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さらわれる城、花のひとひら

 大将の、泣いている顔が好きだった。
 人前で恥をかくまいと気丈に振る舞う姿は時に痛々しく、庇護欲を掻き立てられると同時に加虐心をそそられるのもまた事実。触れれば壊れそうなほどに脆い、さながら幼子を思わせるその小さな背中を撫でるのか、抱くのか、それともトドメをさしていっそ壊してしまおうか。どれだって許されるだろうこの立場を確立するのにも、決してそれほど手を焼いたわけでもないのだけれど。しかしそれゆえに思うところがないでもないのだ、自分以外の誰に対しても、すぐその身と心を明け渡してしまうのではないかと。何が入ることすら叶わぬほどその全てを占めておかねばならないと、脇見など決して許さない、許してはいけない、あの胸に残る者はこの薬研藤四郎ただひとりで良いのだと、夜毎ささやき続けての今日だ。
「よう大将、お呼びか」
 屋敷の奥にある男子禁制の一画。向こうからのお呼び立てがなければ立ち入ることを許されないこの場すら、俺にとってはすっかり馴染みの景色となった。俺たち刀剣男士が生活を送る区画とは離れたここへの道中、もしかするとどこか弾んだ足音を立てていたかもしれないけれど、大将に呼ばれたと言えば皆に疑われることはないのは幸いである。
 すう、と薄く襖を開けば、弾かれたように振り向く大将の姿がそこにあった。薄暗い部屋に差し込んだ明かりが眩んだのか、それとも俺の姿が目に入ったからなのか、大将は大きく見開いた瞳を刹那に歪ませて、そしてひと筋の涙をこぼす。
「や、やげん……っ」
 ――そう、この顔が好きなのだ。肩口に縋りつく大将を抱きとめ、表情を窺われないことを確認してから口元に弧を描く。きっと今の俺はひどく歪んだ顔をしているのだろう。征服欲と支配欲と独占欲にとらわれた、狭量で狡猾なただの男の醜態をさらす。
「今日も随分と頑張ってたじゃないか、偉いぜ大将」
 人の気配がないことを確かめたあと、後ろ手に襖を閉めておく。再び暗がりに戻ったこの一室は、しかしすぐに目も慣れてきたため大将の姿を捉えるのは容易い。
 たとえ傍にはおらずとも、ただ顔を見ただけで彼女の心の機微が手に取るようにわかるのは、日頃の努力の成果なのか、それともこの身に残る彼女の力の残滓のおかげなのか。出来ることなら前者であることを願おう、でなければあの2振りに――特にへし切長谷部の旦那にまで悟られてしまうだろうから。
「わ、私、っ私は」
「もういい。大将、言うな」
 縋る姿が愛おしく、ぞくりと這い上がるものを感じる。強く抱きしめて背中をさすれば、糸が切れたように大粒の涙を落とし始め、程なくして肩口のシャツがぬるく湿り気を帯びてきた。
 性にあわない詩的な表現を借りるならば、今の大将は波にさらわれる砂城か、風に散る花のひとひらか。崩れた城は直せばよい、花びらは栞にでもしてしまおう。あるべき姿が壊れたとて、寄り添う術などいくらでも在るのだから。
 願わくば、この姿を誰に晒すこともなく。そして、この幼子に甘い顔をする者がただひとりであるように、望むはただそれだけだった。
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