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あの後は、書類を出しにいって、それからひよりが預かっていた仕事を杏里に返却して、それで本当に終わりだった。
生徒会へ愛想を尽かしたひよりの決意。
言葉にされることさえなかったが、それを目敏く感じ取った杏里は、仕事の書類を受け取った後、つい呟く。
「…旅行、の、ときも、話し掛けていいかな。」
つまる喉に、言葉は途切れ途切れにしか出てこなかった。
もう随分と一緒にいるような気持ちになってしまう彼なのに、杏里は何故か果てしなく緊張していたのだ。
その質問に、ひよりはにこりと微笑む。
「ん、クラスも一緒なんだしこれからも仲良くしてねぇ。」
隣から聞こえるのはまったりとしたひよりの声。
杏里はほうと小さくため息を吐いた。
変わるのは、生徒会の景色。
ただそれだけだ。
教室に行けばひよりはきっといるし、こうして話をしてくれるようだし。
まだ終わったわけじゃない、と杏里は一人頭の中で唱えた。
「こちらこそ。」
そう返せばひよりはい一歩先に進んで、僅かに振り返る。
外から差し込む光を白い壁が反射して、前に立ったひよりを見やる杏里の目を焼く。
眩んだ視界ではひよりの姿はうまく確認できなくて、白の中で手をあげる動作だけが辛うじて見てとれた。
ひらり、と振られる。
「じゃ、俺今から授業戻るねぇ。
杏里はその書類のお片付けを最優先するよーに!」
びしっと影が杏里を指差すように動いて、杏里は小さく笑う。
「うん、ごめん、ありがとう。」
泣きそうだった。
目の前の愛しい子に目が眩んで、今更気付くことになるなんて。
大事だった友人を、こうして無くした。
とても大切だったはずだった。
「…あ、ねぇ杏里。
俺ね、優しい杏里がすきだからさ、ちょっと前の夜。」
もうすぐ、三限が終わる。
あと数十秒で、廊下の先に見える教室からは一般の生徒たちがわらわらと出てきて、こうして静かに話すこともできなくなるだろう。
杏里は静かに次の言葉を待った。
前の夜、というのはきっとあの時。
遊を傷付けられた怒りに任せて、ひよりに危害を加えてしまった時のこと。
ひよりが目を伏せる。
「あの時みたいにこわい杏里、二度と見たくないんだ。
だから、お願い。」
もう絶対に、他人を傷付けないで。
最後にそう付け加えられて、杏里は小さく、しかし力強く頷いた。
「…ほんとうにごめん、酷いことしたね。」
「でも、お互い様。
俺ももー遊ちゃんのこと傷付けないって約束する。」
その言葉に、妙に胸が軋むのを不思議に思いながら、先ほどと同じく頷くしかない杏里だった。
今、声を出したら泣いてしまいそうだった。
細身な自分よりも小さい背中だと、ずっと思っていたのに。
ひよりはこんなに力強く立っていたのかと、思った。
今更後悔しても遅いと分かってはいたが、杏里は小さく思いを馳せる。
せめて、せめて最後の旅行だけは、きちんといい思い出を残してあげられればいいなあ、と。
都合はいいが、ひよりにとって綺麗に残らせて欲しいと睫毛を揺らした。
そして漸く鳴ったチャイム。
ひよりはばいばいともう一度手を振ると、ざわざわと騒がしくなる教室の方に向かうべく杏里に背を向けた。
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