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じぃ、っと隼人が見つめる先には、素早い手つきでパンを食べるいずみの姿があった。

どちらかといえば目立つ方ではない顔つきに、気さくな性格。好きなことは笑うことと笑わせること。それがいずみに与えられた唯一だと、本人から聞いたことがあった。そのどれもを誇りに思っている、とも。
遠巻きに騒ぎ立てられるよりも、すぐ隣で大切な人を笑わせてあげられるよりもずっといい。そう言って笑ったいずみはきらきらと輝いていて、眩しく思ったのを覚えている。

イルカの形をしたパンの中にはたっぷりとカスタードクリームが詰まっていたらしく、指先についたそれをぺろりと舐めとったいずみから、思わず視線を逸らした。
他所を見たからはっきりとはわからないが、今度は逆にじぃと見られている気がする。
きゅ、きゅとすり減ったスニーカーの底が音を立てて近づいてきて、さっきの視線は思い違いじゃなかったことを確信した。
すとん、と隣に腰を下ろす。

「…なんなん、いずみ。」

騒ぐ気分にはなれなくて、ずっと腰を落ち着けていたエントランスのインテリア、瓦礫の上は途端に窮屈になって、隼人はほんの少しだけ空いている右側へ身を寄せた。
とはいえ元々二人も座るスペースなんてなかったから、身体は縮こまったままだ。

「なんなんって言われたらまあ、な!
俺がたまたまこっち帰って来てるの聞き付けたらしくてさ、羽原から電話が来た!」

相槌を打つ前に、ぐいと顔が近づいてきた。
怒ってはないけれど、呆れている。そんな表情。

「…で?なんでわざわざ来たん。」

負けじと睨みつければ、すっと伸びてきた手のひらに頬をぎゅうと抓られた。痛い。

「電話出たら様子おかしいのすーぐわかったっつーの!
なんで那智坂いないわけ?つーかあの気怠げ男子がわざわざ俺誘いに電話するか?」

「いひゃいはら、はあせ!」

抓られた頬はそのままひっぱりあげられてついに我慢出来ずにその手を弾いた。手のひらで一瞬視界がいっぱいになって、そのあとふらりと落ちて行って、今度は目の前のいずみの顔でいっぱいになる。さっきと違って真剣な目と視線がかち合って、思わず背筋がしゃんとした。
本人は、かっこ良くねぇのに会長の座を勝ち取っちゃったなんて笑っていたけど、鋭い光を宿した大きな瞳は十二分に人を惹きつけるそれだと思う。すいこまれまいと無意識に、ぎゅっと地面をつかむ足先。

「那智坂のことは、もうようわからへん。」

突っぱねている場合じゃないのがわかったから、ひとつため息をこぼして隼人は口を開いた。
がしがしと髪をかきみだしてみたが、染めたばかりの傷んだ髪の感触がなんともここちわるい。顔をつき合わしたままなのは御免だから、ぶあつい硝子の向こう側を泳ぐ、おでこがぐいと出っ張ったいっとう不細工な魚を観察しようと決めこむ。

「喧嘩?」

「ちょっとちゃうかもな…、でも、今更おれらが考えたところでどないにもならん思うで。」

思った通りに話した。先ほど決め込んだばかりの約束事をほんの少しだけ破って、ちらりといずみの方を伺い見れば、膝の前で合わせた掌が震えているのがわかった。怒っている。多分。きっと。

「…もう、どうにもできないっていうわけ?」

おまけに声まで震えていた。申し訳なさに居た堪れなくなって、視線はすぐにガラスの向こう側へ戻したままだった。

「ひよりが、望んでへんねんもん。」

こればっかりは仕方が無い。ひよりが生徒会を守りたいと言っているのだ。自分の居場所だったところを、守りたいと、そう。何ヶ月もこの現状を近くで見守ってきたからこそ、ひよりの気持ちを優先させたいと隼人は思うのだが、その思いがいずみに理解されるのかは、いまいちわからなかった。
だっていずみは、人を笑わせるのが本当に大好きで、それでいて、人を笑わせるのが何よりも得意なのだ。

「お前、よくあんな痛々しい羽原放っておけるな。」

なんて、といずみは続けた。

「勝手に飛び出しちゃった俺が言えることでもねーけど!だけど、俺はあんなの見てられねぇし、なんとかすんぜ?」

勢い良く立ち上がったいずみに驚いた隼人がびくりと肩を揺らす。ここで、お説教らしからぬお説教は終わりのようだ。

「多分さ、どうせすぐに消える俺にだったらちゃんと弱音はけると思うんだよな!だから今日、あいつ誘拐するわ!」

「はぁ?お前なに言って、」

んねん。そう返す前には、すっかりいずみの姿は人ごみに消えていた。話の結論が唐突すぎて、でもそれがまたいずみらしくて、隼人は一つ、笑いのまじったため息を落とした。


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