「この子は祖母のお姉さんを模して作られた人形です。七五三で綺麗な着物を着るのをとても楽しみにしていたお姉さんは六歳で亡くなってしまい、せめて人形の姿でも良いから綺麗な格好をさせてあげたいと両親が人形屋さんに頼み込んだそうです」
僕は硝子ケース越しに人形を覗き込んだ。
似せて作ったということは、この顔は篠田先輩のお祖母さんのお姉さんということで、子供でこれだけ可愛ければ、成長した時にはかなりの美人になっただろう。同時に、御両親がどれほど子供を大切に思っていたのかが分かる人形でもあった。
「ちなみに髪は亡くなったお姉さんの遺髪で、少しずつ伸びるんですよ」
篠田先輩がバッグから二枚の写真を出して硝子ケースの横に置く。
古い白黒の写真には人形によく似た女の子が人形を抱いていて、わりと新しいフルカラーの写真には初老の女性が人形を持つ小さな女の子を膝の上に抱いて写っていた。白黒の写真の人形は頬くらいの短いおかっぱで耳たぶが見えるくらいなのに対し、フルカラーの写真の人形は腰よりも長い。
「これは湿気で伸びたように見えるって説じゃあないよな」
眞山先輩が写真を見比べて感心した風に言う。
「そうなんです。こっちは人形を作ったばかりの頃の祖母の写真で、こっちは私が小さい頃の写真です。祖母がその後に散髪して肩口で切り揃えたんですが、十五年くらいで御覧の通り、胸の辺りまで伸びました」
「人間よりかは伸びる速度が遅いんだね。他には? 動いたりしないの?」
塚本先輩の質問に、篠田先輩は記憶を探るように視線を彷徨わせた。
「そういえば動いたという話はないですね。多分髪が伸びるだけだと思います。祖母が大切にしていて捨てたこともないですし、覚えてる限りでは壊したこともないですし」
その言葉に他の先輩達は少しだけ残念そうな顔をする。
血の涙を流すとか、夜中に勝手に動き回るとか、そういった話を期待したんだろうな。
髪が伸びるだけでも一般人からすれば充分怖ろしいはずなのだが。
「これは‘憑いてる’ぞ」
何時の間に立ち上がったのか、いつき先輩が僕の横にいた。
「え、本当に? それっておばあちゃんのお姉さん?」
篠田先輩が驚きの声を上げる。
いつき先輩は暫(しば)らく人形を眺め回し、一つ頷く。
「ああ、多分な。それらしい気配がある」
「ご先祖様が〜っていうアレ? だけど守護霊って血筋とか縁とかは無関係で、似た魂の持ち主に憑くんじゃなかったっけ?」
安坂先輩が不思議そうに首を傾げた。
「ええ、守護霊ではありません。この場合は背後霊です」
同意するようにいつき先輩が頷き返す。
僕は思わず挙手しながら質問を投げ掛けた。
「あの、守護霊と背後霊って違うものなんですか?」
「憑いた人間を成長させるという点では同じだ。但(ただ)し守護霊は魂の親和性や上位の霊による任命で憑いた人間の成長を正しく促すことが出来る一方、背後霊は自発的に憑いて自己判断でやっているため、必ずしも憑いた人間の道が善い方向へ行くとは限らない」
「……守護霊は正規で、背後霊は非正規、みたいな?」
「大雑把に言えばそうなるな」
分かったような、分からないような、喉に小骨が引っ掛かった時みたいな気分だ。
とにかく両者は似て非なるものらしいと自分に言い聞かせる。
こういうのは後で自分で調べた方が覚えられるし、わざわざ一から説明してもらうのもやはり申し訳ない。それにこの手の話は沢山の用語が出て来るので、聞けば聞くほど疑問が生まれてしまう。
「髪が伸びるのはそのせい? でも髪が伸びないのもいるよな」
眞山先輩が手に持った写真をひらひらと揺らして見せる。
問われたいつき先輩は顎を撫でつつ黙考した。
数拍置いて、口を開く。
「陰陽説(いんようせつ)の提携律(ていけいりつ)で言うところの互いにバランスを取る作用のためではないでしょうか。個人的な見解になりますが、例えば優乃の祖母の姉である霊が自分の妹やその娘、孫から災いを遠ざけたり、反対に福を招いたりすると本来のバランスが崩れてしまいます。災いも福も同じ数だけ存在する以上はどこかで帳尻を合わせる必要があり、この人形の髪が伸びるのはそれらを変化させた分の‘返し’ではないかと思います」
いつき先輩の意見に篠田先輩と塚本先輩、前橋先輩、眞山先輩が納得顔で頷く。
