「それでねー……って、井浦きいてる?」
「聞いてる聞いてる」
「うそ、なんかさっきからぼーっとしてる」
「……見えてないのに?」
「だって、井浦はそこに居るからね」

扉を挟んだ、その向こう。けらけらと笑う彼女の姿をもう1年も見ていない。扉に背を預けて会話をすることは日課というよりは、既に日常の一部と化し当たり前のことになっていた。はっきりとしない曖昧な表現を好んで使う彼女の言葉を理解するのは難しいけれど、彼女と過ごすこの時間はとても心地良いもので、彼女と離れることはどうも俺には不可能らしい。

「淋しくない?」
「ううん、井浦が居てくれるから平気だよ」

でも、ひとりは淋しいと俺は思う。ひとりは淋しいけど、井浦がそこに居てくれるなら平気なの。ひとりじゃん。ひとりじゃないよ、井浦は分かってないなぁ。
くすくす。彼女の笑い声が聞こえる。分かってないのはどっちだよ。あんなに、泣いてただろ。痛いって、傷をつくって泣いてただろ。

「なに、井浦泣いてるの?」
「泣いてない。泣いてるのそっちじゃね」
「うそつきー」
「うそつきは、お前だろ」

膝を抱えてうずくまる。泣いてないよ。俺は、泣いてないし、うそつきでもない。それは全部そっちだろ。俺は、俺は。ぎゅっとこぶしを握ると切り忘れた爪が食いこんで痛みが広がった。のどから声をこぼして彼女の名前を呼んでも返事は無かった。ほら、やっぱり、うそつきはお前だろ。俺は、何回、あと何回、キミを想えば、

「井浦」
「は……え、え、あれ? え?」
「そんなに何度も呼ばれたら、さすがに私も降参かなぁ」

ふわり、彼女が笑う。俺の隣で、笑う。真っ白な肌、それによく似た白いワンピース、そして映える艶やかな黒髪。見間違えるはずもなく、もう1年も見ていなかった彼女だった。

「がんばって、窓からこう……隣の部屋に移ってね」
「え、危な! なにしてんの!?」
「だって、井浦が私のこと呼ぶから」

来てあげたの。お世辞にも良いとは言えない顔色で、そんな不健康な肌色で、なんて無茶なことを。心臓止まる。そんな俺の気も知らない彼女は扉を開けて、閉め切っていたカーテンを開けた。眩しい日差しが差し込んだ、まっさらで綺麗な部屋だった。ていうか、最初から普通にドア開けて来るっていう選択肢は無かったの?

「夜、明けたね」
「うん」
「朝ごはん食べてってよ。そのあと、お散歩つきあって」
「うん」
「絶対よ」
「分かってるって」

ひらりとワンピースを翻して軽い足取りで駆けていった彼女のあとを追う。閉じこもっていたせいか、やたらふらふらと歩く彼女が危なっかしく感じて、俺はその手を掴んだ。驚いたように目をぱちぱちと瞬かせる彼女の手は、確かに温もりを持っていて、俺はひどく安心したのだ。

「ゆっくりでいーって」
「……そう?」

わかった、ありがとう。そう言って笑う彼女を見て、そこでなんとなく、今までよく分からなかった彼女の言葉が理解できたような気がした。あの言葉たちは、どうやらずっと俺の心を溶かしていたらしい。立ち止まったままの俺を彼女は心配そうに覗き込んだ。具合悪いの?大丈夫?いや、違うんだ、そうじゃない。そういうんじゃなくて、

「そこに、居てくれたんだなって、そう思ったんだ」

そう言うと、彼女は優しく、綺麗に微笑んだ。

「うん。私は、ここに居るよ」

この世界の、さらにその先の未来に、キミと一緒に居られたらそれはきっと、当たり前に幸福なんだろう。愛しい彼女の存在を確かめるように、俺は彼女に口付けをした。



 Tómur



Song : Tómur / におP feat. 初音ミク



 
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