「あれで分かったんですか?」
「何となくだがな」
歩き出した神代先輩の後を追って、無縁仏から離れる。
僕は霊の息子だろう男性の話を頭の中で思い返した。確かに、何となくこれではないかという点はあったが、それが霊の望んでいることとどう関係するのかまでは分からない。
寺を出る前に和尚へ無事相手に会えたことを告げ、再度お礼を言ってから駅へ向かう。
その間も考えてはみた続けたけれど、答えは導き出せなかった。
何時までも悩んでいる僕を見兼ねたのか神代先輩がヒントをくれた。
「君も気付いていると思うが息子の結婚が鍵だ。多分、来月と聞いて焦ったんだろう」
そう、僕もそこが重要なんじゃないかと考えていた。
でも子供が結婚すると聞いて、何で霊が僕の夢に出て来たのかが繋がらない。
駅に着き、神代先輩に三駅分の切符を買うように指示され、僕は言われるがままに戻りの電車三駅分の料金で切符を買った。三駅分戻るというと、神代先輩の家がある駅で降りる計算になる。
行き詰った思考を一時中断させて聞いてみた。
「次は神代先輩の家へ行くんですか?」
そうだといいな、なんて少しだけ期待しての問いだった。
しかし神代先輩は首を振る。
「いや。だがまあ、似たような場所ではあるな」
曖昧な返答に僕は首を傾げたが「行けば分かる」と言われただけだった。
僕が本来降りるはずの駅を通り越し、更に二駅電車に揺られる。聞き覚えのない名前の駅のプラットホームに神代先輩が先に降り、僕も続くと、後ろで電車のドアが閉まって滑るように走り出す。
あまり大きくはない駅の改札を抜けて通りへ出れば、住宅街が広がっていた。
たった二駅しか離れていないのに僕の住む大学付近とは違ってとても静かだ。
ふと見上げた空は薄曇(うすぐも)りに覆われており、そのうち一雨(ひとあめ)来そうで、折り畳み傘を持っているとは言っても出来れば降って欲しくないなと思う。
人通りの少ない道を神代先輩が歩き出す。
教えてもらえなかったけれど、きちんと目的地があることは分かっているので、僕はその後ろをついて歩きながらまた霊のことについて考えることにした。
神代先輩は息子の結婚が鍵だと言った。それで霊が焦っているとも。
……霊は息子の結婚を知って何かしたいと思ったのだろうか。
だけど、もう死んだ身で出来ることなんてあるのだろうか。
静かな住宅街の通りを神代先輩も僕も会話一つなく歩いて行く。
初めて来たせいか、右も左もどっちを向いても似たような住宅地に見えてしまう。答えの見出(みいだ)せない思考と相まって同じ道をぐるぐると回っている気さえする。最初に何度か角を曲がったところまでしか僕の記憶力では覚えられなかった。
急に立ち止まった神代先輩に意識が引き戻される。
顔を上げた僕の前に神社があった。
周りの家よりも背の高い木々に覆われた敷地。その内と外を隔てるように石の柵が囲い、大きな赤い鳥居の立つ正面入り口から奥へ向かって石畳のなだらかな坂が続く。木々が目隠しになって中の様子は窺えないが、奥までもっと続いているだろうというのは予想が付いた。
「君はここにいろ」
ここ、と鳥居の前を示される。
「ええっ? 僕も行きたいです。絶対騒ぎませんから」
何のために神社へ来たのかもそうだが、家ではないが似たような場所だと言っていたので、神代先輩と神社(ここ)がどのような関係にあるのかも大いに気になる。
「子供じゃあるまいし、そんなことは気にしていない。ここより先は神域(しんいき)だ。霊は弾かれてしまう。例え入れたとしても霊には苦痛な空間でしかないんだ。弱っている者を痛め付けるのは御免ごめん)蒙(こうむ)る」
やや呆れた顔をしつつも神代先輩がそう説明した。
要は僕が入れても霊の方は無理だから外で待っていろということらしい。
仕方なく頷けば「二、三十分で戻る」と言い残して神代先輩は神社の奥へ消えて行った。
僕は敷地を囲っている石の柵に寄り掛かり、ポケットに仕舞っていた携帯を取り出して意味もなくLINEやメールボックスの確認をしたり、よく遊んでいるゲームをやってみたりして時間を潰す。その間に何人かが鳥居を潜って行った。そこそこ人の出入りはあるらしい。
そうして二十分を少し過ぎた頃に神代先輩が戻って来た。
「こら、玉垣(たまがき)に足を付けるな」
第一声に注意されて慌てて石の柵から体を離す。
寄り掛かり、柵と柵の隙間を片足の裏で踏んでいたのを見ていたようだ。
「すみませんっ。……この石の柵、タマガキっていうんですか?」
謝りついでに問うと神代先輩が空中に文字を書いた。
「ああ。宝玉の玉に石垣の垣と書いて、玉垣と読む。他の神社でも見掛けるだろう?」
「そういえば大体ありますね」
「これは神域と外との境を明確にするため目印みたいなものだ」
「へえ」
僕は思わず今しがたまで寄り掛かっていた玉垣を仰ぎ見た。
そうやって意味が分かれば、この囲いはただあるだけじゃなく、そこに建つことで重要な役割を担っているのだと尊敬にも近い気持ちが沸いた。
玉垣を見上げる僕を余所に神代先輩は「行くぞ」と背を向けて歩き出す。
顔を戻せば、その手には来た時にはなかった紙袋が一つ提(さ)げられていた。縦横がほぼ同じ三十センチほどの正方形の白い紙袋は神社の名前どころか絵も一切書かれておらず、持ち手の紐と両脇のマチ部分が赤色で紅白を連想させるシンプルなものだ。口が閉じていて中身は見えない。
