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動き出す

 とあるマンガのキャラクターが「勝てる」やつは「勝ちたい」なんて思わないと言っていたように、「会える」やつは「会いたい」だなんて思わないのかもしれない。あれから数年経って大人ぶったオレは、「会える」という望みの薄さをすっかり理解してしまった。
「会える」から「会えたらいいな」に変わったのはそんなに昔のことじゃない。絶望したわけでもない。ただ現実を知ったんだ。希望以外の世界を知ってしまったんだ。軽い口約束をしただけのガイジンと再会するだなんて、たとえ目印があったとしても叶うようなもんじゃないだろう。
「あ、もしもしねいむ? どうしたの?」
 だから正直、驚いたなんてもんじゃなかった。つい先日入学してきた後輩の、ちょっと素行に問題アリなマネージャーの、真新しいスマートフォンについたキーホルダー。しずく型のそれにくくりつけられた、新しいものだらけのその様に不釣り合いなボロボロのリボン。見覚えのありすぎるそれに、オレの胸は高鳴っていた。




 ――――が。
「……なんでこんなことになってんだ」
 こいつの脳みそにはこういうことしかないのか。
 土曜。朝練が終わったあと、「授業でわからないところがあるから教えてほしい」と部屋に訪ねてきた、こいつ。つい2週間前マネージャーになったばかりの1年生。オレと変わらない長身と媚びるような仕草、加えて男好きする体型に物を言わせて不純の限りを尽くしているとんだアバズレ。
 本音を言うなら「なぜこいつなんだ」と思わなくもない。むしろものすごく思っている。ていうかガイジンじゃなかったのか? 日本人だよなこいつ? なのになんで、え、オレの見間違いだろうか?
「だって福井さんがあんまり熱烈な視線であたしを見るから」
「見てねーし! つーかなんで見ただけでこんなことになるんだ!」
「シたいのかなーって。セッ――」
「昼間っから言う言葉じゃねえ!!」
 この女はどんだけ馬乗りになるのが好きなんだ。岡村だって餌食になってたはずだし、当のオレもつい1週間前に食われたばっかりだ。いい思いをさせてもらったというのも嘘ではない。嘘ではないがしかしさすがにちょっと、なあ。
「おっま……もうちょい自分を大事にしろや」
「? どうして?」
「どうして、って――」
 一応、向こうを気遣って言ったつもりだった。先輩だし。……だがオレは後悔する。どうして、と小首をかしげたこいつの瞳は今まで見たことないくらい冷たくて、周りを寄せつけないある種の気迫を感じさせたものだから。
 この目は口よりも雄弁に、「他人が気にすることじゃない」とオレに伝えてきていた。「詮索をするな」とも。
「……なんか萎えちゃった。今日は帰りますね」
「あっ――おい、ちょっと待て!」
 さっさと退いてしまったこいつを引き留めるために、オレは声を荒らげた。少々怯えさせたみたいだが、まあ、仕方ない。怯えられるのには慣れてんぜ、あんまり目つきよくねえしな。
「……なんでしょう」
 いい機会だと思った。相変わらずこいつの考えていることは読めないけれど、少しでも揺さぶることができるなら。昔のことを覚えているかもしれない、約束の相手なのかもしれないのなら、なんらかの反応が返ってくるだろう。それを引きずり出してやろうと思ったんだ。
「これ。見たことないか?」
 逃がさないように壁際まで追いつめ(あまり目線に差がないのが悔しい)、なくしたら困るから、と大事にしまっておいたそれを目の前にさらす。明らかに日本人のセンスではない、奇抜なデザインをした紫色のクマのマスコットだ。
「――ッ、!」
 首元がやけに淋しいのは、本来あるべきはずのものが欠けているから。こういう人形には定番のリボン。それが巻かれていない。
「…………あるんだな?」
 遠い昔にほどかれてしまったそれはこいつの手のなかにあるんだろうとオレは推察する。あのボロボロのリボンが一目でオレの記憶と興味を強烈に呼び覚まし、確証らしい確証もない確信が今のオレを動かしている。
 しかしこいつはうつむいてだんまりを決め込んだまま、どのくらいの時間が経ったのかもわからない。……失敗したな、と思った。こうなったら続きは期待できないだろう、日を改めるしかない。せめてものだめ押しとしてなにかを言おうとした瞬間、ようやっとこいつも口を開いた。
「――らない、」
「あ?」
「知らない、知らない知らない知らない! そんなっ、そんな何年も昔の思い出にすがるなんてバッカみたい!!」
 どん、ときつく突き飛ばされて腸の煮えくり返りそうな捨て台詞を残されたけれど――正直、それを帳消しにしてもお釣りがくるくらいの収穫を得られたと思う。自然と口元が弧を描いた。
「……やっぱり知ってんじゃねーか」
 オレは一言も、「昔の思い出」だなんて話した覚えはないんだがなあ。
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