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あつい手のひら

「う……ぇ、」
 びしゃ、と音を立てて吐き戻された胃の内容物。先程まで暴れまわっていたモンスターのうえに飛び散るそれは、戦いの凄惨さを何よりも物語っていると思う。目を伏せるトールは頬を撫でる風に意識をそらした。小高い丘にはいくつか剥き出しの岩が見えていて、表面を獣の爪痕が走っている。
「だからやめろって言ったんだ。オマエに“ここ”は向いてない」
「……っ、できる。今だってほら、倒せたもの」
「倒せはしてもその後はどうなんだ。ボロボロじゃないか」
 ――ボロボロ。それは怪我どうこうの話ではなく、なまえの精神面にあった。年の離れた兄が2人、蝶よ花よと育てられたなまえはとてもじゃないが戦いに向いた性格だとは思えない。艶めいた金髪は姫様然としたもので、こんな血なまぐさい場所に晒されていいものではない。
 それでも彼女は剣を取った、その理由をトールは知らない。けれども同じくトールの思いを、なまえだって何も知らなかった。戦場には立っていてほしくない。危ない目にはあわせたくない。ここにはユメクイの脅威だけでなく、ヨルムンガンドというモンスターだって襲い来るのに――なまえの手のひらは花を摘み、人を癒やすためのもの。血豆で汚すものでもない。骨の覗く肉塊を掴むようなものじゃない。それなのに。
「さっさと城へ帰って寝てろ、しばらくしたらオマエの国から迎えも来るだろ」
「やだ……っ」
「ワガママ言うな。……剣を捨てろ、鎧も脱げ。何度でも言う、オマエには無理だ」
「無理じゃない! わたしは――ッ、ぐえ」
 度重なる嘔吐に傷んだ胃が悲鳴をあげている。地面に剣を突き刺して膝をつくなまえは、か細い声で嘆願してきた。
「やだ、やだよ、わたし絶対戦えるもん。すぐに慣れるよ、だってトールもそうだったでしょ」
「…………」
「絶対ぜったい諦めないもん。明日はもっとうまくやる、すぐにトールよりたくさんモンスターを倒せるようになれるよ」
「なまえ――」
「おねがい、トール」
 わたしにも、戦わせてよ。
 緑の目から涙が零れ落ちる。それは苦痛からくるものか、それとも。
 はあ、とトールの長く細いため息が漏れた。なまえに根負けしたらしい彼は、未だ震える彼女の手を取る。血だらけになった細い手をゆっくり撫でるトールの指は、彼女と同じくいくつも血豆をつくっては分厚い皮を重ねていった、幼いながらも戦士のそれだ。
「どうしても、戦いたいんだな」
 こくり。決意を宿してうなずくなまえに、トールは再三のため息を吐く。彼女の仕留めた残骸を一瞥し、筋は悪くないだろうことを思い返した。戦い方か、もしくは武器の選び方が悪いのだろう。
「肉を斬るのがダメなら、例えば……そう、弓でも使ってみたらどうだ。それなら感触は手に残らないし、距離をとるぶん視覚的にもダメージは少ないだろ」
「あ――」
「とりあえず今日は帰ろう。明日にでも武器を見繕わせるから」
 撫でていた手をそのままに、トールがなまえの手を引いて歩き出す。傍らにミョルニルや剣の姿はあれども、2人のその背中は出会った頃と何ら変わりないように見えた。


20171113
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