神を喰らわば

かつての彼女のままだった

 コズエの誕生日を祝うのは、嗚呼、果たして何度目になるだろうか。
 今までの人生でずっと隣にあったはずの、いやに小さくて細い肩。何があっても傍にいてくれた彼女がいつしかそこにいなくなったのは、別に彼女が心変わりしたとかではなく、他でもない自分の変化のせいであって。それを悲しむ資格なんて自分にはない、けれども、侘しく思う気持ちをゴミ箱に捨ててしまえないのは、タツミの悪いところだった。

 ――なあ、こーこ。
 ――ちょっといいか?
 ――お前に話があるんだ。

 簡単に言えていたはずの誘い文句は、なぜだか年を取るごとに、喉の奥につっかえてしまうようになった。名前を呼んで、手を取って、笑いあって過ごすなんて、それこそ十年前の自分たちには、ひどくたやすいことであったはずなのに――
 ゆっくりと、長い深呼吸をして。タツミはいつもどおりの平静を装いながら、コズエがキーボードを叩いている、アナグラの受付に足を向けた。

「お、タツぼんじゃん」
「よう、こーこ。今日も忙しそうだな」
「本当にねー。なんか、ウララちゃんが急に体調崩しちゃったらしくってさ。生憎と私は急ぎの任務もなかったから、代わりにここに立ってるってわけよ」

 二足のわらじの悪いとこ出ちゃったよね。そう言いながら、コズエはからりと笑っていた。
 今日の日付に気づいているのかいないのか、誕生日には触れようともしない。いつもと変わらないにこやかな顔のまま、ひたすらキーボードを叩き、モニターとにらめっこをしている。
 この世界で誕生日を迎えられることの幸甚を、彼女はこのうえなく理解しているはずなのに。かけかえのない両親を、大好きだった姉を、たくさんの同僚を亡くしている彼女なら。五体満足な今日の価値を、十二分に噛みしめているだろうに。

「その……ごめんね」

 タツミが思案にふけっていると、話を切り出したのは意外にもコズエのほうだった。もっとも、第一声は気まずげな謝罪の言葉であったし、至極申し訳なさそうに眉を垂れ下がらせていたが。

「お祝い、来てくれたんでしょ? 顔に書いてある」
「……なんだ、覚えてたのか。何も言わねえから、てっきり忘れてるのかと」
「あはは、覚えてるに決まってるっしょ。私たちにとって、『誕生日』ってのはすごく特別なもんじゃん。まる一年無事に生きながらえることができた証明なんだからさ」

 ――きっと、みんながほしくってたまらなかったものだもんね。
 コズエの瞳が濁るのを感じる。視線の先にいるのはタツミでも、彼の背中にある壁でもなく。志半ばで力尽きていった数多のしかばねたちが、そこに立っているのかもしれない。
 今の彼女にはきっと、見えるはずのないものが見えている。見えてはいけない、目に入れた途端たちまち足を取られてしまうような恐ろしい化け物。彼らが今まさに彼女の足首を掴まんとしているのを、タツミは野生の勘というやつで察知してしまった。

「ねえ、タツ――って、うわあっ」

 勘づいてから、刹那。タツミは衝動的にコズエへと手を伸ばし、やけにすっきりし始めた頬に触れた。ふにふにの感触はやはり年齢不相応であり、けれど、ひどく落ちつくものでもあった。懐かしくて、あたたかくて。ずっと隣にあったそれだ。

「な、なに。どうしたの」
「いや……まあ。別にたいした理由はねえけどさ」

 コズエは、さっきとは打って変わった様子でしっかりとタツミのことを見ている。まっすぐで光の反射した青は、かつてアーカイブで見たことがある海の色。どこまでも青くて、深くて、すべてを包む母なる海。
 好きだったな、と思った。彼女の抱える優しさや弱さの詰まったこの瞳を、タツミはずっと、きっと誰よりも好いていた。

「……誕生日おめでとうな、こーこ」

 噛みしめるようなタツミの言葉を受けて、コズエはふわりと顔を綻ばせる。
 ありがとね、と絞り出したその様子は、タツミがずっと傍に置いてきた、かつての彼女のままだった。


夢主お誕生日おめでとうの話でした。おめでとう。
2022/04/11
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