けれども羽柴先輩と安坂先輩はどこか不満が残っているようだ。
「それだとちょっとおかしくない? 災いを除けたらその分の福も消えちゃうはずだし、福を呼んだら災いも来るけど、この人形の髪が伸びることで災いが消えるなら福も消えるんじゃないかな?」
僕は安坂先輩の疑問に頭の中がこんがらがってしまう。
ええと、陰陽説は前に聞いた‘この世のあらゆる物事は陰(いん)と陽(よう)の二つに分類出来る’という話で、提携律っていうのはこの陰陽が互いにバランスを取り合う作用のことらしく、災いや福を除けたり招いたりするとバランスが崩れるから、その崩れた分のバランスの戻しが人形の髪を伸ばしていると、いつき先輩は言ったのだ。
それに対して安坂先輩は提携律に沿った場合、災いを除けたら一緒にある福も消え、反対に福を呼び込んだ際についてくる災いも消してしまったら、呼び込んだ福自体も消えるはずだということだ。
物凄くややこしい。しかもその説だと結果的に災いも福も起きないことになる。
「私もそう考えました。そこで交錯律(こうさくりつ)が出てきます。これは陰陽の中の事象も更にまた段階ごとの陰陽へ分けられるということですが、この人形はその段階の中でも弱い部類の陰の気を取り込み、髪を伸ばすことで陰の事象を表しているのではないでしょうか。それなら陽の気の事象で優乃達の運気が上昇しても、精々ちょっと良いことがある程度でバランス的にも支障は出ないかと」
「……なるほど、陰の気のエネルギーを別の事象に変換してるんだね。消しているわけじゃないから、対になる陽の気も残るってことか〜」
安坂先輩は漸(ようや)く得心が行ったようだ。
横で聞いていた羽柴先輩が眉を顰(しか)めて唸る。
「……ヤベ、全然分かんない」
生憎、僕もこうだろうかというふんわりした理解しか出来なかった。
安坂先輩が「後で教えてあげるから」と苦笑し、羽柴先輩が唇を突き出し不貞腐れた顔をする。
室内の空気が和らいだためか、篠田先輩が硝子ケースをダンボール箱へ仕舞う。
丁寧に口を閉じて脇へ移動させつつ次を促した。
「私は曰く付きというよりもラッキーアイテムみたいになってしまいましたけど、塚本先輩が持って来たのはどういうものなんですか?」
自分の番が回ってきた塚本先輩が箱を机の中央へ置く。
正方形の木箱は四方を紐で縛ってあり、それを解くと、箱を掴んで上へ持ち上げた。
箱は上が大きな被せ蓋、下は少し小さめの箱の二つの組み合わせのものだった。
小さめの箱には黒い布が敷かれ、上には僕の拳よりも二回りくらい大きく凸凹(でこぼこ)した石とも岩とも呼べる代物が鎮座している。表面は灰色で、妙な滑らかさが見て取れる。だが何より目を引くのはその凹凸(おうとつ)だ。どれだけ見る角度を変えても、苦悶(くもん)の表情を浮かべた人間の顔に見えてしまう。不気味なほど目鼻立ちがしっかりしているせいか趣味の悪い粘土像みたいだ。
「うわ、何だこれ」
「ちょっと気持ち悪いね……」
箱の中身を覗き込んだ羽柴先輩と前橋先輩が身を引いた。
それを見て、持ち主である塚本先輩はニヤリとする。
「三ヶ月くらい前に廃神社の跡地で拾ったやつです。汚かったので綺麗にしてはあります。跡地の近所の人に聞いてみたら、病気を代わりに引き受けてくれる厄除けの石というのが昔はあったそうなので、多分それじゃあないかと」
むしろ触ったら良くないことが起こりそうな石に見える。
石の表面にある顔は見る者に生理的な不快感を与える何とも説明し難いものだ。苦しみ、嘆き、苦痛にもがき、憎しみ、怒り、泣き叫んでいる。見ていて気持ちの良い表情ではない。
その顔と目が合ってしまいそうで僕は視線を逸らす。
すると、いつき先輩が僅かに眉を寄せて石を見つめていた。
「塚本さん、この石は小祠(しょうし)に祀(まつ)られていませんでしたか?」
「いや、雑草の中に落ちてたよ。そういえば同じ敷地に祠(ほこら)があったけど、でも朽ちて壊れたって言うよりかは誰かが壊したって感じの潰れ方だったかも。……やっぱり不味(まず)い?」
「不味いですね。話からして、恐らく元は疱瘡神(ほうそうがみ)だったものが、打ち捨てられて荒ぶる神になりかけています。拾って綺麗にしてくれた塚本さんには殆ど害はないかもしれませんが」
