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パンツとシャツに続けて履きかけだったスウェットパンツを足元に引っ掛けたまま、慌てて洗面所を飛び出す。すでに耳から離れて手の中に収まったスマホからは遠く、隼人の声が聞こえている。
まるっきり無視して、ひよりの背に声を掛けた。玄関のドアは半端に開いたままだ。

「那智坂のとこ?」

共用廊下の天井に取り付けられたセンサーライトが、ひよりの微かな動きに反応して付いては消えてを繰り返している。

「別に今すぐどうこうする必要は、ないと思うけど」

「…今なら、ちゃんと話せそうな気がするんですよねぇ」

「そっか」

ひよりはへらりとひとつ笑って、小さく頭を下げた。そうしてそのまま開きっぱなしの分厚いドアを、さながら猫のようにすり抜けた。
ぱたんとドアが閉じて、途端に部屋が静まり返る。元々身一つで連れてきたから、今夜ここに帰ってくるかはわからない。綺麗に話が纏まるなら、帰省が思ったよりも早く済んだと寮監に告げて、大河と寮へ戻るかもしれない。できればそうであることを願うが。
ひとつ、顎に手を当てて考えて、結果いずみは玄関のドアの鍵を閉めずにしておいた。今日はこのドアが再び開かれることのないように願うばかりだ。

「…?」

どこからか声が聞こえた気がしてきょろきょろと辺りを見渡せば、どうやら音源は手の中のスマホのようだった。ゆるりとした動作で漸く耳に当てれば、うるさく自分の名前を呼ぶ隼人の声が格段に大きくなって顔をしかめる。

「なーに」

「うわっいや、なにちゃうくてな!?お前ひよたん行かせたやろ!声漏れとったわあほ!」

「んー、これが望んでた結果じゃん?」

なんでもないことのように言ってのけるいずみに、隼人ははあと大きくため息を吐いた。


* * *


何時間前かに、みんなと別れた駅にほど近い公園が、指定された待ち合わせ場所だった。アドレスを消すのだって、まるで気にしているようで嫌だったから届いたメッセージの送り主は、かいちょーと表示されたままだった。いずみの家に向かう時は気にしなかったが、通りかかった道にはコンビニがあって、一度目元に触れてみてから考えて、立ち寄る。泣いたせいで、じんじんと痛む目の縁。ちゅうちゅうと吸って食べるタイプのアイスを購入して、すぐに目元に当てる。

大河に会う頃には、少しでも赤みが引いているといいなぁ。

何度か当てては離してを繰り返して、ひよりはまた、コンビニとは少し外れたところにある細い裏路地を通り抜けていった。来た時だって、そんなに時間は掛かっていない。だったら駅に向かうのだってもちろん時間は掛からなくて、見慣れたアイスのパッケージを退かせて隙間から駅を伺い見れば、その向こう側には指定された公園があった。ざっと、柔らかいすなの敷かれた柵の中に足を踏み入れる。先客はたったひとりだ。

「よぉ」

懐かしい声が耳を打つ。実際日数的には特別久しぶりなわけではない。ただあの日、最後に大河の髪を何度か梳いて濡れタオルを額に当てて、首筋に手を当てて熱を確かめた日。そんな日がもう遠くに感じた。目を細める。

「ひっさしぶりぃ」

街灯の下で、大河が僅かに息をのむのがわかった。俯いているせいで、顔だけがかげって表情は窺えない。ちらりと大河がこっちを向いて、そこで漸く目があった。泣きそうな顔。

「ひより、なんでそんな泣きそうな顔すんの。」

ああ、おれもかぁ。
お互いだったみたいだから、これはもうお互い見なかったことにしようと思って、その声には言葉を返さなかった。

「ひよって呼ぶの、やめたの?」

「ひよの方がいい?」

「んー、聞き慣れないなぁって思ってねぇ」

すなを踏んで、大河が向き直ると、一瞬だけびくりと肩をゆらしてひよりは、ほんの一ミリ。本人だってわからないくらいに後退りをした。

「いいもの持ってんな」

「…もうぬるくなってるかもだけど、半分要る?」

ん、と手が伸ばされたから、慌ててギザギザになった袋のてっぺんから、パッケージを引き裂く。目元を冷やしていたからもう随分とぬるくなっているかと思ったけど、意外とつめたい。二つに割るために手のひらで掴むけど、冷たくて一度手を離した。シャツで冷えた手を拭いている合間に、するりとアイスが奪いとられた。おそろしいほどに自然なひったくりだった。パキッと小気味のいい音が聞こえて、半身を無くしたそれが手の中に返ってくる。

「ありがとぉ」

「こちらこそ」

昔ながらのコーヒー味のそれを少しだけちゅうちゅうと吸ってみてから、大河を見やると、なんだかぼんやりと月を見ながらおんなじことをしていたから、ひよりはそっとその場を離れた。夜の公園は、寂しい。ブランコの鎖に手を掛けると、キィィと軋むような音が聞こえた。気にせず腰掛けると、まるで悲鳴をあげるように更に軋んだ。

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