Admire

01/21 01:12

半モブとして夢主の兄姉が出てきます

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「レイチェル――今日はいつにも増して飲みすぎじゃないか。明日はあの子の誕生日なんだろ」

 時刻は深夜一時過ぎ、エンジェルズシェアのカウンター席にて。酔いつぶれてテーブルに突っ伏したまま動かない後頭部へ、ディルックは静かに声をかける。
 レイチェルと呼ばれた後頭部はディルックの声にやっと身じろぎをして、むにゃむにゃと言葉にならない言葉を吐きながらその顔を上げた。酔っ払い特有の赤ら顔にはふたつ、先立って話題にあがった“あの子”――ハーネイアと同じ淡い碧眼が輝いているが、意識が朦朧としているのか、それらの焦点はあっていないように思える。

「あぇ……ディルック様、なんで明日が妹の誕生日だってご存知なんですかあ?」
「君やバーンズが口癖のように言いふらしていたからだ。あんなに聞かされてはもはや誰だって――それこそ、あのガイアですら覚えていると思うが」
「あっはっは、そうですかあ〜。……それは、たしかにそうかもしれませんねえ」

 ふにゃふにゃと、まるで夢心地のように吐き出すその語り口は、このエンジェルズシェアで何度も見てきた酔っぱらいのそれと相違ない。モンドの気風よろしく、赤ら顔で陽気に笑い、警戒心の欠片もない。
 その様子は無様でもあり、反面、ひどく自由なふうにも見える……良くも悪くもディルックには染まることができない風体だ。

 彼女は――レイチェルは、モンドで自由奔放に暮らす吟遊詩人の一人である。お酒が好きで、あっけらかんとしていて、誰とでも分け隔てなく接するくせにどことなく掴みどころのない、不思議な印象の女性であった。その怖いもの知らずさといったら、このディルックにすらまるで友人のように絡んでくるほどなのだが――気安く話せる彼女との交流は、酒臭いことさえ除けば取り立てて嫌悪するようなものでもなかった。
 ……むしろ、彼女の歌声に限って言えば好ましいとすら思っている。「天使の歌声」と称される彼女のそれは人々の心を洗うようであるし、彼女の歌に惚れ込んだ富豪連中が金をつもうとしたこともあるらしい。
 もっとも、当の本人は毎日浴びるように酒を飲み、その清廉な歌が酒やけに侵されやしないかと、ファンらを怯えさせているのだが。


「……ねえ、ディルック様」

 時折、彼女は酒に溺れながらもがらりと雰囲気を変えるときがある。先立ってのちゃらんぽらんな物言いはどこへやら、まるでライアーを手にしたときのごとく、張りつめたような、静謐な空気をまとうのだ。
 彼女の言葉に耳を傾けるため、ディルックは磨いていたグラスを置き、視線だけを向けた。

「もしもあたしに――あたしたちに何かあったら、ハーネイアのことよろしくお願いしますね。あの子、あたしたちに思いっきり甘やかされて育ってるから、ひとりじゃ生きていけないと思うんです」

 アルコールに支配されていた碧眼が、モンドの風のように澄んだ輝きを湛えている。冗談も、迷いすらもない双眸を前に、ディルックは柄にもなく怯んでしまった。
 途端、唐突な喉の渇きが襲う。

「何を急に――」

 狼狽を隠すように言葉を吐きかけたとき、タイミングが良いのか悪いのか、ひどく慌ただしげに扉が開く。扉の隙間、夜闇から抜け出してきたのは先立って名前が出た男――レイチェルの双子の兄、バーンズだ。
 三兄弟で揃いの淡い碧眼は、片割れとは裏腹に、青ざめた色でまばたきを繰り返す。

「もっ……申し訳ありません、ディルック様! こいつ、またこんなに飲みまくって――」
「問題ない。彼女のような飲んだくれに関しては、正直見慣れているからな」

 ディルックの言葉にひときわ顔を青くしたバーンズは、依然としてアルコールを取り去ったままのレイチェルを睨めつける。ご立腹の片割れの視線が彼女にどう伝わったのかはわからないが、彼女は再び、ひどく落ち着いた声を出した。その響きはまるで旋律のようだ。

「あたしは見てのとおりですけど、バーンズもまあまあ妹のこと構いたがりだから……とにかく、あの子がひとりぼっちになっても大丈夫なように、他でもないディルック様にそばにいてあげてほしいんですよ。……こんなこと、あなたにしか頼めないから」

 どうして僕なんだ――その言葉は喉の奥で消えた。レイチェルの意図がなんとなく透けて見えたからだ。それは、ともするとお節介や大きなお世話に数えられるおそれすらある、妹への過剰な愛である。
 ……なんとかしてやりたいのだろう。ハーネイアが長年大切にしている、淡い恋心の行く末を。彼女がディルックに対して熱心に傾けている想いを、姉として叶えさせてやりたいのだろうと、ディルックはそう推察した。
 ハーネイアの気持ちについては、ディルックだって知っている。べつに彼が特別敏いわけでもなく、ただ、よっぽどの鈍感野郎でなければ、二日も経てばあの子が誰に対してどんな感情を向けているか、すぐにわかってしまうだろう。
 愛されて育ったと、その一挙手一投足に至るまで染み渡っているのがあの子だ。ハーネイアはどこまでも素直で、時に眩しいくらいの明昼の少女なのである。

「おい、レイチェル! いったい何を――」
「アハハ、そんな顔しないでってば! ……ごめんなさい、冗談です。酔っぱらいの戯れ言ですよぉ」

 拍子抜けするほどさっぱり続けて、レイチェルはよもや酔っぱらいとは思えないほどしっかりと立ち上がる。戸惑う男二人を差し置いて進む背中はどことなく覚悟を決めたようにも見えて――三年間の記憶が唐突によみがえり、ディルックの胸をざわつかせた。

「支払いはツケでお願いしますねえ、次来たときに払うので」
「……ああ」
「えへへ、ありがとうございます! そんじゃあまた」

 言いながら、レイチェルは呆気にとられるバーンズの腕を引っ張りながら、闇夜のなかへ消えていく。扉が閉まる間際に見えた宵闇はディルックの焦燥感をひときわに刺激して、思わず大きな息を吐かせた。
「死」には幾度も立ち会ってきたし、この手で判決を下したことも数え切れないほどにある。父クリプスを皮切りのようにして、憎悪と業火に沈んだ三年間、ディルックは何体もの屍を越えた。……だからこそ、先立ってのレイチェルがまるで死地に赴く戦士のように思えてしまったのである。

「……ただの杞憂で済めばいいんだが」

 どこか祈るような言葉をひとつ落として、ディルックは手元のグラスを再び磨き始めたのだった。


2023/06/10

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