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AM1:58

『ね、なまえ。ちょっとデートしない?』
 それはとある日の深夜、午前1時58分。この上なく唐突な、内緒のお誘いでした。




「ひゃー寒い! こんなに着てきたのになあ」
「あはは、雪だるまだ」
「うるさいなー、もう!」
 ありったけのカイロを貼りつけてきたものの、やっぱり秋田の夜は冷える。夏も終わりを見せた秋口、寒さに弱いあたしにとっては拷問のようなものだった。
「じゃあ、はい」
 だけどその耐え難い寒さも、ただ愛しいひとと手を繋ぐだけで吹き飛んでいってしまうのだから……恋とは本当に不思議なものだと思う。
「なんでわかったの? あたしが起きてるって」
「んー……なんとなく、かな。……最近悩んでるみたいだったし」
 眠れないまま、ころころとベッドで寝返りを打ってばかりだったあたし。ふと携帯を手にとった瞬間にかかってきた電話と「氷室辰也」の文字に、まどろみかけた意識が覚醒して。マッハで支度を終わらせて今に至る。
「ふふ、エスパーみたい」
 ザクザクと霜を踏みならしながら歩く道。通い慣れた場所でさえ、時間が違えばまったく違う景色に見える。周りに人はいない。あるのは月明かり。こんな寂しい世界を見ると、なんだか心も弱ってしまう気がして。あたしは弱く、口を開いた。
「……あのね、いい?」
 とかなんとか問いかけてはみるけれど、彼が断るはずがない。わかっている。断らないこと。わかっている。そもそもの目的がそれだということ。彼は優しいから。タツヤはずっと、あたしを守ってくれていたから。
「最初はね、健介だけだったんだよ」
 ――嘘じゃない。彼を、彼だけを愛していたこと。世界の中心には彼がいて、「好きだ」という言葉も彼のものなら信じられた。自分自身を見てくれているのだと。自分のすべてを抱きしめてくれていているのだと。……はじめは拒絶してしまったけれど。
「そこに――オレが入ってきたんだね」
「……うん」
 ずっと気づけなかったこと。ずっと気づけなかった想い。ずっと守っていてくれた。ずっと想っていてくれた。
 ずっとタツヤは、あたしを信じていてくれたんだよね。……どうして気づけなかったんだろう。どうしてあたしは、タツヤを信じられなかったんだろう。
「あたしさ。なんか……その、信じられなくて。人の気持ちとかそういうの、難しくってさ」
「うん」
「誰彼構わずやらしいことしてるからかな、どうしてもなんか『どうせカラダ目当てなんでしょ?』とか思っちゃってね、まああながち間違いじゃないんだろうけど……でも」
 そうやってずっと予防線をはってきた。先に抱かれておいたなら、好きだと言われてもそう思い込んで逃げることができた。だから断らない。だから誰とでもできる。心がほしいわけじゃない。淋しく思ったわけじゃない。ただそれが自衛の方法だっただけだ。そうやってあたしは、ずっとみんなから逃げてきたんだ。汚れたこの身を恥じるのが怖くて、ずっと誰からも逃げてきた。
「そうじゃないって。真心とかそういう気持ちを、みんなが教えてくれたんだ」
 カラダが先にくる恋じゃない。心を求めるということ。人を愛しく思う心。表面じゃない、深いところで繋がるものを、みんなが教えてくれたから。誰か1人にだなんてしおらしいことはまだ難しいけれど、みんなのためならなんだってできるって思える。そういう心を教えてくれた。
「みんな特別なの。誰がだなんて決められない。おかしいことってわかってる。傷つけることもわかってる」
 加速する淋しさ、埋まらない心を満たす術を教えてくれたひとたち。愛しさを感じさせてくれたひとたち。ぐちゃぐちゃになった胸の内に、確かな安らぎをくれた。永遠とか絶対とか途方のないものを願うほどには、
「ねえ、タツヤ。……あたし、どうしたらいいかな」
 ずっとみんなでいたいんだ。






「――……たとえば」
「……?」
「来年には、岡村先輩と福井先輩はここを卒業してしまうから。今みたいに日常的には会えなくなるよね」
 そうだ。2人は3年生だから、もう残り少ない時間しか一緒にいられない。WCが終われば、自動的に部も引退となる。
「その次の年にはオレと劉も。……場合によってはアメリカや中国に帰らなくちゃいけないかもしれないし、なまえもここを卒業すれば東京に帰ることになる」
「うん……」
「その点、敦は有利だね。向こうでも一緒にいられるから」
 淋しそうに笑いながら、タツヤはあたしをそっと抱きしめる。すっぽりと抱き込むようなそれは、いつだってあたしに安心感を与えてくれるもので。むき出しになって真っ赤になった耳に、当たる吐息がくすぐったい。
「会えなくなれば、愛情は離れやすい。遠くの恋人よりも近くの友人を頼ったりして、ひいてはそれが自然消滅に繋がることだってある」
「タツヤ……?」
「――でもね、それも悪いことじゃないと思うんだ。もちろんいいことではないけど」
 それが運命だということ、そしてその運命を跳ね返そうと頑張るのが真実だと、そうタツヤは言う。いつもみたいなあったかくて優しい微笑みのまま、タツヤはあたしの頬に熱いキスを落とし、ちゅ、と涙を吸った。
「だけど……叶うなら。最後に君の隣にいるのが、オレであることを願うよ」
 そっと触れあったくちびるとくちびるは、頬とは比べ物にならないくらいに熱くて。じわりとあたしの心にあたたかいものを広げ、そしてひどく揺さぶった。
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