HoYoverse

眠りこけてる場合じゃない

 ――嘉明のバカ! だいっきらい……!

 見知った少女が泣きながら叫んでいる。
 痛ましいその様子は見覚えのありすぎる光景で、もはや懐かしさすら感じるくらいだ。人としての良心のみならず郷愁の念まで刺激するそれは、心地よく浸っていたはずの睡眠をぴしゃりと妨げ、嘉明の意識を現実へと引き戻した。全身の汗という、余計なものも一緒に。

「マジかよ……まさか今さら見るなんてな、こんな夢を」

 隣で眠るウェンツァイにすら聞こえないくらいの声量で、吐き出された独り言。それはまだ薄暗い室内にしっとりと溶け、脳裏に刻みつけられていたはずの夢の記憶とともにすぐに見えなくなっていった。
 ……あの少女が誰かなんて、考えなくてもわかることだ。見覚えのあるシルエットは故郷である翹英荘で共に育った幼なじみ、ナマエのそれとまるきり同じだった。
 ナマエが泣くところなんて数え切れないくらいに見てきた。道場の修行がつらいとき、家族とケンカしたとき、近所の男友達に意地悪をされたとき――それこそ、嘉明が彼女を泣かせたことだって何度もある。

(ほんとにすぐ泣くんだもんな、アイツ……オレがイタズラばっかしてたせいだけど)

 泣き虫なんて大きくなったらすぐよくなる――みんなそんなふうに言っていたけれど、どうやらナマエに限ってはその理論に当てはまらないようだった。それこそ嘉明が翹英荘を離れる直前でもナマエの涙腺は緩みっぱなしだったし、涙についてからかってくる知人をその腕っぷしで黙らせる場面だって、この黒い目で何度も見てきた。
 ナマエは強い。なぜなら彼女は道場の跡継ぎで、誰もが音を上げるような修行をこなす努力家だからだ。けれどそれは力量の話であって、彼女の精神を汲み取ったゆえの評価ではない。
 ――もしかして、今も泣いていたりするのだろうか。嘉明が翹英荘を飛び出して久しいが、その間、ナマエとはほとんど顔を合わせていない。たまに手紙のやり取りこそするが、直接会って話をするのは、師の仕事で翹英荘へ立ち寄ったときに運が良ければ、という程度だ。
 ナマエは快活で人当たりの良い性格の反面、打たれ弱いところがある。泣かせていた自分が言うのはおかしいような気もするが、昔はちょっとした言い合いですぐに泣いていたし、何気ないひと言を長らく引きずっていたことだってある。

(……今のナマエは、誰と一緒にいるんだろう)
 
 べつに、誰かからナマエを守れとか、できるだけ一緒にいてやってくれとか、そんなことを頼まれた記憶はない。強いて言うなら母に好きな女を泣かすような男にはなるなと言われたくらいだが、当時は気持ちの自覚もなかったし、ナマエ自身も守ってもらうことを求めているようには見えなかった。
 しかし、なんとなく胸騒ぎがするのだ。こうして夢に見てしまったことで、ナマエの泣き顔が――正確には、彼女が独りで膝を抱えているかもしれないという疑念が頭から離れなくなっている。薄っぺらい評価のせいで誰にも助けてもらえないで、弱音を吐き出すこともできないまま、一人で路地裏にしゃがみ込んでいるかもしれないのだ。
 それこそ、幼い頃のあの日のように――

「……さすがに今から行くのはマズいか、時間的に。じゃあ、朝、仕事の前に顔を出して――」

 できるだけ、親父には見つからないように。
 ヤマガラのさえずりと朝日の気配を感じながら、嘉明は久しい顔に会いに行くための計画をじっくりと練りはじめた。


 2024/05/02 加筆修正
 2024/03/20

- ナノ -