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口元を伸ばしたセーターの袖できゅ、と拭うひよりに、大河の眉間には皺が深く刻まれた。
今はすでに授業中である。
当然の如く廊下にいるのはひよりと大河だけで、だから大河の舌打ちは、妙に大きく響いた。

「お前がうるせーから黙らせただけだろ。」

こんなの大したことでもないと、開いてしまった間合いを詰めてひよりの腕を取ると、すぐに振り払われる。

「…意味わかんないよ、かいちょー。」

その場に足を張り付けてしまったひよりが顔をあげて、それで少しだけぎょっとした。
だってひよりの目には、うっすらと涙の膜が張っていたから。

こいつのことだから、ちょっとキスされたぐらい、へらへら笑ってかわすと思ってた。

今度は大河が思わず視線を落とす。
ふらふらとそのままさ迷わせて、ひよりの足下に落ち着ければ、ぽと。

あ、落ちた。

顔を見ていないから、はっきりとはわからないが、足下に零れた雫がなにかと聞かれればきっとひよりの涙であろう。
一瞬は瞳に薄く堪えた涙であったが、一度零れたのを幕切りに床に染みを増やしていった。

「は、え、なんで泣くんだよ、」
止まらない涙と、喋らないひよりに戸惑う。
だけどまた振り払われたらと思うと、上がりかけた手は再び元の位置に落ち着いた。
鼻を啜ってから、ひよりが息を吸う音。

「かいちょー、はさ、そんな俺のこと、嫌い?」

一言紡ぐ度に泣きたくもないのに涙が零れて、ひよりは何度も何度も、それこそ目の下が擦れて赤くなるぐらいに拭った。
なにも言わない大河に、ひよりは一方的に続ける。

「書類のことも、俺のこと、そんなに信用できない?」

言葉を小さく区切ってその度に小さく息を吸う。

「も、ほっといてくれないかなぁ…?」

絞り出したような声に漸く顔を上げた大河が見たのは、涙で光る茶色がかったひよりの瞳だった。

「っは、」

大河が言葉を返す暇も与えずに、駆け出したひより。
普段はあまり走ったりしないから、息が乱れて苦しいし、足が縺れる。

ぐらりと身体が揺れて、 あっ、やばい、って思ったときには、ひよりの身体は階段を踏み外して宙に浮いていた。

「…っひよ!!」

伸ばした、その手。

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