不思議と、胸の内は凪いで。
 水の流れは心地よく耳へと届き。

 体の自由も
抗う術も奪われ。
 罪人として膝をつく河原。

 生命を絶つための刃にも心動
かされず。
 ただ、空を仰ぐ。


(俺は、出来る限りのことを尽くして、結果、
此処にいる)


 ひどく澄んだ、蒼。
 一人の男の背が浮かび。


(───お前は?)






 生において最大で最期の衝撃を受け。
 死へ向かう闇が訪れ。





 気がつけばまた、
蒼穹を映す視界。
 地に倒れていると知り、体を起こす。


(……ここは?)



 見渡す限り続く河原。
 巨大な清流が横たわり。

 その向こう、咲き乱れる
種々の花。
 瑞々しい若葉を湛える樹。

 木陰に人の姿を見つけ、目を
凝らせば。
 心の臓が一つ、鼓動を刻む。

 草花へと青の外套を広げ。
 風に、
栗色の髪を流し。

 筆と木簡を手に。
 思考に沈む横顔。


「──そ、」


 名を
呼ぶより先に。
 体が、心が求めて、駆け出す。

 衣のまま、清流へ飛び込み。

 背丈以上の深さと、全てを押し流す速さに。

 全身と全霊で、抗う。


「そう、ひ、」



 重く濡れた衣を引き摺り、呼吸を乱し。
 もう一度、名を。

 声に、思考の
海から戻り。
 刃の瞳が、大きく見開く。


「……三成、か?」
「…ああ、
そうだ、俺、だ」


 消耗した体は自立の力を失い。
 視野が揺らぐ。

 筆と
木簡が、地へ落ちる音。
 正しさを取り戻す世界。


「…本当に、三成、
なのか」
「そうだと、言っているでは、ないか」


 腕を引かれ、蒼の胸の中。

 確かな体温に、呼吸を整える。

 ここはどこだ?
 どうしてお前がいる?

 問おう
とした矢先。
 骨が軋みを上げるほどの、抱擁。


「会いたかった」
「……
曹、丕」
「お前が来るのを、ずっと、待っていた」


 文帝の名が歴史に
刻まれたのは。
 千の年月を超える、遠い昔。


「…待たせて、すまなかった」

「構わん。詩を創っていた。お前への想いを綴ったものが、千と三百二十できたぞ」
「…創りすぎだ、阿呆」


 濡れた衣越し、じわりと伝わる温もり。

 耳元に降る、焦がれた低音。


「……曹丕、」
「何だ、三成」
「お前は、
お前の世で、成すべきことを、成せたのか?」
「…ああ」


 遠く、視線を
投げ。
 眇める瞳には、穏やかな充足。


「全てを完璧に、とはいかなかったが」

「…俺もだ」


 険のない眼差しが、己を見据え。
 肌にはりついた髪を払い、
額を露わにする。

 目を閉じて、全てを委ねれば。
 其処に、小さく音を
立てて口づけ。


「これからは、また、共に」
「ああ、ずっと、だ」



 現の世と離れた、最果ての地に。
 一陣、風が吹き。
 舞い上がる花弁が、蒼穹を彩る。










冥婚【Minghun】
(永久を、冥土にて)



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