いつき先輩の話に塚本先輩は「きちんとした神社に引き取ってもらうべきかな」と残念そうに小さく息を吐く。塚本先輩はこの石を気に入っているのか、何となく手放したくないといった雰囲気だった。
「いつき先輩、疱瘡神って?」
他の先輩達に慰められつつ箱を閉める塚本先輩を横目に問う。
「昔は天然痘(てんねんとう)を疱瘡と呼んでいたんだ。疱瘡神は祈ることでそれを治したり症状を軽くしてくれる神だ。同時に疱瘡をもたらす疫病神でもある」
「そっか、治せるならその逆も出来るんですね」
「ああ、大勢の病を治してきた神だ。助けた人々に忘れられた挙句に野晒しじゃあ怒りもするさ。案外、あのおどろおどろしい形相(ぎょうそう)もそのせいかもしれないな」
そう思うと気持ち悪い顔に対してほんの少しだけ同情心が沸いた。
「こういう曰く付きの物は神社に持って行けば、お祓いとか引き取りとかしてくれるんですか?」
「それなりに大きな神社ならやってくれるが、これは持って行く前に連絡をして聞いてみた方が良いかもな。疫病神と言えども神だ。荒ぶる神を鎮めるには祭祀(さいし)だろう」
「サイシ?」
「夏祭りの祭に、崇(あが)めて安置する方の祀るで、祭祀。感謝や祈り、慰霊のために神仏や先祖を祭る儀式だ。神職の者が丁重に崇め奉ることで気を静めてもらうんだ」
空中に‘祭祀’の文字を書きながら、いつき先輩が噛み砕いて教えてくれる。
神様に供養やお祓いは不敬だし、何か違う気がするし、どこかの神社で預かってもらった方が参拝する人も出来て神様としても良いんだろうな。
塚本先輩が箱を退かすと、最後の眞山先輩の番になる。
眞山先輩の箱は前橋先輩が持って来たものとほぼ同じ大きさだ。手の平に乗るほどの小さな箱を、腕を伸ばして机の中央に置き、蓋を開けた。光沢のあるワインレッドのベルベットが見えた。
「タイの呪物、クマントーンだ!」
自信満々に言う眞山先輩には申し訳ないが、僕はそれを知らなかった。
しかしながら、実物を目にした途端に全身の毛がぞわりと逆立った。
そこにはとても小さな人間がいた。
祈るように両手を胸の前で組んだ七、八センチの萎(しな)びたミイラは全身が黒く、その上に金色の塗料か何かが全体に付けられているが、塗料の量が少ないのか所々剥げて下の黒い部分が覗いている。小さなミイラは円筒を縦に真っ二つに切ったような形をした安物のプラスチックケースの中で横になっている。全裸ではなく、周りに布のようなものが巻かれているけれども、随分古くて汚い。
「何年か前に向こうであったニュースでさ、本物を持ってた奴が逮捕された時に押収した物を置いた部屋で警察が会議をしてたら子供の声がして大騒ぎになったって現地の人が教えてくれたんだよ」
呪物くらいならば僕も知っている。オカルト系の話では高頻度で出て来る単語だ。超自然的な霊力や呪いの力を持つと神聖視されている自然の物のことで、その中でも人間が手を加えて更に力のあるものをそう呼ぶ。日本で言えば呪符(じゅふ)や藁人形(わらにんぎょう)がそれに当たる。
呪物と聞くと‘他人を呪って不幸にする’というイメージがあるが、実は幸運を呼ぶ物が多い。イメージの通り‘他人を呪う’ことも出来る。だけど大体は幸運を願って作られる。一時期大流行したブードゥー人形もタイの呪物の一つで、元は死んだ幼い双子を模ったものだから二体一緒に付けるのが正しいのだとか。
そんなことを考えつつ横を見て、別の意味でギョッとした。
「いつき先輩、何でそんなに離れてるんですか」
つい今(いま)し方(がた)まで横に立っていたはずなのに、元の椅子まで下がっている。
今日見た中でも一番の顰(しか)め面(つら)のまま、眞山先輩の箱の中身を見たくないと言いたげに視線を逸らし、顔を明後日の方向へ背けたきり、頑(かたく)なにこちらを向かない。
声を掛ければチラリと一瞬だけ僕の顔を見る。
その後、箱へ視線を移し、物凄く嫌そうな顔をした。
「……眞山さん、申し訳ありませんが蓋を閉めていただけませんか?」
いつき先輩が鬱陶しげに左手を顔の横で軽く振った。
その様子を見た眞山先輩は目を瞬かせ、けれどすぐに箱に蓋をする。
「どうかした? これってそんなにヤバい?」
そう聞き返す眞山先輩の声には気色が混じっていた。