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「ということで、俺もうすぐニートでーす。」

「なーにーが、ニートです、だ!」

こつんと軽い拳がひよりの頭を襲う。
痛みなんて殆どない。
本当に軽いものなのだが、ひよりは大袈裟にその場に踞ってみせた。

「もー、りょーちゃんってばひどいー。」

態とらしい呻き声を上げて俯いたせいで、目の前に垂れた前髪の隙間から涼の様子を窺い見れば、何処かほっとしたような微笑が目に入る。

仕事は、ついに自分のものが残っているだけになった。
全てあるべきところに返してきた今、もう生徒会室に籠る必要もなくなったわけで。
だからひよりは現在元気に授業合間の休み時間を満喫しているわけで。

「…ま、一安心、ってやつだな。」

涼がくしゃりとひよりの髪を撫でる。

さっきは殴ったくせに。

これがアメとムチと言うやつか、と何だか外れた認識をして、ひよりは教室独特の木製の椅子に背を預けた。
生徒会の面子に仕事の書類を返してきたことや、後任の会計の推薦が済んだことを涼に伝えたところ、一発拳を貰ったところだ。
勿論、大河とキスしてしまったことには触れずに、説明した。
話している最中にそれを思い出したせいで、妙に唇が気になりそっと触れてしまったりしたけれどもいくら涼だって、そんな些細な違和感には気づかなかった。

にしても、どうして俺殴られたの。

むう、と膨れてみせつつも、それは涼が誰よりも自分の心配をしてくれていたからなのは、ひよりだって理解している。

「りょー。」

「ん?」

間延びした声に視線を寄せれば、ひよりは一度だけ目を伏せた。

「ありがと、ね。」

ぽつりと告げられた感謝の言葉が珍しくて、涼はつい視線を逸らす。
同時に、こんなにひよりが真面目になるなんて、実は相当参ってたなこいつ、なんて思って。
触れたままだった柔らかい髪をもう一度くしゃりと乱して涼は笑った。

「ほら、夏休みは俺が遊んでやるし。」

「わぁい!
俺水族館とか行きたいなぁ。」

じりじりと迫り来る暑さから逃れるためか、思い浮かべただけで少し涼しくなるような場所をリクエストするあたりがひよりらしい。

「だな。」

「クラスのみんなで水族館とか遠足みたいだぁ!」

楽しみ、と零れる笑顔。

「…あれ、涼なんか怒ってる?」

二人で行くものだと思い込んでた俺がバカだった、と涼は顔をひきつらせる。
そんな二人の姿を遠巻きに見つめていたクラスメイトは、ひたすらに涼へ同情の念を向けるのみだった。

久賀かわいそう、涼くんなんであれで泣かねーの。

見守るような生暖かい視線に、まるでそんな声が聞こえてくる気がして、涼は部屋に帰ったら今日こそ泣いてやろうと決意した。

あと海も行きたいし、あ、俺海の家でかき氷食べたいの。

なんて楽しそうに予定を立てるひよりを見れば、何時ものごとく今はこの距離でいいや、なんて思ってしまうあたり重症だが。
やっぱりそれでも、今はこのままで、と涼は小さく息をついた。

開けた窓からはさんさんと夏の光が差し込んでいて、まるで日向ぼっこ。
仲のいい生徒に、肩口を肘でぐりぐりとつつかれからかわれる涼の姿に、わけもわからず笑う。

嵐が舞い込んでくる前の日常に戻ったようだ。
大切だったものがぽっかりと抜け落ちている気はしたが、ひよりはそれを補う術を知らない。
ただこれが平和なのだと言い聞かせて、だから。

「…ッ邪魔、」

生暖かい視線のなかに、ひとつだけ鋭いものがあることには、気付きもしなかった。

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