3



広い校内の何処かで床に膝をついて嗚咽したのは、誰の声だったか。
何処からか泣き声が聞こえた気がした。





「…ひより?」

「んー?」

話の最中にゆらりと二つの瞳が他所を向いてしまったのを見て声を掛ければ、返ってきたのはぱっとしない声。
すぐにその視線を辿ろうとしたが、それよりも幾分か早くひよりの視線は涼へと戻ったので叶わなかった。
仕方なく口を噤んで、手にしたサンドイッチを喉の奥に投げ込むように放った。

「ねぇ、涼。」

涼が口の中に入ったそれをもごもごと咀嚼しながら目だけをひよりの方に向ければ、それはそれは綺麗な笑みが見えた。
思わず、目を細めたくなるような。眩しい。

「おれ、どうしよっか。
これでちゃんと、終われたのかなあ。
涼にはわかる?」

綺麗な笑みは、今にも壊れそうな笑みだった。
息をのんで、言葉を探す。ふらふらと。いつの間にか口の中のサンドイッチは喉の奥に消えていた。
那智坂の野郎。
思った言葉は飲み込んだ。

「…おれの傍に、いればいいんじゃね?」

伝わっているのか、そうでないのか。
そもそも伝わったとしても、きっと、ひよりにとって幸せな結末ではないのだけれど。

握った拳を震わせながら涼が伝えた言葉に、ひよりはゆっくりと頷いて、お世話になります、と笑ったのだ。

ぐっと拳をにぎった。
その笑顔の痛々しさを見た涼はその場で大河を、遊を。そして自分をも。
いっそのこと、消してしまえればいいのにとそう思う他なかった。ひよりが誰のことも好きにならなければ、ひよりのことを誰も好きにならなければきっと、こんな顔をさせることはなかったのだ。
おれはいい。
これで大切なひよりを守れるのだから。
なんて、ひとりよがり。

「まあー、とりあえずは!
水族館の日程でも決めちまうか!」

涼がからりと全てを拭うように笑っていえば、向かいに座るひよりもふわりと笑った。

「わぁい!イルカショー、一番前で見ようねぇ。」

「それは嫌だけど。」

「えっ…」

絶望の色を映した目に、思わず笑ってしまう。
きっとただただ今だけは、イルカショーの最前列ではしゃぐひよりの隣にいられるのだろう。


「仕方ねぇなあ…」

「あは、涼ってばやっさしー!あっ、みんなも予定聞かせてねぇ。
一緒に行くでしょ?」

突然声を掛けられたクラスメイトが、苦笑いで涼を見る。きっとを気を遣っているんだろう。だけどもう、その必要はないのだ。

おれの役目は多分、そう長くない。

ずっと、七年も。ひよりを見てきた涼だからこそ。ひよりの気持ちは痛い程に分かっていた。
どうしたものかと報われない涼に視線を送るクラスメイトの肩を叩く。

「みんなで行った方が楽しいだろ。
予定空けとけよ?」

黒板に書かれた数字は、あと2日もすれば書きかえる人がいなくなって、時を止める。
長い長い夏休みがくる。
ひよりが寂しくないように、ひとりで泣いてしまわないように。
ぴたりと傍にいてやるのが自分の役目だと、理解しているのだ。そこに自分の気持ちは要らない。一番近しい友人として、ひよりを笑わせてやろう。

その気持ちはいっぱいに涼を満たしていた。
ほんの僅かだけ。できることならばこの手を離すことはないままであってほしいだなんて、執着を沈ませて。




「っつーことで、隼人先輩と進藤風紀委員長もいかがですかっと。」

「んあ?めっずらしーな。
ひよたんやなくてお前が誘ってくんの。」

廊下でたまたま見掛けた隼人と進藤の背中を捕まえて涼が誘うと、意外も意外と目を開いてからけらりと笑った隼人が返す。
隣の進藤は、胸ポケットから取り出したスケジュール帳を確認していた。

「その日なら、大丈夫そうだ。
…ただクラスメイトも来るんだろう?
俺みたいに堅苦しいのがいたら、伸ばす足も伸ばせないと思うが…」

「まあまあ!ええやん!
どのみちおれも混じるんやし、一人も二人も変わらんて!」

「…羽原の息抜きになればいいが。」


ひよりにとって大切な大切な約束をまるで知っているような。
いや、実際には知るはずも無いのだけれど。
大河が身勝手に願ったその約束を守らせてやるかのように、ひよりの周りには優しさが溢れていた。

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