哀の滲(にじ)む声が聞こえた。
いつき先輩は座っていたパイプ椅子にかけてあったショルダーバッグに手を突っ込み、そこからレターセットとペンを取り出し、真っ白い便箋の一枚に慣れた様子でサラサラと文字を綴(つづ)る。こちらからでは文面は見えない。それを三枚に折り畳むと同じく白い封筒に入れて眞山先輩に渡す。眞山先輩は封筒を受け取り、財布から二千円出していつき先輩に渡した。今の二千円は紹介料だろうか?
「じゃあ、今日一番の‘曰く付き’は眞山先輩のですね」
篠田先輩の言葉に全員が頷いたのは言うまでもない。
当の眞山先輩は苦笑いを零した。
クマトーンの購入費五万に供養費用がプラスされて手痛い出費のはずだ。
互いに見せたい物を見せ合って満足したのか、先輩達は自分達が持って来た物を片付けるとあっさりと帰って行った。羽柴先輩と眞山先輩はどうやら神社へ行くらしい。塚本先輩は石を拾った場所にあった神社を調べてから、いつき先輩の助言通り同じ神を祀る神社を探して持って行くそうだ。
先輩達が帰り、同好会の部室には僕といつき先輩だけが残される。
「気になっていたんですけど、篠田先輩のあの市松人形はお祓いしなくて本当に大丈夫なんですか?」
憑いてると言いながら、一言もお祓いについて触れなかった。
話を聞いた限りは悪いものでもなさそうだけれど霊が憑いているのだ。
読みかけの本に目を落としていたいつき先輩が顔を上げる。
「あれはあれで良いんだ。害はない」
「でも髪が伸びるって気味悪くないですか?」
「そうか? 人間を模して作られた人形、それも死者の遺髪を使ったものならば、その魂が宿ったとしても何ら不思議はない。あの人形の場合、魂魄(こんぱく)の魄(はく)が人形の体になっただけのことだ」
納得がいくような、いかないような感覚に僕は小さく唸ってしまった。
「禍福(かふく)は糾(あざ)える縄の如(ごと)し。幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやって来るという意味だ。あれの髪が伸びるのは不幸をほんの少しばかり肩代わりしているからだ。親族と言えども、人の不幸を代わりに受けるなんて並大抵のことではない。そうしたいと思うほど大切にされている証拠さ」
霊が憑いているから必ずしも祓う必要はない。
そう言って、いつき先輩は本へ顔を戻す。
僕は伏せて冷たい机にべったりと頬をつけながら、その横顔を眺めた。
幸福と不幸は交互にやって来る、か。
いつき先輩にも幸福や不幸と感じることがあるのだろうか。
少なくとも僕はいつき先輩に会ってから自分は不幸だと思ったことはない。
これって実はとても幸せなことなのかもしれない。
「僕は今が幸せなので、年老いたら不幸の連続になりそうです」
ぼそりと零した呟きにいつき先輩の小さく噴き出す音がした。