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訝しげに自分を見る大河を気にも留めず、ひよりは目の前のティーカップに手を伸ばした。
カチャリと音を立てるそれ。
「おい…!」
制止しようとした大河の手をするりと抜けて、ひよりはカップに口を付けた。
ごくりと一度だけ喉を揺らす。
「…甘、」
カチャリと再び音を立てて、カップはソーサーの上に戻っていった。
「お前バカだろ。」
俺のコーヒーがすんげぇ甘いの分かってた癖に、と続けた大河に向かって頷く。
うん、分かってた。
いっつも隣で何個角砂糖入れるんだろうって不思議に思ってたもん。
「そのカップさぁ、生徒会入りが決まったときに、前のかいちょーさんたちに買ってもらったんだよね。」
前会長にひよりたち全員揃って連れてってもらった高そうな食器店。
好きなのを選べと言われたひよりたちは、色違いのティーカップを買ったのだ。
「かいちょーはオレンジで、杏里が水色、緑のがまこのでしょ。
それから、俺のはピンク。」
ちらりと流し台に放り込まれたカップたちに目をやったひよりに釣られて、大河もそちらを見た。
水の張られた桶に浮かぶ3つのカップ。
水色、緑、そして来客用の白色のティーカップに一瞬だけ切なげに眉を寄せたひよりは、流し台とポットの間に置かれた幾つかの白のティーカップに紛れたピンク色を見つめる。
「ねぇ、かいちょー。
変わったのはまこじゃなくて、かいちょー達だよ?」
「何言ってるかさっぱりわかんねぇんだけど。」
ひよりの視線が動いたことによって、大河も漸く流し台から目を離した。
一瞬だけふらりと視線を彷徨わせたが、すぐにぴたりと止まる。
「…わかんなくてもいいよ、もう。」
何故かこの、どちらかといえば険悪なムードの中で笑うひよりの表情が目に止まったからだ。
目尻眉尻を下げて微笑むひよりに思わず息を飲む。
「なん…っ」
なんで、お前は笑ってるんだ。
息が詰まったようにそれさえ口に出せなくて、大河は膝の上で握り拳を握った。
目の前でひよりが立ち上がるのが、まるでスローモーションのよう。
「さぁて!
そろそろお仕事しますかー。」
目的だったペンケースを持って自分のデスクへ戻っていくひよりを、大河は見つめることしか出来なかった。
さらりと流れる髪を耳に掛けて再び作業を始めたひよりを見て、ぼんやりと考える。
なんだ、さっきの笑顔。
自分の仕事が疎かになっていることはわかっていた。
ひよりが意外と働く奴で、余計に怠けてしまうことも。
今まで持ちつ持たれつ、というかひよりの分まで背負っていたから少しぐらい頼ってもいいか、なんて甘えていたのも自覚している。
「……っ、」
先ほどのひよりの笑顔は、ただの他人へ向けるようなものだった。
大河はぎりりとズボンを握り締める。
ずれないようにそっと判子を書類に押しつけているひよりに目をやった。
耳に掛けたばかりの髪が、俯いたせいでまたさらりと流れ落ちる。
今度こそ本当の静寂。
「よーし、終わり!」
どれくらい時間が経っただろうか。
提出の近い書類を一通り仕上げたひよりは涼に電話掛けた。
遊たちと約束があるはずの大河は未だ何かを考え込むようにソファに腰掛けたままだ。
ワンコール、ツーコール、
「もしもしー、涼?
うん、俺、ひよりだけどねぇ、仕事終わったからそっち合流しますー。
はぁい、じゃあ後でねぇ。」
食堂行くついでに、仕上がった書類とか職員室に出してこよーっと。
何枚かの予算案や会計報告書を重ねたひよりは静かに生徒会室を出て行った。
ぱたぱたと消えた足音。
残された大河はチッ、と舌打ちをする。
何の声を掛けられることもなかったのが無性に苛立つ。
大河はゆっくりと立ち上がり生徒会室の奥、デスクの並ぶスペースまでやって来た。
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