夏の日(2015年残暑見舞い)



※ひよりたちが一年生の頃の夏休みのお話です。




「やっほー」

「お前さぁ、書類サボって俺にやらせといて、なに祭りにだけ来てんだよ」

「えっ、やってくれたの〜?さっすがかいちょー!」

うわあいと両手をあげて喜ぶひよりに、大河は頭がいたいとため息をついた。その肩をぽんと慰めるように杏里が叩いて、誠はといえばそわそわと屋台を見つめている。ひよりも輪に加わってすぐ、そんな誠の隣に並んであれが美味しそうだのなんだのと好き勝手に呟く。しかし残念なことに四人は、ここに遊びに来たわけではなかった。夏休み真っ最中、学校の一番間近で開催される夏祭りに巡視係として駆り出されたのである。

「でも買い食いのひとつやふたつ、ばれないと思うんだよねぇ」

「…おれも、」

ひよりに同意して、そのまま視線をじぃと大河へ向けた誠に、思わず言葉を詰まらせる。視界の端にはオレンジや黄色の屋根をした屋台がちらちらと目立って、それに鼻を擽るやたらと美味しそうなにおいに諦めたように首を振った。

「まだ巡視が本格化する時間じゃねぇしな…、メインは先輩らだし、二人抜けても問題ねぇか…」

「えっそれなら僕も遊びたいんだけど」

この時の大河の表情といったらもう、苛立ちを通り越して完全なる諦めの境地だった。杏里だけは付いてきてくれると思っていたのだろう。あーあーと何度か唸って、それから腕時計に目をやる。

「一時間…いや、四十分後だ。もう一度ここに集合しろよお前ら」

やっりぃ、そういって手のひらを合わせた三人はいってきますと言って喧騒の中に消えていった。誠や杏里が食べ物の屋台へ向かう中、ひよりだけは何故か金魚すくいを始めたのは見なかったことにしたい。いや、本気で遊ぶ気じゃねぇかあいつ。
追いかけるようにして騒がしい祭りの中に踏み入った大河の背中は、ほんの少し寂しい気がした。

巡視とはいっても、やることは至って単純で、自校の生徒がトラブルを起こしていないか、巻き込まれてはいないかを確認して歩くといったものなのだが。そうして十時半を過ぎた頃に帰宅の勧告をはじめる。ただそれだけだ。正直おれらの勧告がなければ、もっと早くにみんな飽きて帰ってると思んだけど、とぼやいていた現会長を思い出す。彼の言うところによれば、生徒たちは生徒会に声を掛けてもらいたいがために祭りに居座る傾向があるそうだ。

「はぁ…」

祭りごとは嫌いじゃない。だけど自分が楽しめないのであれば話は別。一人きりで見回りをするのが阿呆らしくなって、空いていた近くの石垣に座り込んだ。自分の視線が低くなって、ふと気がつく。屋台と屋台の隙間、業務用のゴミ箱の向こうで震えている小さな女の子と、目があったのだ。彼女は勿論生徒ではない。自分が声をかける義理はない。自分が声を掛けずとも、気づいた大人がなんとかするだろう。だから俺は、見ないふりを…、なんて。

「…おい、」

びくりと女の子の肩が震えた。頭を掻いて、ゆっくりと近づく。その度に怯えるものだから、やっぱり知らないふりをしようかと思ったけど、それでもやはり放っておくのは居心地が悪かった。それに多分、放っておいたことがひよりや現会長のいずみに知れたら、大きな反感を買うだろう。彼らはそういう、優しい人間だ。あと1メートル。しゃがみこんで、表情を窺う。

「どうしたんだ?」

出せうるとびきりの優しい声を出せば、ぎゅっと一文字に噤まれた唇は大きく開いてわなわなと揺れて、その瞳からはぼろぼろと涙が流れ出した。

「ちょっ、おい、泣くな!俺が泣かしたみてぇだろ!っと、」

がしっと肩にぶつかる衝撃。女の子の手首に掛けられた金魚入りの袋が背中でたぷんと音を立てた。立ち上がった女の子にひしと抱き着かれて、どうしたものかととりあえず頭を撫でる。時折うなじの毛に手が触れて、その柔らかさに先ほどわかれた男を思い出した。

「落ち着いたか?」

そのまま女の子を抱え上げれば、落とされないようにと更に抱きしめる力が強くなって、大河は喉の奥で笑った。首が締まりそうなその強さの中むりやりに女の子の顔を窺い見れば、もう涙は止まったようだった。
ぽつりぽつりと、時折言葉に詰まりながらも話し始めた女の子によれば、母親とはぐれて困っていたところ、知らない男が声を掛けてきたらしい。そりゃあ怖かったなと言えば、ふるふると首を振った。

「ち、ちがうっ!お兄ちゃんは、あそんでくれたの!」

「は?じゃあなに?」

「…お兄ちゃん、が、つれてかれちゃったの〜っ」

漸く止まったと思っていた涙がまたぼろりと零れた。あーあー、どうしたものか。お兄ちゃんと頻りに声を上げる女の子とむりやりに目を合わせて、大河は笑う。

「おし、じゃあ俺がお兄ちゃんとやらを連れ戻してやろう。それでいいな?」

潤んだ瞳を瞬かせて、それでも頷いた女の子を本部のテントに預けて、大河は手首をぐるりと回した。時計を見れば既に待ち合わせの時間を過ぎたところだった。





「は?ひよまだ戻ってきてねぇの?」

「連絡してるんだけど、既読もつかないや」

「最初にわかれてから、見てない…」

合流してからでも遅くはないかと待ち合わせ場所に向かえば、そこには杏里と誠の姿があった。相変わらずマイペースなやつだとため息を吐く。あと暫く待って来なければ、ほうって見回りをはじめようということになったのだが、やはり先ほどの女の子の言葉が気がかりだった。先にいずみたちに連絡を入れておこうと携帯をとりだして、祭りの喧騒にのまれぬよう、少し身体を離れさせたときだった。

「あれ、会長背中濡れてない?ジュースでも溢された?」

たぷんと背中に触れた金魚の袋のことは、すぐに思い出した。ああ、あのとき。そう呟いてから胸がどくんと大きく鳴った。涙を流す女の子に、金魚の袋、遊んでくれたお兄ちゃん。

「…ったいが!?」

突然駆け出した大河に、思わず誠が声をあげる。その時にはもう大河の背中は、祭りの人ごみの中だった。ざわざわ、がやがや。そんな音の中まっすぐに本部のテントに向かって、そうして胸をなで下ろす。本部の人にもらったのであろうりんごあめをちまちまと食べ進める先ほどの少女がまだ、そこにいた。いてくれた。もっているあめは、身体の大きさに見合った、ちいさなひめりんごだ。ちらりと目線を上げた少女に問う。

「お兄ちゃん、どこに連れてかれたかわかるか?」

ふるふると首を振る。おれなんて、焦る気持ちを抑えて絞り出した声がふるえていた。

「お兄ちゃんと、どこでわかれた?」

「…イカやきと、てっぽうのやつが並んでるところ」

ありがとうと笑いかけると、少女もへらりと笑った。

「もいっこだけ、お兄ちゃんどんな人だった?」

うーんとふくふくの頬を赤くした女の子は一度天をみあげて、それからまた、とびきりの笑顔で笑う。

「笑ったかおが、とってもかわいい人!」





* * *




「すんませんっした」

「ご、ごめんなさい〜…」

もう、と鼻息を荒くするいずみに、ふたりして頭を下げた。かの次期会長は腑に落ちない表情で、その隣の次期会計は情けなく眉をさげて。
杏里とはといえばいずみの隣でこちらも憤慨していて、誠に至ってはオロオロとみんなの表情を交互に窺っていた。

「まず羽原、お前は毎度勝手な行動ばっかするからこうなるの、わかる?」

「うっ…はぁい…」

諭すように言ういずみの声に、心底反省したようなひよりの声が返されて、呆れ顔のいずみは大きく息を吐く。ひよりに何度こう言い聞かせても、真面目になったためしがなかった。悪気なく、それでも彼はふらりと自分の気分でどこかへ消える。ただ聞いた話だと今回のことは、迷子になってしまった女の子と一緒に母親を探し歩きつつ本部に向かっていたところにふっかけられたかつあげのようなものだったらしい。事を荒立てないよう、女の子に危害が加えられないようおとなしくついていったのだそうだ。

「はぁ…でもまぁ、お前のお陰でさっきの子はなんともなかったんだから…しゃーないよな…」

その言葉にぱああと笑顔を見せたひよりからすぐに視線を外したその先には、そっぽを向いた大河がいた。頬と、目尻に擦れたような傷がある。

「で、お前はなんで俺らに連絡せずにひとりで助けにいっちゃうわけ?」

「心配、した…」

「そうだよ。一瞬で消えるんだもん」

後押しのように誠と杏里に非難を受けて、ふてくされたその色が、さらに濃くなる。眉間にはぎゅっとしわを寄せていた。そのそばの、目尻のしわをぎゅっと伸ばされる。

「ってぇな、ひよ!さわんな!」

びくりとひよりの手が離れて、それを目にした周囲がまた、大声をあげる大河をゆるく責める。呼んでくれていたならば、お前だってそんな怪我をしなかった。お前は賢いのだから、いくらだって怪我をせずとも助ける方法はあっただろうと。