「それ何ですか?」
御札や御守りにしては随分と大きい。
「霊が望んでいる物だよ」
神代先輩は軽い口調で言った。
でもやっぱり中身は教えてくれないらしい。
謎の紙袋という存在が増えて余計に訳が分からなくなってしまった。
駅へ戻り、また三駅分の切符を買って寺へ蜻蛉(とんぼ)返りである。
電車から降りて寺へ向かう道も、無縁仏まで墓の間を通り抜けている間も、悩みに悩んで、それでも答えに辿り着けなかった僕は諦めて断念するしかない。
「駄目(だめ)です、神代先輩、全然分かりません」
無縁仏に着いたところで両手を上げて降参だと表した。
「そうか。では答え合わせと言いたいが、先にやることを済ませてしまおう」
神代先輩は無縁仏の前に行くと、紙袋の中を覗き込み、一纏めにされている指より若干太いくらいの肌色の木を取り出した。木を纏めていた白い紙を外し、完全に燃え尽きた先ほどの線香の脇で、縦に二本、横に二本とキャンプファイヤーでよく見掛ける漢字の‘井’に似た形に木を組み上げていく。大した量もなかったのか、あっという間にそれは出来上がった。
小さな木の塔の底に纏めるのに使われていた紙をくしゃくしゃに潰して下へ押し込む。
それから、もう一度紙袋に手を入れて、白い包みを出した。包みも紙で、厚さは五センチもないが、平たく大きい。神代先輩が片手で持ち、もう片手で封を留めていたテープを丁寧に剥がして開ける。
中にあったのは老人の顔を模(かたど)ったお面だった。
細い糸のような目に平たい鼻、両頬のえくぼ、優しく上がった口角、皺の多い額や目尻。白い顔は赤い唇で血色が良く、優しい笑顔を浮かべた面差しは好好爺(こうこうや)然(ぜん)としていた。
その老人のお面を神代先輩は組み上げた木の塔の中へそっと入れた。
バッグから線香の時に使ったのと同じマッチを出して、擦る。
火が灯ると手で風を遮りながら木の塔の下へマッチを差し入れ、残っていた木の一本で突(つつ)いて慎重に中の紙全体が燃えるように調整して離れた。やがて木に燃え移り、薄く煙の立つ焚(た)き火となった。
「さて、これで良いか? ……そうか、良かった」
小さな炎を見下ろして神代先輩が手の汚れを払いつつ振り返り、空中へ問う。
僕のやや後方に向けられた視線は、すぐに外された。
「このお面が、霊が望んでいたものですか」
僕は神代先輩の視線を辿った後、焚き火へ目を向けた。
パチパチと小さく薪の爆ぜる音がした。
「ああ、顔を隠すものが欲しかったのさ。息子が結婚すると聞いて、行きたくても、祝いの席に潰れた顔のまま行くのは忍びなかったんだろう。息子の傍にいる時にも両手で隠すくらいだ。余程見られたくないようだ。それを君の夢に出て来てまで何とかしたかったんだよ」
「でも、息子さんには霊の姿は見えないんじゃあ……」
神代先輩も火を見つめて頷く。
「見えないけれど、だからこそ、きちんとしたかったのかもしれないな」
その言葉を聞いて、どうしようもなく切ない気持ちになった。
僕に憑いている霊がどれほど息子を大事に思っているのか、その結婚を祝福したいと思っているのか、子供の幸せを願う親心がそこに全て詰まっているような気がしたのだ。
奥さんを亡くし、自分も死んで、残した子供が心配で三十年間この世に留まり続けた男性。
例え相手に姿が見えなくても潰れた顔で息子の式に行く訳にはいかない。
凄く困っただろう。霊が見える人間なんてそういないし、見えたとしても顔が潰れてしまって言葉も話せないのだから、自分の望みを伝える術もない。物を動かす力もない。きっと途方に暮れていたはずだ。
そこに偶然僕が通り掛かり、憑いて、でも夢に出るくらいしか方法がなかった。
瞼の裏に夢の中で見た男性の姿が浮かんだ。
「……結婚式、ちゃんと行けると良いですね」
僕の呟きを神代先輩が拾う。
「お膳立てはしてやったんだ。行けるさ」
僕達はお面と共に焚き火が燃え尽きるまで黙って見届けた。
帰り道、今回の必要経費分の三千五百円を神代先輩から請求された。
電車の運賃とお面と焚き火に使った木、それぞれの金額を口頭で内訳を説明した上だったし、必要経費については僕も最初に了承していたので、特に否やもなく支払った。線香代が含まれていなかったことについては、あれは絶対に必要なものではなく、神代先輩の気持ちで持って来たものだから計算外らしい。
本当に必要経費分のみだったので内心驚いたのは秘密である。
そうして、その日の夜にまたあの夢を見た。
前と同じく男性の霊はベッドの枕元に佇み、僕の意識は斜め上から俯瞰してその姿を見下ろす。
男性はもう顔を隠しておらず、代わりに無縁仏で燃やしたお面を付けていた。
小柄な男性に優しい笑みを浮かべたお面は意外と似合っていて、お面の頬を二度三度と指先で撫でた後、腰を折って深くお辞儀をする。言葉はなかったけれど強い感謝の念が感じ取れた。顔を上げた男性は空気に溶けるようにふっと姿を掻き消し、以降、その姿を夢に見ることは二度となかった。
後日、部室で会った神代先輩に夢の話をしたのだが「そうか」とだけ返された。
その横顔が少し綻(ほころ)んで見えたのは、きっと僕の気のせいではないのだろう。