「失礼しました……」

ドアを閉めてとぼとぼと教室に戻る。今日届いたらしい新品の資料集を抱きしめ溜め息を零す。さっきの人……ええっと、七摘水祈さん。迷惑、だっただろうな。わたしなんかに関わって。そういえば、どうしてわたしが転校生だと分かったのか聞いてないなぁ。やっぱり、わたしの悪評が知れ渡ったんだろうか。

(どう、しよう……)

胸が苦しい。頭が重い。息の仕方さえ難しくて、わたしは思い切り咳き込んだ。喉が痛い。床に縫い付けられたように動かない足を無理やり前に進めると、そのまま体は廊下に打ちつけられる。じんとした痛みが全身を通って、わたしはぼんやりと頭の片隅で痛覚を覚えた。腕に力を込めて起き上がる。さっきまで折り目ひとつついていなかった資料集はぐにゃりとまがってしまった。ああ、もう。最悪だ。

「大丈夫っ!?」
「え……」

聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには昨日の女の子がいた。怪我してない?と尋ねてくる彼女に頷くと、彼女は安心したというように笑った。ゆっくりと体を起こして埃を払いながら立ち上がる。

「おはよっ!」
「……お、おはよ、う」

挨拶をする、ただそれだけで彼女はきらきらとした眩しい笑顔になった。なにが、そんなに嬉しいの。ぎゅっと資料集を抱きしめる力を強くして体を強張らせる。そうだ、名前聞かなくちゃ。それと、自己紹介もしなきゃ。あなたと、お友達になって、みたい、の。口を開こうとしたその時、わたしよりも先にあっと女の子は声を上げた。わたしの肩はビクリと跳ね、心臓はばくばくと鼓動を速めていた。なんなの、急に。

「あたし、用務室行かなきゃいけないんだった!」

……そういうのは、自分の心の中で思い出してほしい。本当にビックリしたんだから。またね、と笑って手を振る彼女を見送り、教室へ向かって歩き出す。結局、名前聞けなかった。自己紹介も、できなかった。お友達になんて、なれないのかな。わたしはダメだなぁ、本当に。じわりと涙が視界を覆う。昨日蓮二くんに応援してもらったのに。がんばるって決めたのに。ごし、と手で涙を拭っても視界はなかなか晴れない。

(強い子だから)
(大丈夫よね?)

そんなことないよ、強くなんてないよ、大丈夫なわけなんて、ない。ちがうの、ちがうのよ。ぎゅっと下唇を噛む。すると、少しだけあふれ出ていたものを落ち着かせることが出来た。ふらふらとおぼつかない足取りで廊下を進む。角を曲がったところで、どん、と衝撃が全身を奔った。予想外の事に体は咄嗟に反応出来なかったらしく、わたしは本日二度目の床とのご対面になった。地味に、痛い。

「すまない、大丈夫か……椿?」
「え……あ、蓮二くんだ」

聞き覚えのある声に顔を上げてみると、そこにいたのはやっぱり蓮二くんだった。昨日電話で話したけれど、実際に会うとなんとなく気恥ずかしい。立てるか、という蓮二くんの問いかけに頷き、彼が差し出した手に掴まれば、世界はあっという間に向きを変えた。

「顔色が悪いようだが」
「そ、そうかな? どこも悪くない、と思うんだけど……」
「そう言って椿が体調を崩す確率、86%だな。新しい環境にまだ馴染めていないのだろう。無理はしない方が良い」

蓮二くんの説得力のある言葉にわたしは頷くしかなかった。現に、わたしは過去数回ほど転校というものを経験しているが、そのように環境が変わる毎に体調を崩していたのだ。保健室へ案内され、わたしは真っ白なベッドに潜り込んだ。資料集は傍らにあった机に置いておくことにした。先生は生憎席を外していて、そこはわたしと蓮二くんだけの空間になった。

「担任には俺が連絡しておこう。D組でよかったか」
「うん。……蓮二くん、ありがと」

お礼を述べると、蓮二くんは気にするな、と言って優しく笑った。わたしはその笑顔に心臓が高鳴るのを感じながらぎこちなく笑顔で返す。そろそろ戻らなければいけないな、と蓮二くんは言って立ち上がる。

「頑張れとは言ったが、無理をしろとは言っていない」
「……うん」
「お前はお前のペースでゆっくり頑張ればいい」
「……うん」

蓮二くんは、いつだってわたしが一番欲しい言葉をくれる。それが何より嬉しくて、わたしはもう一度、蓮二くんにありがとうと伝えた。すると、彼はまた優しく、それはそれは綺麗に微笑んで、わたしの頭を撫でて、そして保健室を出ていった。わたしはどうも眠る気にはなれなくて、ベッドから降りて窓際へと歩みを進める。綺麗な新緑が眩しい中庭に面した窓を開ければ、爽やかな風が頬を撫でた。

「……うん、がんばろ」

気付けばもう涙は乾いていて、瞳は世界の鮮やかな色彩を映し出していた。


君は胸に魚を飼う
(きらきら、世界はとても眩しくて美しいの)




 



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