「おれは十分冷静だったし、間違ったことなんてしてないっつってんだろ…はぁ、もう担当の時間も終わったんだし帰る」

見回りが終わってすでに時刻は11時に近い。生徒たちに帰宅の勧告をしている分、だらだらとこんなところで話しているのはバツが悪い。大河はぼそりと言い訳のようにそう吐いて、そのまますたすたと歩き始めてしまった。隣にいたひよりが咄嗟に伸ばした手は、僅かに届かない。窺うようにひよりが周囲を見やれば、本日何度目かのため息をそろって吐き出されて、背中を押された。

「だいたいあいつの考えてることはわかってるんだけどさ、どうにも我慢ならんかった!フォロー頼む」

「僕らは後片付け手伝って、会長たちと帰るよ。ね、誠」

「…暗いから、気をつけて」

後押しされて、ぺたぺたと大河を追い掛ける。まるで待っていたかのように大河の進む速度はゆったりとしていて、あっさりひよりは肩を並べた。とんと肩がぶつかって、それを合図に大河が唇を開いたから、慌てて遮る。

「おれは、お前が、」

「ちょ、かいちょー!言わなくても大丈夫だよ!」

その言葉にじとりと視線を向けられる。なんで、と目だけで物をいう大河に、ひよりはへらりと笑いかけた。

「ありがとねぇ。たぶんかいちょーは、もしおれがその、ね、脱がされてたりとかを考えてくれてたのかなぁって思って!…ちがうかなぁ?」

「…男同士なんて早々ねぇけど、この辺学園もあるし変な奴多いじゃん」

「うん」

「だったら一人で行って、先に現状確認しねぇとって思って。暗がりの茂みの中ってお前、なにされてっかわかんねぇし」

うん、うんと何度も大河の話に相槌をうつ。先ほどいずみたちに責め立てられてもこの考えを告白しなかったのだって、ひよりへの気遣いだろう。確かにね、とか。おれは男だから大丈夫なのに。そうは思ったけれど、今は黙っておこうとひたすらに相槌をうった。話は結局、大木に追い込まれて、脅されてるひよりを見て、偵察のつもりがカッとなってそのまま飛び込んでしまった。そう締めくくられた。

「悪かったな、」

「えっなんでかいちょーがあやまるの!」

「だってあいつらの言う通り、みんなで行った方が安全に助けられた」

申し訳なさそうに目を逸らす大河に、なんだか胸がぎゅっとした。ときめいたとかそんなんじゃなくて、ぎゅうっと温かくなって、よくわからない感覚。頬の擦り傷。相手の拳が入って、ほんのすこし擦れた痕。痛くないようにそっと指を滑らせた。

「おれのほうこそ、ごめんねぇ。かいちょーに怪我、させちゃった。」

でも、と続ける。

「でも、ありがとう。来てくれて、嬉しかった!」

ったく気をつけろよ。そう返した大河は、口調こそ呆れたようだったけれど、さっきまで行動を咎められていたからか、その素直な感謝の気持ちに僅かに頬をゆるませていた。それは隣のひよりにあっさり見て取れるほどわかりやすいもので、また胸がきゅうとなって、ぐりと隣の大河に髪を押し付ける。ふわりと揺れる毛先に、くすぐったそうに身じろいだ彼にたずねた。

「そういえばかいちょ、なんでおれの場所わかったの?」

「…金魚。女の子にやったろ」

へえ、と返した。でもそれだけ?そう思ったひよりの気持ちを察したかのように大河がつけたす。

「まぁ、確信はなかったけど」

確信を得たのは、楽しそうに金魚掬いをするひよりの背中と少女の持つ金魚に胸さわぎを覚えて、再び少女に会い、お兄ちゃんとやらの人となりを聞いた時だった。少女のいう、お兄ちゃんの印象。だけどその話は今はよしておこう。今度ひよりがなにかに悲しんで、泣きそうになっているときにまで取っておくのだ。笑顔がとても素敵だと、そう小さな女の子が言っていたと。だから笑えと、だからその時まで。

「ま、おれの勘に感謝しろよ」

「はぁい!あ、あとで傷の手当しようねぇ?」

そう言ってほんのすこしだけ困ったように笑ったひよりの顔は、とびきりにかわいい笑い顔だった、なんて。提灯の続く神社の外道をあるきながら、そう思うのだった。

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