12
大河からそう切り出されるとは、思わなかった。ぴたりと一度固まってすぐ、隼人は心を落ち着ける。隼人にとっては大河だって大切な後輩で、いや、彼はあの頃は真面目だったから、そう話したことはないのだけれど。それでもやっぱり大切な後輩であるのは変わらなかったはずで、だからこうして仲を取り持とうと思ったのに。
大河から問われた言葉に思わず胸に仄かな怒りが灯ったのは、確かだった。
「元気やと、思うんか?」
「…まぁ、生徒会にいるよりは、元気なんじゃあないですか」
投げやりな返答。じりと胸が軋む。やっぱりあの時、一番はじめにひよりから話を聞いた時に、殴り飛ばしておくべきだった。なんて。
「本気か?」
唇からこぼれたのは思ったよりもひとつ、低い声だった。大河は様子を窺うようにして、隼人をじいと見つめる。それからほんのすこしだけ、首を傾けた。
「…怒ってます?」
「ちょっとな」
「もっと怒ってくれても問題ねぇっすよ」
相変わらず、目はしっかり合ったままだ。戯けたように笑った大河。その後ろに飾られたマイナーバンドのポスターの中で笑うギタリストとは、随分とちがった笑い方。同じ笑うでも、こうもちがうのか。諦めと、失望。そして自嘲を帯びた笑い方だった。
怒ってほしいといったその言葉は多分本物だと、隼人はそう思う。なにかに断罪を求めている。そんな気がした。
「なんで俺が怒るねん。怒ってええんはひよりやろ」
「…ひよりは、」
ひとつ、間があった。だからその先を隼人が答える。
「ひよりは、怒らへんもんなあ」
むぐと大河が口を噤んだ。どうやら正解だったらしい。いっぱいにいれた氷が、溶けてがちゃり。ガラスとぶつかる。はっと思い出したように手にとって、カラカラと振っている間もずっと黙り込んだままだった。
背丈のある男が、背中を丸めてひたすらにコーヒーを揺らしている姿は見るに耐えなくて、隼人はほんのすこしだけ笑った。大河がひよりを諦めたのは、ひよりのことを嫌いになったわけでもなく、どうでもよくなったわけでもなく、ただの逃げだと、そう思えたからだ。
自信の満ち溢れた表情が常なのに、今はふて腐れたような、年相応の顔だ。ちょっとだけ、安心した。
ごほんと咳払いをして、大河の持つガラスのコップを指先でいたずらにはじいた。こんと小気味のいい音がなって、大河の視線が隼人に戻る。そこを狙って、もしかしたらの話。と声をあげた。
「お前が何べんもひよりのところ行って謝って、そうしたらひよりどうするんやろうなあ。許せんくても、お前の顔見たくないって思ってても多分、もう気にしてないって言うと思わん?」
多分やけど。そう付け足せば、一度だけふらりとさまよった視線がすぐに戻ってきて、瞬きと一緒に頷く。
「それでも、心の底から許してもらえるまで何回もするねん。そしたらいくらひよりでも、腹立ってくると思うねんな。謝るくらいなら最初から、とか今更なんだとか、」
大河の視線はもう逸らされることはなくて、ただひたすらに隼人の、もしも。とんでもない空想話を聞いていた。まるでテスト範囲だと予告された授業のときの黒板を食い入るように見つめる、そんな目。すぅと隼人が息を吸う。
「いい加減にしろ!!!」
勢いよく吐き出された声に、びくっと肩を揺らした大河がなんとなく可愛く思えて、くつくつと笑う。
「いっぱいいっぱいになって、そうやって大きな声出すひより、見てみたいよなあ。そんでお前らみんなで、殴り合いの喧嘩でもしてみたらええねん」
そんなひよりの姿を想像して、感情の吐露を願って、隼人は胡座をかいた足の上で、そっと指を組む。ガラステーブルに反射している大河の表情を盗み見れば、なんだかとても、達成感があった。
「お互いが逃げてもたら、そこで終わりやで」
わかっとるやろそんなこと。隼人のその一言で、突拍子のない青臭い、だけどどこかリアリティのある空想話は締めくくられた。
▼