「勉強会、かぁ……」
「お願い水祈! 赤也のためにも!」

ぱん!と手を合わせて私に懇願する恵理に断りを入れるのはどうも気が引ける。かといって、やすやすと任せてなんて言えないし……。結果、苦笑いを零すほか無かった。ごめん、恵理。

「昨日、ブン太にも数学教えたって聞いたわよ」
「……恵理って情報早いね」
「ありがとう。それで、お返事は?」
「ううん……わかった。とりあえず、メールして確認してみるね」

恵理は私が頼みごとを断れない性質だということを知っている。つまり、元から私の敗北は決定していたのだ。こっそり溜め息を吐いて携帯を開く。電話をする方が早いけど、相手が相手なだけに校内で電話など以ての外である。ぽちぽちとメールを打っていると視界に赤が映った。

「七摘が携帯いじってる」
「バレなければ良いんだよ」
「……七摘って意外と悪いよな」
「水祈はそういう子だよ、ブン太」

隣に立っていたのは丸井くんだった。私の手元を覗き込むようにしているから、私の視界に入ったのは彼の髪色だろう。幸いにも送信した後だったので、彼に宛先は見られていない。たぶん。ぱちんと携帯を閉じて鞄に仕舞いこむ。臣くんはこまめに携帯をチェックするタイプではないので、多分お昼休みまでは気づかない。下手したら、メールをしたことが無駄になるかもしれない。つまり、家についてからメールに気づく場合があるのだ。彼らしいといえば、彼らしいのだが。

「ブン太、水祈も来るって」
「マジかよぃ! 七摘教えんのうめぇから助かる!」
「まだ行くって決まったわけじゃないんだけど……」

恵理は地盤固めをして私が断りにくい環境を作ることにしたようだ。本当に恵理って抜け目がない。さすが、男子テニス部でマネージャーをしているだけあるなぁ。なんて、感心している場合じゃないんだけど。臣くんは私が男の子と遊んだりすることを嫌うのだ。本当にお父さんみたい。実際のお父さんがどんな風なのかは知らないけど。

「次なんだっけ」
「英語」
「あ、私ロッカーから辞書とってこなくちゃ」

席を立ってロッカーへ向かう。しゃがんで和英辞書を手に取った。予習してあるから使わないかもしれないけど、念のためにね。立ちあがって席に戻ろうと見やると、私の席には何故か恵理が座っていて、引き続き丸井くんと談笑をしていた。

「七摘さん?」
「十時さん。あ、ごめんなさい、邪魔だったね」
「そんなことないよー。げ、次もしかして英語?」
「うん。英語嫌い?」
「嫌いっていうか苦手っていうか……七摘さんは?」
「私は結構好きかな。留学とかしてみたいかも」

私がそう答えると、十時さんは、凄いねと言って顔を顰めた。発言と表情が一致していない。相当、英語嫌いなんだなぁ。楽しいと思うんだけど。

「あ、恋おかえりー。さっき隣のクラスの子が辞書返しに来たよ」
「ただいまー。え、マジで、ありがとー」
「十時ー机の上にあった飴もらったけど」
「は!? ちょっとそれアタシが貰ったんだよ!」
「飴ぐらい良いだろぃ! ケチケチすんなって!」
「あれはアタシの好きなやつなの!」

言い争いを始めてしまった2人を呆れた様子で見る恵理。またしても苦笑いを零す私。2人を楽しげに見るクラスメイト。それに気づかない丸井くんと十時さん。この光景はB組では日常茶飯事である種の名物だ。

「2人とも飽きないわね」
「そうだね。とっても楽しそう」
「まぁねぇ」
「ちょっと恵理も何か言ってやってよ!」
「は!? 片平は俺の味方だろぃ!」
「私はどっちの味方でもありませーん」

柳に風と受け流し、恵理はロッカーに凭れかかった。勿論そんなことで2人の争いが収束するわけもなく、むしろヒートアップしてしまった。恵理は火に油を注いだらしい。

「……あ、丸井くん。ちょっとそのまま動かないで」
「え」
「んっと……はい、とれたよ。埃かな」

丸井くんの赤い髪の毛についていた白い埃を指でつまむ。うーん、こういうのが出るってことは教室はやっぱり汚いんだ。今日はしっかり掃除しなくちゃ。気付くと2人の喧騒は収まっていて、丸井くんはぽかんと動きを止めていた。

「大丈夫?」
「……お、おおおおおう」

下から覗き込むと、丸井くんは顔を真っ赤にしていた。丸井くん、ともう一度呼び掛けると、彼は何故か脇目も振らずに教室を飛び出していった。……どうしたんだろうか。

「ブンちゃんが面白い顔しとったけど、どうかしたんか?」
「うーん、髪の毛についた埃をとってあげただけなんだけど……」

丸井くんと入れ違いで教室に入ってきた仁王くんが問いかける。私がさっきのことを話すと、彼は愉快そうに笑った。恵理も肩を震わせて笑っている。ただ一人、十時さんだけは唇を噛み締めて俯いた。

「七摘は、相変わらずじゃの」
「そう?」
「まぁ、水祈はねぇ」

彼らの言ってる意味が分からないわけじゃない。私は別に鈍くは無いし、頭が悪いとも思わない。ただ、私は、卑怯なだけだ。

「……保健室、行ってくる」
「え、恋大丈夫? 付いて行こうか?」
「平気。センセーに言っといて」
「分かった。気をつけてね」

ふらふらとした足取りで十時さんは教室から出て行った。恵理が心配そうに後ろ姿を見つめる。仁王くんもじっと十時さんの方を見ていた。暫くして戻ってきた丸井くんが不審そうにこちらを見る。まぁ全員が出入り口を見ていたから確かに不思議な光景だったろう。その出入り口から入ってきた丸井くんからしたら、特に。

「授業始まっちゃうね」
「そうね、そろそろ戻った方がいいわね」

銘々に自分の席に戻ると、タイミング良くチャイムが鳴る。教科書とノートを広げ、シャープペンシルを手に取った。気付いていないわけじゃない、理解していないわけじゃない。そう、私は、臆病者だ。ごめんなさいと小さく零した言葉は、誰にも届くことなく虚空に消えた。


ギムナジウムデイズ
(変わらない変わり続ける日々)




 



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -